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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(198)

 

 試合場には、すでに吉祥寺の姿があった。

 こちらを、まるで親の仇のように睨んでいる。しかし、それは、葵に向けられたものではなかった。これから決勝を戦う相手を、歯牙にもかけていない。

 葵を迎え入れるように、にこやかに試合場の前で待つ、綾香に、吉祥寺の視線は向けられていた。

 しかし、綾香は、それに気付かないわけはなかろうに、背を向けてそちらをまったく無視して、葵が来るのを待っている。

 ……まあ、あれだ。心臓に悪い絵だな。

 葵に付き添って近づく浩之は、そんなことを考えていた。実に心臓に悪い。綾香がそこまでにこやかになるということは、よほどの殺気を向けられているのだろう。

 これが、葵の試合の相手でなかったら、と思うと、ぞっとする。その場合、綾香は何かしらの手を使って、決闘まで持ち込むだろう。

 ばれなければいい、とばかりに、その場合は、相手に対する手加減があるとは思わない。試合が終わった選手に三角蹴りを入れるのだ。まだ勝って残っているような選手には、さて、どれだけの技が入れられるのか……

 つまり、綾香がにこやかなのは、相手の挑発を我慢しているからなのだ。もっとも、自分しか見ていないような自信過剰な相手が、自分の後輩に負けるのを、楽しみにしている、サドの毛もあるかもしれない。

「なんか、思い切り私のこと敵対視してるみたいなんだけど」

 あくまでにこやかに、いや、声すらはずんでいる綾香の言葉に、さすがに葵も、額に汗を流した。綾香の性格は、浩之よりも付き合いの長い葵にはわかっている。

「あ、綾香さん、お願いですから……」

「あ、私が乱入でもすると思ってるの? そんな無茶しないわよ、って、浩之まで同じ顔してるし」

 その声も、怒ったというよりは、からかっている口調なので、余計に恐い。

「しかし、何でそんなに綾香が睨まれるんだ?」

 浩之は、至極当然の疑問を聞いた。綾香は、一応高校女子の部では、エクストリームチャンプであるわけだし、目標としてならわかるが、そこまで睨まれるのなら、個人的に何かやったということか。

「うーん、何かやったって。せいぜい、本戦で倒したぐらいよ」

「……何か、理由と言うには十分な理由な気がするんだが」

「そう? まあ、一ラウンドで、余裕だったけどね」

 ……きっと、吉祥寺にわざと聞こえるように言っているのだろう。

 綾香が声高々にしゃべるのを見て、浩之は、小さなため息をついた。これから戦うのは、綾香ではなく、葵なのだから、挑発は止めて欲しいものである。

「去年は、まだエクストリームの戦い方に慣れてなかったって感じだったわね。今だって、一ラウンドで終わると思うけど」

 しかし、それでも、ちゃんと相手のことを覚えており、かつ、戦ったスタイルまである程度残っているというのは、綾香ならでわだろう。

 わざわざ自分から調べるようなことはしないが、対戦した相手ならば、綾香は残らず覚えているのだろう。それは、二度目に戦ったときは、成長していなければ、それこそ相手にもしてもらえないということにもなる。

「ま、本当の理由は、私が優勝したときに、対戦した相手全員のことを弱いとか言ったのがまずかったのかもねえ」

「……おい」

「リップサービスよ、リップサービス。それでも、ちゃんとわかってる人間は、それをばねにして強くなってきてるわよ。一応、友人も出来たし」

「……」

 リップサービスというのは、戦う前にするもので、勝った後に、相手をこき下ろすのに使うものではない。

「それとも何、私に、『みなさん強かったです。(優勝できたことが)夢のようです』とか、模範的な解答しろとでも言うの?」

 それこそ、綾香の魅力半減だ。不遜で、自信過剰、しかし、事実、最強であり、かつ物凄くかわいい。綾香の評価は、こういう部類のものだ。

 自分が最強と言い張る、事実最強の美少女。そのキャラは、確かに受けている。しかも、それが綾香の素でもあるのだ。

 やろうと思えば、どこまでも猫をかぶれるのだろうが、そこをかぶらないからこそ、猫のように気まぐれな天才なのだ。

「ま、それなりに練習はしてきたみたいだけど、まだまだね。葵に任せるから、ちゃっちゃと料理してきて」

「と、言われても……」

 葵の見立てでは、吉祥寺に勝つのは、難しい。吉祥寺が成長したとしても、一ラウンドで吉祥寺に勝った綾香の強さは、一体どこにあるのだろうか?

「葵」

「は、はい」

 急に、真面目な口調になった綾香に葵は背筋を伸ばした。

「待ってるから」

 葵は、感極まって、自分でも泣き出すのではないかと思った。その嗚咽を、喉の奥に飲み込んで、元気に、答える。

「……はいっ!」

 綾香の決定的な言葉で、葵は、試合場に身体を向けて、歩を進めた。その背中は堂々としていて、少し前までの上がり症など、どこにも見る影はなかった。

 葵の姿が、邪魔だとばかりに、吉祥寺選手が顔をしかめる。ここまで来ても、まだ葵の姿は吉祥寺の目には写っていないようだった。

 しかし、それでも、少しも葵の気は衰えなかった。今、自分が眼中にないのなら、戦って目を覚まさせればいいだけだ。

 吉祥寺選手は強い、それはわかるが、自分だって、劣るものではない。葵の中には、ちゃんとその自信が根を張っていた。

 二人がそろったのを見た審判が、試合場に入ってくる。

「それでは、ナックル・プリンセス、予選決勝戦を、開始します」

 その宣言に、わっと、体育館の中が揺れる。ここまで来ても、観客はまだほとんどが残っていた。お金も取っていないのに、満員御礼と言ってもいい観客の入り様だった。

 今日、最後の試合だ。誰も見逃す気はないだろう。

 観客が静まるのを待って、審判は手を前に出した。

「それでは、レディー……」

 葵は、いつもの左半身の構えを取った。何度も何度も、気が遠くなるほど構えた構え。

 吉祥寺選手は、もっと攻撃的な、ボクシングのように腕をたたんで、しかし、同じように左半身の構えを取る。

 初めて、吉祥寺選手と葵の視線が、交差した。

 それと同時に、葵は、相手に認めさせるとか、そういう類のものを頭から忘れていた。ちゃんと吉祥寺は、葵の姿を見ていたから。

 少しだって、油断などしてくれる気配は、なかった。それは、つまり葵をちゃんと見ているということだった。

 瞬殺の可能性は絶たれたが、それを悔しいと思う気持ちは、葵にはなかった。

 思う存分、この強者相手に戦えるという高揚感だけが、葵の中に残る。

「ファイトッ!!」

 

続く

 

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