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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(188)

 

 寺町の打ち下ろしの正拳に、頭部を打ち抜かれた桃矢の身体は、大きく後にのけぞっていた。

 そして、そのまま、二、三歩たたらをふみ、どすんっ、とマットの上に、重い音を立てて倒れた。

 桃矢が、打撃でこんな状態になるのは、今日になって初めてだった。確かに弱さを見せて来てしまったが、しかし、ここまでやられることはなかった。

 寺町の後輩達が歓声をあげ、それに続くように上がった歓声が、体育館にとどろいた。

 それが聞こえもしないのか、寺町は、右腕を上に構えたそのままの格好で、倒れた桃矢をにらみつけている。

 追い打ちをかける様子はなかったが、しかし、桃矢がすぐに立ち上がる気配もなかった。意識がないのか、ぐったりとして、歓声にも反応を示さない。

 審判は、慌てて寺町を手で制しながら、カウントを始める。

「ワンッ!」

 その声で、ぴくっと、桃矢の身体が動く。そして、目が開いた。

「ツーッ、スリーッ!」

 いかにもおっくうだと言わんばかりにゆっくりと、桃矢は身体を起こす。ダメージは相当のものなのだろう。身体を起こす途中にも、力の入らないのであろう腕が二度ほど崩れる。

 桃矢には、何が起こったのかわからなかった。

 確実に、自分の鬼の拳は、寺町を射程範囲に収めていたはずなのだ。であれば、いかに寺町が打たれ強いからと言っても、一撃を耐えて、なおこれだけの威力を出せるとは、到底思えない。

 しかし、自分の拳は、寺町を打ち抜けなかった。それは、確かに寺町の首は見ただけでも、本当に打撃格闘家なのか、組み技の格闘家なのでは、と疑問に思うほど鍛えられている。だからと言って、耐えられるものではない。

 ダメージが桃矢の意識を朦朧とさせて、考えがまとまらない。いや、意識がはっきりしていたところで、受けた本人が何があったのか、理解するのは難しかろう。

 寺町は、桃矢のフックの射程の、さらに中にまでは入らなかった。しかし、頭だけを、拳に向かって突き出したのだ。

 結果、桃矢は攻撃できる範囲と誤解し、さらに、完璧な打撃のタイミングをずらされて、ダメージを殺されたのだ。

 実は、これこそが鬼の拳の弱点の一つなのだ。

 鬼の拳は、上に拳を構える。だからこそ、通常に構えるよりも、高さ分距離が空く。その距離による助走が、鬼の拳の威力をあげる要因の一つなのだ。

 だから、頭を上に持っていけば、ほとんど勢いがつく前に拳と頭がぶつかることになる。寺町は、それをわかっているのかわかっていないのか判断できないが、実行して、自分の前頭葉を、相手の拳を叩き付けたのだ。

 前頭葉なら、純粋に硬い上に、鍛えた首の力を、一番発揮できる角度だ。そうやって、頭さえ揺らさなければ、いかに桃矢の打撃とて、耐えることはできる。

 もちろん、無理がなかったわけではない。寺町も、十二分にダメージは受けている。しかし、寺町にとってみれば、ダメージを受けないのが重要なのではなく、打ち下ろしの正拳を当てるのが重要なのだ。

 高い位置で当たってしまった桃矢の拳には、まだ腰が入りきっていなかった。だから、そのまま寺町は桃矢の身体を押したのだ。

 結果、桃矢の身体は後ろに下がり、寺町の打ち下ろしの正拳の射程内に入ってしまったのだ。

 浩之は、横で見ていたせいで、寺町が何をやったのかはわかった。

 自分も、同じような状況に追い込まれれば、やるだろう、と思える手だ。問題は、あの桃矢に対して、それをできるかということだ。

 寺町は立っているが、それが不思議なほどの威力は、桃矢の打撃にはあったはずだ。

 なるほど、理ではかなった、ダメージの殺し方だが、しかし、全部が全部殺せたわけではないのだ。むしろ、まだかなりの部分、残っていたはずだ。

 桃矢が立ち上がろうとしているのを見て、浩之はその考えを改めて確信した。

 桃矢だろうが誰だろうが、寺町の渾身の打ち下ろしの正拳を受けて立てるはずがない。それでも立ってきているということは、寺町の方も、完全ではなかったということだ。

 桃矢の鬼の拳からのフックは、寺町にちゃんとダメージを当てているのだ。それにまた耐えてしまう寺町も寺町だが、しかし、そのせいで、やはり打ち下ろしの正拳の威力は落ちていたのだ。

