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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(187)

 

「レディー、ファイトッ!」

 審判の開始の合図が聞こえているのか聞こえていないのか、寺町と桃矢は、お互いに構えを取ったまま、すぐには動かなかった。

 一ラウンドとは言え、お互いに手の内は見せて来たのだ。二ラウンド目は、相手のできることを警戒しながら、動かなくてはならない。そういう意味では、普通の試合内容だ。

 だが、どちらとも、それを良しとするわけはなかった。

 桃矢は、鬼の拳が、どちらにふさわしいかを、何が何でもはっきりさせるつもりだろうし、寺町は寺町で、この試合を穏便に終わろうとする気はまるでなさそうだった。

 それというのも、寺町は、珍しく殺気を放っていたからだ。

 もちろん、殺気を放つことなど、寺町なら珍しくもない。しかし、いつもの寺町の殺気は、どこか子供じみている、良い言い方をすれば、純真な殺気なのだ。戦いを楽しもうとする所為で、何の裏表もなく、ただ吹き出す殺気だ。

 それに比べて、今の寺町の放つ殺気は、鋭く、そして恐い。

 素人相手にもそれは伝わるのだろう、二ラウンドが始まる前から、観客達も、しんと黙ってしまった。寺町の殺気にあてられたのだ。

 普通、殺気が表に出るのは、あまり良いこととは言われないのだが、さて、その一般的見解が、格闘バカである寺町にも当てはまるのかどうかは謎だ。

 最低、その殺気は、桃矢を崩すことはなさそうだった。桃矢の、鋭いながらも、どこか安心したような表情を見る限り、相手が殺気を放っていた方が、むしろ戦い易そうにしているように見える。

 桃矢は歳最初から殺気立っていたので、自分が空回りすることを恐れていたのだろう。だから、相手が殺気立って向かって来てくれた方が、正面からぶつかれて戦い易いのだろう。

 真正面からぶつかれば、技術の差で勝てる。桃矢はそう思っているはずだ。事実、寺町は技の強引さで何とか窮地を脱しているが、技術云々に関して言えば、桃矢にやられっぱなしと言っても嘘ではない。

 寺町だって、要所を押さえてはいるのだ。しかし、押されているのを、何とか防いでるだけだ。

 まさか寺町が、思い通りにならない桃矢の強さにキレて、殺気立っているとは、今日会ったばかりの浩之だって思わなかったが、素直に考えれば、寺町の方が不利だというのはわかる。

 それを覆すのには、やはり打ち下ろしの正拳しかないのだ。だが、桃矢はそれをかいくぐっている。そして寺町の意識が下に行ったのなら、次は横や、正面、下手をすれば下にフェイントをかけてから上、という手さえ考えられる。

 反対に桃矢は、結局は寺町の打ち下ろしの正拳さえ気をつければ、何ら問題はないのだ。他の技で寺町が攻撃してきたところで、今のダメージ差を覆すのは難しい。

 平然とはしているが、寺町のダメージは、休憩一分では完全に消えるものではない。動けるようにはなっても、身体の芯からはダメージは抜けていないはずだ。

 自分が不利だというのに、憤りを感じている?

 寺町の攻撃的な、荒い殺気を説明するとなると、それが一番説明し易いだろう。だが、そんな訳はないのだ。

 不利であればあるほど、寺町は喜ぶ。浩之がどんなに押しても、寺町はちっとも焦らなかった。むしろ、ダメージを受ければ受けるほど、その顔には満面の笑みが浮かんできたほどだ。

 だから、寺町が怒るとすれば、それは分かり切ったこと。

 相手に、魅力を感じなかったのだ。

 突然、寺町は、何のフェイントもなく、桃矢との距離を、あくまで自然につめる。焦っている様子もない。それどころか、急ぐそぶりさえ見せなかった。

 それに、桃矢は反応しなかった。打ち下ろしの正拳だけを避けるつもりならば、後の技ならカウンターを取ればいいし、打ち下ろしの正拳なら、全力でよければいい。だから、後の先を取れば、相手の動いた後に動けばいいのだ。

 完全に、二人の射程圏内がふれあってから、寺町はやっと素早く踏み込んだ。それは、桃矢でなくともわかる、思い切り、打ち下ろしの正拳を打とうとしていた。

 いつもの、一直線に出るまでは、少ししかためのない打撃ではない。スピード度外視、ただただ威力に全てをかけた、発動の遅い打撃。

 それを、桃矢は待ちなどしなかった。

 寺町の打ち下ろしの正拳は、あくまで遠距離でこそ真価を発揮する打撃。懐に入られれば、その威力は極端に落ちる。

 だから、桃矢は迷わず懐に入った。一度さらに懐に入られた記憶が脳裏をかすめただろうに、それを一瞬も迷わなかった。

 桃矢の選択は、正しい。桃矢からしてみれば、寺町の打ち下ろしの正拳をつぶしさえすればいいのだ。よしんば、フックを懐に入られて威力を殺されたとしても、そこから寺町は攻撃できない。できたとしても、大した威力はない。

 桃矢に急ぐ必要はないのだ。寺町の打ち下ろしの正拳さえつぶしてしまえば、おのずと勝ちは転がり込んでくる。

 勝てば、どちらがより優れた鬼の拳の使い手かは、一目瞭然だ。当たらない大砲などに、意味はない。大砲を当てるからこそ、北条鬼一は、伝説を作ったのだ。

 そして、桃矢は自分の大砲の威力も、そして当てるための技術も、十分の自信があった。どこを考えても、そして相対峙しても、確かに驚くような作戦で逃れられてはいるが、実力では自分の方が、寺町よりもよほど優れている。

 勝ちは、目前なのだ。

 懐に入り込んでくる桃矢の動きに反応できないのか、寺町は守ろうと動くことさえできなかった。あいも変わらず、威力だけを狙った打ち下ろしの正拳は、動いていない。

 桃矢には、寺町の打ち下ろしの正拳が威力を発揮する線が、ちゃんと見えていた。そして、そこを抜けたのを、すぐに理解した。

 と同時に、桃矢は右拳を振るっていた。懐に入る動きの所為で、全力とまではいかないものの、しかし、今まで寺町に当てたどの打撃よりも強い威力を持って、寺町の頭部を打つ。

 ガキーンッ!

 金属と金属のぶつかるような音を出して、桃矢の鬼の拳からの右フックが、寺町の頭部を打った。

 そして、打ち抜けなかった。

「っ!?」

 桃矢に驚愕が走る。しかし、寺町は、桃矢に次の動きを考えさせることも、ましてや、行動を取らせることもさせなかった。

 打ち下ろしの正拳突きの安全地帯を分ける線を、自分の身体が割っていたことだけが、驚きで回転しなくなった桃矢の頭に理解できただけだった。

 ドゴンッ!

 寺町の、文句なしに全力を込めた打ち下ろしの正拳が、一直線に桃矢の頭部を狙い、そして打ち、抜いた。

 残像さえ残さないその軌跡は、一直線に、空間を切り、目標を、貫いた。

 

続く

 

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