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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(196)

 

 気持ちのいい起床、というものはどういうものだろうか?

 十分な睡眠時間を取った後、それとも、沢山食べて、ゆっくりお風呂に入ってから十分にリラックスして眠った後、起きたときに、最愛の人が横にいることかもしれない。

 そんなもの、人それぞれなのだが、寺町が気持ちよく感じる起床というのは、普通の人とはいささか違っていた。

 いや、そもそも、それを起床ということ自体、かなり間違っている。

 まず、痛みが来る。だいたい、悪夢にうなされた後のような気持ち悪いものが、身体全身を覆っている。

 まどろむ時間など、当然痛みで消し飛ぶ。そして、そこは、暖かいベットの上などではなく、冷たい床の上であったり、ゴツゴツしたアスファルトの上であったりする。

 ダメージで、身体が動かなければ、余計最高である。

 まあ、これだけでもわかるように、寺町は常識とは大きくかけ離れている。それでも、当然起きた瞬間は、最悪の気分なのだが、今そうやって、自分がゴミくずのように倒れている理由を思い出すにつれて、最高の気分になってくるのだ。

 こういうときは、たいがい負けた後なのだから。

 大勢の高校生に囲まれたこともあるし、怪物と呼ばれる人間にボコボコにされたこともある。おおよそ、普通の高校生が経験できる、ダメージによる「気絶」というものは、事故以外はたいがい経験した寺町だ。

 しかし、その寺町を持ってしても、今回の起床は最悪だった。

 一応言及しておくが、あくまで、寺町の視点から見れば、だ。他の人間が同じ状況ならば、そうでないかもしれない。

 まず、目が覚めるよりも早く、激痛が身体を襲った。

 それ自体は、大したことはない。ダメージは、今まで経験のない量ではあるので、大したことはないと表現すること自体間違っているような気もするのだが、寺町的には問題ない。

 次に、不思議と柔らかさと、暖かさを感じた。

 身体は動かない。だから、それをふりはらうこともできずに、寺町は、顔をしかめた。自分ではそのつもりなのだが、ちゃんと顔の筋肉が動いたどうかはわからない。

 痛みはいい。まるで身体が、水の中に沈み込んでいるような息苦しさと、その容器を振られたような気持ち悪さも、まあいい。

 唯一、胸の痛みが、限界を超えているような気もするが、そこは寺町、無視してもいいと思えた。

 これだけのダメージを、自分の、中学のときのような、ただ未熟なだけだった自分にならともかく、今の自分に与えられることのできる強者と戦ったことは、寺町にとって、最高の気分なのだ。

 相手が強いかどうか。そして戦って楽しいかどうか。

 自分が強くなるのは、あくまで、強い相手と戦うため。であれば、相手は強ければ強いほどいい。だから、こんな死にそうな苦しい目にあっても、楽しいと感じるのだ。

 しかし、こういうときは、硬く、冷たい場所で、動くこともできず寝っ転がって、余韻にひたることこそ、一番正しいと思っていた。

 だから、邪魔なのは、痛みや苦しみではなく、その暖かさや柔らかさの方なのだ。

 度を超えた格闘バカである寺町のこだわりは、やっぱり、一般人と比べると、いや、多分絶対的な目で見たところで、やっぱりおかしい。

 しかし、おかしかろうが、例え道を歩いておまわりさんに職務質問されようが、現行犯でつかまろうが、寺町は寺町、おかまいなしだ。

 だから、自分のその喜びをかみしめるために、その、暖かくて柔らかいものをどかすために、何とか口を開いてみる。

「……」

 声にはまったくならなかった。声が出ないほどのダメージがあるのだ、と自分の状況を見て、そこまでやった相手と戦えたことを、寺町はまた喜びに思ったが、相変わらず暖かくて、柔らかいものはどけようとしない。

 しかし、その暖かくて柔らかいものが、それに気付いていなかったわけではない。それどころか、寺町の行動を、一瞬でも見逃すまいと、じっと監視していたのだ。

 実際は、監視していたわけではなく、看病していたわけなのだが。

「部長……?」

 口が動いたのを見て、寝ている人間を起こすには小さな声で、寺町に膝枕をしている、寺町の空手部の後輩の女の子が、寺町を呼ぶ。

 ちなみに、坂下は、結局この女子の名前を思い出せない。多分、寺町という人間が個性が強すぎて、当てられて他の人間の名前が覚えられないのだろう、と、別に人の名前を覚えるのが苦手なわけでもない坂下は考えた。

 まったく、見事なまでの満身創痍だった。

 いつもなら、タフなだけタフなのに、まだ起きて来ない。それだけ、ダメージが大きかったということか。

 しかし、最後のフィニッシュはチョークスリーパーだったのだから、ダメージは大してなかったはずだ。これだけ経っても起きないほどのダメージを受けて、試合中は動いていたということになる。

 それ自体は珍しいことでもないだろう。限界点を超えると、とたんに抵抗は弱くなるものだ。それは、物理法則でも、肉体の限界も、同じようなものだ。今までたまったものが、一気に吹き出したということだ。

 心配そうにしながらも、部員の女子は、どこか嬉しそうな顔をしている。まあ、綾香にしろ葵にしろ、膝枕は大好きなようなので、その同類なのだろう、と坂下は女の子らしからぬ評価を下した。

「……凄いことになってますね」

 まったく心配していないのか、寺町の後輩、中谷が、冷静な、というよりも、あきれた顔で、苦しそうに膝枕をされた寺町の胸を見ている。

 結局、寺町はずっと空手着で通した。それでも、寺町の強さに遜色はなかったのだが、その空手着の間から見えるみぞおちに、くっきりと、拳の痕が残っていた。

 さっきの試合で、桃矢につけられたものではない。桃矢が追い打ちをかけたからこそ、ここまではっきりと見えるようになった部分はあるだろうが、この痕をつけたのは、桃矢ではない。

「骨も折れていないですし、内臓も大丈夫なようですけど、むしろそっちの方が驚きですね。いくら部長とは言え、こんな状態で試合に臨むとは思いませんでした」

 しかも、試合前から休憩中も、かなり不遜な態度を取っていた。桃矢など、相手ではないといわんばかりの態度だった。

 しかし、二ラウンド目に、寺町が桃矢の鬼の拳をやぶってからは、違った。言葉がなくとも、寺町が桃矢を認めたのがわかった。笑顔を見れば、一目瞭然だ。

 敗因は、この胸に残っていたダメージであるのは間違いないのだが、それだけでない、桃矢の実力を、寺町が無理やり引き出した結果だ。

 しかし、ダメージが残っていなければ、そう簡単に、寺町が負けるわけはない。いや、むしろ驚きなのは、寺町がダメージごときで、桃矢に不覚を取ることになったことだ。

 坂下は、何度も寺町を殴り倒しているので、よくわかっている。だから、顔にこそ出さないものの、身体が震えるほどの興奮を覚えていた。

 坂下には、浩之の最後の一撃が、見えていた。それを、正直坂下はどういうものだ、と説明できる自信はない。だが、わかることもある。

 浩之のあの一打は、もうすでに、葵や、綾香の到達している場所につま先が入っている。

 それを受けて、なお立っていた寺町が凄いのか、寺町にそれだけのダメージを与えた浩之の打撃が凄いのか。

 どちらとも言えない。だが、そのどちらであったとしても、反対のことも言えるほどに、両方が凄いのだ。

 そんなものを目撃したのだから、とりあえず、坂下は決めたことがある。

 自分の身体を震わせるほど感動させてくれたお礼に、寺町が起きたら、まず殴り倒そうと。

 

続く

 

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