 そこまでして、打ち下ろしの正拳を当てる意味がどこにある。

 一歩間違えば、寺町の方が負けていた。確かに、このままでは桃矢の方が有利かもしれないが、寺町の強さなら、他にも方法はあったはずだ。戦って、そして負けた浩之にはわかる。寺町には、それだけのことができる強さがある。

 だが、寺町はそれでも打ち下ろしの正拳にこだわってみせた。

 その真意が、浩之にはつかめなかった。

 寺町は、もちろんその打ち下ろしの正拳にこだわっている。しかし、桃矢のように、それに執着しているわけではないことぐらい、理解できた。

 技はこだわるものではなく、成すものなのだ。自分の技の中での最良の選択をした場合に、それを出しやすいということはあっても、その技のために危険を冒す必要などどこにもない。

 それなのに、寺町はここで打ち下ろしの正拳にこだわった。そして、力まかせに桃矢の鬼の拳を打ち負かしたのだ。

 はたから見ても分かり易い決着だ。桃矢の鬼の拳は、寺町の打ち下ろしの正拳を避けることはできたが、打ち倒すことはできなかった。寺町の打ち下ろしの正拳は、桃矢の鬼の拳を正面から打ち負かした。

 技と技とを、極限にまで戦わせる、というシチュエーションならば、何も不思議なことではないが、今、寺町がその選択をする意味がわからない。浩之には、寺町のテンションは、そこまではあがっていないように見えるのだが。

「エイトッ、ナインッ!」

 九カウントまでカウントが進んで、やっと桃矢はファイティングポーズを取った。

 審判が桃矢の状態を確認している。カウントをギリギリまで待ったのは、少しでも体力を回復しようとする行為だったのだろうが、他人の目には、本当にギリギリにしか立てなかったようにしか写らなかった。

 しかし、事実そうであった。九カウントでなくとも立てたは立てたが、それで動けるわけがなかった。普通なら、九カウントまで待つなどという危険なことはしないのだが、しかし、それをやらなければならないほどに、ダメージが深刻だったのだ。

「やれるかい?」

「はい」

 桃矢は、短く答えた。今何か下手なことをすれば、試合は止められるだろう。それを避けるために、少しでも強く寺町を睨まなくてはならなかった。

 不思議と、今まで桃矢の胸の奥にあった憤りというものは、薄まってきていた。

 本気で自分が危険なことに、桃矢は当然気付いていた。感情を制御するどろこか、感情を感じなくなるほどにダメージを受けているということだ。

 それでも、桃矢も負けるわけにはいかないのだ。だから、立ち上がったのだ。

 目の前にいる敵は、瀕死である桃矢を見ても、余裕も、そして気合いも、何も入れない。ただ、どこか常識を無視したような、狂った目に、桃矢には感じられた。

 恐い、と桃矢は素直に思った。表情にまでその感情は伝わらなかったが、しかし、確かに感じて、それを桃矢は認めた。

 目の前にいる獣に、桃矢は恐怖したのだ。

 獣は、ゆっくりと桃矢のダメージをはかるように動き出した。

 すぐにダメージのほどは知られるだろう。そのとき、襲いかかられて、俺はそれに対応できるだろうか?

 今まで、一瞬の恐怖はあったものの、冷静に、ものに恐怖するというのは、桃矢にとって初めての経験だった。

 だからなのだろうか?

 目の前の獣、一般的には格闘バカと思われている相手が、桃矢に飛びかかったときに、それでも力を振り絞ったのは。

 

続く

 

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