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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(199)

 

「ファイトッ!!」

 歓声が、体育館をとどろかせた。

 しかし、葵も吉祥寺も、お互いに焦って攻めたりはしなかった。

 まずは、お互いに、左に円を描きながら、相手の出方を探る。

 相手が組み技相手ならば、葵も開始早々に突っ込もうかとも思った。だが、同じ打撃系相手では、うかつにそういうことはしない方がいいだろうと判断したのだ。

 確かに不意はつけるかもしれないが、不意をつける可能性よりも、十分に待ちかまえられている可能性の方が高かった。

 そこは、経験の多いであろう吉祥寺のことだから、ぬかりはなかろう。

 それよりは、相手が、開始早々突っ込んでくる可能性を考えて、守りに回った方が良い、と思ったのだ。

 だから、立ち上がりは、本当に普通の打撃系の試合そのものになってしまった。

 そのもの?

 その瞬間、葵は背筋に冷たい感触を覚え、とっさに、後ろに飛んでいた。

 シュビッ!

 さっきまで葵のいた場所を、吉祥寺のキックが、辛くも空ぶりして通過した。とっさのことに、葵はすぐに反撃には行けなかった。

 先制の攻撃に、それだけで場内が沸く。が、吉祥寺はそれに何の反応も示さずに、また、葵との距離を少し縮めた。

 そうだ、これは、打撃戦の距離。

 打撃の場合、あまり遠くに離れたままという試合はない。エクストリームでは、どうしても相手の出方が不明瞭な点があるので、誰も彼も大きく距離を取る。

 吉祥寺選手も、今までは距離をとっていたはずなのに、ここに来て、かなり近い、つまり、打撃が当たるか当たらないかの距離まで、通常の距離を詰めていた。

 それにすぐ気付けなかったのは、空手出身の葵にとっては、その距離の方が慣れ親しんだものであるのもあったが、やはり、経験不足という部分もいなめないだろう。

 吉祥寺選手は、葵には組み技はない、と判断しているのだ。今までの試合で、葵はほとんどのものを見せている、それを、わかっているとでも言わんばかりだった。

 だが、葵はそう言われても、言い返せない。確かに、将子や、篠田選手という強敵達と戦って来て、葵はほとんどのものを出してしまった。残っている隠し技など、はっきり言って、できない完璧な崩拳以外はない。

 対して、吉祥寺選手は、まだ何かしらの技を残しているだろう。ここまで見せたのは、特殊なのは、せいぜい相手を捕まえてからの膝のみだ。

 だから、せめてというべきか、葵は、一応対策を考えていた。何のことはない。掴まれないようにするだけなのだが。

 掴まれないようにする方法は、やはり簡単。

 自分から、組まないことだ。吉祥寺選手の動きを見る限り、守りには十分な練習を積んできているようだが、攻撃には、さして経験を積んでいるとは思えなかった。

 何せ、今の今まで、組み技で攻めたことがないのだ。あくまで、相手の動きに対処する形でしか出していない。

 仕掛けなければ、組み技をしかけられることはない。反対に、しかければ、あまり技術的にうまいとは言えない葵では、簡単に捕まってしまうだろう。

 あの膝は、防御しきれない。見えないところから、蹴られるのだ。威力も十分だし、はっきり言って、出される体勢になると、どうしようもない。

 組み技で攻めない、ということは、吉祥寺選手が、得意とする打撃で戦うということなのだから、有利というわけではないのだが。

 葵としては、望むところだった。吉祥寺選手が組み技で攻めてくるつもりなら、おそらくできるだろう隙に、打撃をたたき込むだけだ。

 そもそも、自分は、打撃を使って、エクストリームに勝とうとしているのだ。今更、それぐらいのことで引けない。

 打撃戦? 望むところ、です!

 つつっ、と葵も前に出る。吉祥寺選手の方がリーチが長い。自分も攻撃するためには、ほんの十センチ足らずの距離、つめておかねばならない。

 しかし、その、自分が届かず、相手が届く距離が、一番危険なのだ。

 バシィッ!

 避ける間もなく、葵の脚に、吉祥寺のローキックが入る。しかし、それは葵の読む内の中の攻撃だ。ちゃんと脚をあげて、衝撃を流す。一瞬、びりっと来る痛みが走るが、その程度で葵の動きがすぐに阻害されるわけではない。

 重い……何度も受けるのは、得策じゃない。

 そう、すぐには阻害されないだろうが、何発、何十発と受けていれば、やはりダメージは蓄積されていく。

 ローキックに邪魔されて、懐に入れなかった葵は、吉祥寺が何らリスクを追わずにキックを出せる距離から、いったん離れる。

 実際、そのローキックはやっかいだった。最初の、見せ技のキックとは違う、ちゃんと腰の入ったキックだ。しかも、打った後の隙も、ほとんどない。

 距離を取れば、隙ができるだろうが、そんな距離では、吉祥寺から仕掛けてくることはなさそうだった。

 自分の有利な距離でしか動こうとしないのは、それだけでわかった。何せ、たったほんの少し下がっただけで、まったく追撃して来ないのだ。

 自分の距離以外では、戦う気もないってわけか……

 冷静であり、そしてうまい。リーチという有利を、一番有効に使おうとしている考えが十分に読める。

 やっかいな相手だ、と葵は改めて思った。効率の良いものだけを選んで攻められるというのは、一発には怖さは少ないし、読めるのだが、しかし、読めたところで、どうしようもない部類の攻めである可能性が高い。

 このローキックの攻撃は、まさにそうだ。避けるのは難しく、さりとて、反撃するのは無理があるし、直撃は、何よりもやばい。

 しかし、これぐらいは、という思いがあるのも確かだった。

 この考えでは、リーチの短い者は、リーチの長い者に、絶対勝てないことになる。

 そんなわけはないのだ。現に、綾香は、ほとんどの相手が、綾香よりも手足が長かったし、身長も、体重も、ほとんど綾香が負けていたろう。

 こういう、待ちタイプは、少しゆらしてやれば、十分対処できる。もちろん、多少のことでは、吉祥寺選手は崩したりしないだろうけれども、ほんの少し、自分の攻撃できる距離までならば、十分何とかなる。

 クックッ、と葵は、その小さな身体を小刻みに動かし始めた。リーチが短く、体重の軽い葵は、他の選手の誰よりも、素早く全身を動かせる。

 短所を攻められるのなら、長所で対抗すればいい。単純な話だ。どうにもできない短所なら、それを長所に変えるまで。

 いかに経験が豊富とは言え、吉祥寺にしても、おそらくは、ここまで小柄の選手を相手取るのは初めてだろう。

 そこに、つけいる隙がある。なければ、こじ開けるのみ。

 葵の身体が一瞬沈む。攻撃される前に、距離をつめるつもりだ。少なくとも、吉祥寺選手はそう判断したろう。

 飛び込む葵に合わせれば、カウンターになる。そうなれば、一撃なのだ。

 葵の身体が、前に飛び込むように動く、と見せかけて、ギリギリのところで、動きを止める。

 それも、吉祥寺は読んでいた。だから、脚を出さなかった。

 そこから、さらに飛び込まれるのも、予想に難くなかった。その程度、読むまでもない話だった。

 だが、吉祥寺の読みを外すものが、葵にはあった。

 吉祥寺の予想以上の速さで、動きが止まったと思った葵の身体は、前進を開始していた。その予想を超えた動きの分だけ、葵は距離をつめるのに、成功した。

 そこはもう、吉祥寺だけの距離では、ない。葵にも手の、脚の出せる、距離だった。

 

続く

 

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