ダメージを受けてまわらない頭でも、桃矢はできるだけ冷静に寺町の動きを読んだ。
脚への攻撃は、まずない。あったところで、むしろダメージが分散されていいぐらいだ。
一瞬でそれを判断、脚の守りは捨てる。
間違っていない選択だ。ローキック一発や二発では、桃矢は倒れない。それに、寺町がローキックを使って来るとは思えない。
ならばその分、上半身の守りに徹した方がいい。
次に、胴体の守りを消去。
ミドルキックは苦しいだろうが、後ろに飛んで逃げればいいだけだ。腕で守る必要はない。頭部さえダメージを受けなければ、KOはされない。
鬼の拳は、このまま。ただし、腕を少し前に出す。
頭部を守るだけならば、むしろ普通よりも強固な構えだ。同時に、拳を握らずに、手を相手の方に向ける。
アッパーも選択外。打ち下ろしの正拳と、横からの打撃にのみ専念。アッパーが来たときは直撃の可能性が高いが、他に選択肢がない。
寺町が桃矢との距離を縮める間に、桃矢はそれだけの選択を行った。
重心は後ろへ。しかし、後ろには下がらない。ここで勢いづかせるのは致命傷になる。一瞬でも、寺町の前進を止めてから、後ろに逃げる方が得策だ。
左脚を浮かして前に構えた。突撃してくる寺町に対して、少しでも動きを牽制するために、前蹴りを放つつもりだったのだ。
しかし、前蹴りを放った時点で、逃げるのが不可能になる。それを桃矢は痛いほどわかっていたので、できない。
かわりに、突っ込んでくる寺町の足に合わせる。
マットに寺町の足がついた瞬間に合わせて、寺町のつま先に、自分のつま先をぶつける。
ダメージは期待できないが、これならば反則にもならないし、少しでも寺町の前進を止められる。
確かに、寺町の前進の勢いは少し殺される。力を込めていた部分を予測できない方法で押されたので、バランスが崩れたのだ。
だが、倒れるほどではない。それに、あくまで桃矢が最小の動きしかできなかったからこそ行った、焼け石に水の行動だった。
寺町の右脚が跳ね上がる。胴体ではなく、頭部へのハイキックを、桃矢は腕でガードしてしのぐ。
ガードは完璧で、勢いも逃がしたというのに、それだけで頭の中が引っかき回されたような感覚がした。ダメージの抜けきっていないところに入れられたハイキックは、ガードしても予想以上に厳しい。
しかし、頭部のみをガードしていなければ、それで倒れていたはずだ。
ぐっ、と桃矢は脚に力を入れる。頭が揺れたが、まだ脚には力が入る。これが、脚に来てしまったら、もう終わりだ。
続けて、コンビネーションのようなスピードで、左の正拳が、桃矢のみぞおちに入る。普通なら左半身を取っているので、そこには入らないのだが、右のハイキックで、身体を飛ばされ、みぞおちを寺町にさらしてしまったのだ。
ズムッ、とまるで刃物が突き立てられたような音を立てて、桃矢の身体がくの字に曲がる。鍛えられた腹筋は、急所を覆い隠していたが、それでも殺しきれなかった威力が、深く深く桃矢の内部に達する。
しかし、桃矢は息を吐き出さなかった。みぞおちに深々と入った寺町の一撃にも、耐える。わかっているのだ、これが最後ではないということを。
寺町の本命は、これしかありえない。
みぞおちさえガードするのをやめてフリーにした腕。それは、次の一撃を受け止めるためだった。息を吐き出さないのは、次の攻撃に対処するため。
桃矢の目は、寺町の上に構えられた右拳に釘付けになっていた。
わかる、次に来るのは、あれだ。
避けるだけの脚はすでにない。さばくだけの動きもできない。であれば、ガードして、正面から受けるしかない。
桃矢は、満を辞して待っていた両腕を、十字に構えた。十字受け、空手でも一番硬いと言われる守りの構えだ。動きは遅くなるが、ここで受ければ、どんな攻撃だってガードできるはずだ。
しかし、それだけでは心許ない。
桃矢は、もう後ろに逃げる必要もなくなった左脚を胸元に引きつけた。そして、前に突き出す。蹴りというには弱い動き。だが、ダメージはなくとも、脚がつっかえ棒の役目をしてくれるはずだ。
後は、覚悟だけだった。一度受けた威力に、身体が恐怖する。硬直した身体はダメージを逃がしきれない。だから、桃矢はありったけの力を込めて、覚悟を決めた。
と同時に、寺町の右拳は、桃矢の十字に守られた腕に当たっていた。
ドッ
桃矢は、両腕に渾身の力を入れ、脚を前に突き出していた。
力の入っていない脚は、つっかえ棒になることもなく曲がり。
全力で固めたはずの両腕は、まるで強風の前の紙くずのようにあっさりとはじき飛ばされ・
ガッ
しかし、それでも桃矢はその拳に目を奪われていた。一瞬でも、その拳から目を放したくなどなかった。
何と強く、何と無茶苦茶で、そして何と……
ンッ!!
桃矢の首が、大きく後ろに跳ね飛ばされる。それの後を追うように、桃矢の体躯は、マットの上に投げ出された。
何と、楽しそうな拳なのだろう。
走馬燈のように桃矢の頭に流れたのは、昔見た光景。
楽しそうに、人を殴り、拳を振るい、そして殴られ、そして殴り返す父の姿。
今はもうすでに伝説と化している北条鬼一の戦う姿だ。殴り返されているのを見ると、相手はかなりの手練れらしい。昔のことだ、それが誰だったかなど、桃矢は覚えていない。頭の中を流れる映像でも、顔はぼやけて見えない。
しかし、両方とも、楽しそうだった。鼻血をたれ流し、奥歯を吐きながら、しかし、それでも楽しそうに殴り、殴られる。
何を思って、父がこんな姿を自分に見せたのか、わからない。道場破りでも来て、そのときに自分がたまたまそこにいただけなのかもしれない。
その姿は、教育者としても親としても、どうかと子供ながらに持った姿だった。
しかし、同時に、桃矢はうずうずしている自分に気付く。今でさえ、その光景に、胸がうずうずする。
あんなに、バカみたいに楽しく戦いたい。子供ながらに思った、純粋な欲求だった。
まず子供だったから、父の拳、鬼の拳と言われるその構えから、見よう見まねで入った。そのころは、楽しかったのかさえ思い出せない。
しかし、今、目の前で拳を振るい、そして自分を殴り飛ばした相手は、実に楽しそうだった。まるで昔の父のようだった。
それで、桃矢は、やっとはっきりと理解した。
自分の鬼の拳は、この男に、負けてしまったのだと。
続く