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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(193)

 

 ドゴッ

 容赦ない桃矢のボディーブローが寺町の腹筋に入る。

 顔こそゆがめないものの、寺町は確実に動きが鈍くなってきている。

 そんな試合を、綾香は嬉しそうにながめていた。

「浩之の拳は、ちゃんと寺町に効いてたのよ」

 しかも、致命的とも言えるダメージを残している。浩之と寺町の試合が終わってからかなりたっているが、それでも回復しきれなかったのだ。

 打たれ強さもさることながら、回復力も並外れているのでは、と思われていた寺町に、そこまで長引かせるだけのダメージを、浩之はたたき出していたのだ。

 綾香が嬉しそうなのは、ただ、浩之のことだったからだった。負けはした、しかし、それでも浩之の牙は、寺町に深く食い込んでいたのを、素直に嬉しいと感じているのだ。

 今の桃矢は強い。中で何があったのかわからないが、今の桃矢はかなり安定している。さっきまで、技術のわりに中は揺れていたように思えたが、それがなくなっている。

 しかし、寺町がなすすべもなくやられているのは、桃矢の強さの所為だけではないのだ。浩之の牙が、後になって寺町を苦しめている。

 重心を、末端に持っていっての打撃……か。

 正直、まだ完成を見ていない技だ。浩之の常識外の能力を最大限に利用した、常識外の打撃だが、しかし、それはまだまだ完成というにはほど遠い。セバスチャン相手なら、胸の筋肉ではじき飛ばされる程度のものだ。

 だが、今日の成長が、そして、寺町との試合でのテンションが、未完成のものを、引き上げたということだろう。

 ならば、なおのこと。

 浩之は、喜びよりも、安堵を覚えていた。

 意識は半分なかったとは言え、とっさに寺町の身体の影に隠れて、綾香にその打撃を見せなかったことに、安堵したのだ。

 寺町を、これだけ苦しめるほどの威力を持つ、つまり、浩之にとって、奥の手となる打撃を、最終的に勝ちたい相手、綾香に見せなかったことは、最後の最後で効果がある、と浩之は思っていた。

 もちろん、そんなことは、まだまだ先の、もしかしたら一生たどり着けないほど、先の話であるのかもしれないが……

 浩之は、気を取り直して、試合場に目をやる。

 シュバッ!

 寺町の打ち下ろしの正拳が空を切る。打ち下ろしの拳よりも、もっと下に、桃矢の身体はあった。

 スピードこそ、まだ衰えていないが、パワーが衰えているのは、その音からも推測できる。寺町は、かなり追い込まれているようだった。

 しかし、それでも、寺町は顔から笑みを消さず、そして、不思議なことに、ボディーを守ろうとさえしていない。

 かわりに、空いた左拳が、懐に入ってきた桃矢の頭部に叩き付けられる。

 いかに隠したところで、ボディーが効いていることはすでに桃矢にばれているのもわかっているのだろうが、それでも、寺町は構えを変えない。

 そして、案の定、桃矢の左ボディーブローは寺町の腹部を直撃し、寺町のフックは、桃矢のガードの上を叩いただけだった。

 そして、不思議と言えば、そこまで来ても、まだ桃矢は、寺町をつかもうとしなかった。浩之から見ても、寺町はすでに虫の息なのは確かなのに、桃矢は組み技に行こうとしない。

 寺町が弱っているのは、桃矢を、ガードごしとは言え殴っているのに、それでも桃矢の動きが鈍らないことだ。

 完調の寺町なら、打ち下ろしの正拳でなくとも、ガードごしであろうとも、ひるむには十分なダメージを入れられるはずだ。それもできないということは、かなり弱っているということだ。

「部長、仕切りなおして下さい!」

 普通は大声をあげない寺町の後輩、中谷でさえ、声を張り上げて寺町に警告している。実際、仕切りなおしてどうこうなるとも思えないが、しかし、このままやったところで、ジリ貧なのは目に見えている。

 しかし、中谷の横で、坂下は、黙ったまま試合場を睨んでいた。

 桃矢は、また上半身をゆらしながら、寺町との距離を、ゆっくりとつめる。ただ揺らすだけ、しかし、それだけでも、身体を上を狙う打ち下ろしの正拳は、酷く狙い辛いものとなっていた。もちろん、ただ揺らしているだけではない。そこには、桃矢の高度な動きがあってこそだ。

 絶対絶命というにはゆっくりだが、しかし、ほぼ修復不可能なほどに、寺町と桃矢の間は開いているように見えた。

 それでも、まだ寺町は笑っている。相手にとってはそれは不気味だ。だが、桃矢は顔一つゆがめないし、気にした風もない。

 浩之には、むしろ、桃矢が誇らしげにしているように見えた。

 寺町を、あそこまで喜ばせるのは、つまり、強いという、そして、楽しいという証拠だ。だからこそ、寺町が笑っているのを、桃矢は誇っているように見える。

 いつもなら相手にはプレッシャーとなる寺町の笑いが、今は桃矢の背中を押しているようにしか浩之には見えなかった。

 桃矢が、また絶妙なタイミングで、下にもぐりこむ。浩之でも、タイミングがつかめない。こんなものを、迎え撃つなど不可能だ、と思わせるほど、桃矢の動きは狡猾、とも言える技術を持っていた。

 寺町の右拳が放たれ、それは、一直線に、下に落ちた。

 ズガッドンッ!

 激しい打撃音と、それを打ち消すかのようなやはり激しい音が響いて。

 天から、一直線に落雷のように落ちた拳は、下にもぐりこんでいた桃矢の頭部を打ち抜き、そのままマットの上に叩き付けた。

 さっきまで、寺町が無残に負ける姿を想像していた観客達には、一体何が起こったのかわからなかった。それほどに、急の出来事だった。

 いつもの打ち下ろしの正拳とは明らかに違う軌道、しかし、確実に相手を打ち落とし、マットに叩きつけていた。

 数秒遅れて沸いた歓声に、しかし、寺町は何の反応も示さず、倒れてピクリとも動かない桃矢から距離を取った。

 そして、もとの位置に戻ると、何も言わず、そして、構えを取った。それは、浩之のときと同じだった。

 と同時に、カウントが始まる早々、桃矢の上半身は持ち上がっていた。思ったよりも確かな動きで、桃矢は顔をあげる。

 その顔は、さっきまでの仏頂面とはうって変わって、笑った顔になっていた。何が楽しいのか、肩をふるわせながら、ゆっくりと立ち上がる。

 いや、笑い顔はともかく、楽しくて笑っているわけではなさそうだった。ダメージが、肩だけでなく、身体全体を揺らしているのだ。

 しかし、倒れていないだけで、寺町のダメージも、同じか、それ以上のもののように見える。気を抜けば、上に構えられた右拳が、落ちてしまいそうになっていた。

 カウントは、当然十まで数えられることなく、桃矢は立ち上がった。

 

続く

 

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