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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(191)

 

 ここまで来て、まだなお鬼の拳にこだわるのか?

 立ち上がった桃矢が両腕を上に構えたのを見て、浩之は、事実試合は終わったと見た。

 格付けは済んだ。桃矢の鬼の拳では、どうやっても寺町は倒せない。

 それは、桃矢はよくやっていると思う。

 二度目に喰らった打ち下ろしの正拳のときも、まず脚をつっかえ棒にして、さらに十字受けを使い、そして、打ち下ろしの正拳から目をそらさずに、真正面から額に受けた。

 桃矢ほどの選手なら、首は嫌というほど鍛えていよう。そして、首の力を一番使いやすいのは真正面からの衝撃なのだ。

 だから、桃矢は立ち上がれたのだ。根性ではなく、ちゃんとした守りを取って、最小限のダメージで済むようにやったからこそ、立ち上がれたのだ。

 だが、ダメージは大きいはずだ。

 まともに動けるのかどうかさえ怪しい。事実、さっきまでは腕は力なく下に垂れ下がっていたし、足取りもまだおぼつかない。

 倒れたまま感情を爆発させたのは驚いたが、それぐらいで覆せるほど、寺町は甘い格闘バカではない。感情の爆破という意味では、寺町などずっとやっているのだから。

 しかし、浩之にも、気になることが一つあった。

 さっきまで不機嫌そうに殺気を放っていた寺町の表情が、嬉しそうに笑い出したことだ。後一撃で倒せる余裕、などというもので笑う寺町ではない。

 楽しめる戦いができるかどうか。寺町がこだわる部分はそれだけであり、今さっきまで不機嫌だったのは、楽しめないと思っていたからだろうと推測できる。

 ということは……桃矢は、楽しめる相手になったのか?

 ダメージでぼろぼろ、それでも鬼の拳の構えをかたくなに守るかつての天才に、寺町は何かを感じたというのだろうか?

 そして、それだけであれば、寺町の気まぐれかとも思ったのだが、横で綾香の雰囲気が変わったのに、浩之は敏感に反応した。

「へえ……」

 目を細めて、まるで獲物を狙う肉食獣を思わせる表情に、浩之は背筋を凍らせた。何度見ても、慣れることなどない、綾香の好戦的な表情が、寺町の反応を気まぐれではなく、桃矢が、何か変わったことを示していた。

 寺町が、何かを感じているはずなのだろうが、それすら気にしないのか、桃矢に向かって走りこんでいた。

 鬼の拳では、フックしか使わない桃矢では、寺町よりもリーチが短い。よしんば、ストレートに変更したところで、寺町が素直に受けてくれるとは到底思えなかった。

 しかし、寺町の打撃の範囲に入る前に、音は響いていた。

 バシィッ!

 鋭い打撃音と共に、寺町の前進が鈍る。その隙をついて、桃矢は下に潜り込むように寺町の懐に自分から入る。

 寺町は、懐に入って来た桃矢の後頭部を狙って拳を振り下ろすが、その瞬間には、すでに桃矢は横に逃げていた。

 ドスッ!

 寺町の振り落とすようなフックは空を切り、そのかわりに、横に逃げ際に桃矢が放った膝蹴りが、寺町の胴にヒットする。

 後に回り込むようにして、桃矢は距離を空けた。追い打ちはかけない。追い打ちがあったときにと、振り回された寺町の裏拳が、相手を亡くして空を切った。

 オオオオッ、と観客は歓声をあげる。桃矢の動きが、完全に蘇っているように見えたのだ。寺町は、打ち下ろしの正拳を打つ暇もなく、他の打撃も全てかわされて、さらに二発、打撃を受けてしまっていた。

 一撃目に入って、寺町の動きを阻害したのは、ローキックだった。

 鬼の拳で上に意識を持っていっておいて、下のローキック。単純だが、理にかなった構えのフェイントだ。

 そして、桃矢はその攻防の間、鬼の拳をふるわなかった。

 追いつめられて、打撃を封じていた英輔戦でやったように、鬼の拳以外の技を、使うしかなかった。観客にはそう見えた。

 いや、浩之にさえそう見えた。ただ、寺町が、それでも笑っているのだけが、どうしてもひっかかっていた。

 桃矢の表情も、穏やか過ぎる。追いつめられたというのに、むしろ余裕さえ、いや、余裕といより、楽しそうにさえ見える。

 すっ、と桃矢は、鬼の拳をおろした。それは、桃矢が人生の大半でこだわっていたものを、捨てた瞬間だった。

 代わりに、腕を前に出し、腰を落とす。

 完全な組み技の、しかもタックルの構えになっていた。それは、鬼の拳を完全に捨てたというのを、見ている者にわからせるには、十分だった。

 組み技の得意な相手には、打撃。打撃の得意な相手には組み技。

 エクストリームの、基本中の基本だ。もっとも、多くの選手は、そんなに器用でもないし、両方が高いレベルで使えるわけでもないので、打撃なら打撃、組み技なら組み技に偏る。

 相手の苦手な技を駆使するのは、卑怯でも弱くも何でもない。基本、なのだ。

 桃矢は、この予選の中で、初めてその基本を行使しようとしていると言っていい。打撃だろうと組み技だろうと、桃矢が使いこなせるのは、すでに知れたことだ。

 寺町は、打ち下ろしの正拳を打つ構えをとき、両腕を顔の前で交差させた。そして、そのまま気合いを乗せて、十字を解く。

「こおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 空手の息吹だ。寺町が、自分の身体に気合いを入れたのだ。それは、相手を完全に認めたと言っていい。その息吹の気迫だけで、試合場の緊張が高まる。

 しかし、桃矢の目は、どこかそれでも楽しそうで、そしてどこまでも冷静だった。

 がっ、と寺町の足が、マットを蹴った。一瞬で、桃矢との距離をつめる。

 が、桃矢の方が動きは早かった。それはタックルにしても距離がありすぎるのでは、と思える距離で、桃矢の身体は下に沈んでいた。

 身体をかがめたまま、前に踏み込まれた足を軸に、桃矢の身体が、マットの上を這うように回転する。

 予測しなかった動きに、寺町は止まろうとしたが、前進の力を止めきれずに、さらに前に出る。

 足を軸に回転しならが、後ろ回し蹴りというよりも、掃脚(自分の手が地面につくほど腰を落として、相手の足を回し蹴りのような動きで刈る)のような動きで、桃矢の踵が、寺町の太ももに入る。

 ズムッ!

 鈍い音をたてて、寺町の太ももに踵が入り、寺町の脚が、がくりと落ちる。いかに打たれ強い寺町でも踵を太ももに入れられて、そのまま耐えることなどできなかった。

 その脚の落ちた隙を狙って、桃矢は立ち上がって、寺町との距離をまた殺していた。近すぎれば、打ち下ろしの正拳は打てないのだ。

 ズンッ!

 ドガッ!

 桃矢のボディーブローが寺町に入るのと、寺町のフックが桃矢をはじき飛ばすのは、ほぼ同時だったが、しかし、打撃を受けて動いたのは桃矢の身体だった。

 寺町の身体をそこに残して、はじき飛ばされるように桃矢は寺町から距離を空けた。

 しかし、その目は、まだまだ死んでおらず、むしろ、さっきよりも生き生きとしていた。

 

続く

 

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