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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(200)

 

 葵が、自分の攻撃の間合いに入ったと思う間もなく、身体が的確な距離になった瞬間に、脚を繰り出していた。

 遊びの部分が一切ない、一番最短距離を、一番最速の技でだ。

 たかが、ほんの十センチ足らずだが、それだけの距離をつめるだけで、吉祥寺選手は、攻撃の意思を無くしたかのように、葵のローキックを、素直に受け流す。

 バシィッ、と音はしたものの、それは葵が受けたのと同様、多くのダメージを与えるには至らなかった。かつ、勢いも逃がされたので、体勢がわずかではあるが崩れ、連続技につなぐわけにもいかず、左ジャブで、吉祥寺選手が攻めてくるのをけん制することしかできなかった。

 その攻防が終わると、すぐに、二人の距離は離れた。とは言っても、攻撃範囲内ではないというだけで、そう遠くには離れていない。

 葵としては、吉祥寺選手だけの打撃の間合いから逃げる瞬間こそが、一番危険であったのだが、守りにまわった吉祥寺選手は、そこから攻撃に転じることもなく、素直に葵を逃がした。

 しかし、葵に危険であるということは、場合によっては、葵にとってチャンスになる瞬間でもあるのだ。それを吉祥寺は嫌ったのかもしれない。

 葵としては、正直、あての外れた攻防になってしまった。

 うまく行った部分がないわけではない。吉祥寺選手が、いかに警戒していたとしても、自分が攻撃の範囲に入ることができるということと、ローキックを一発、受け流されたとは言え、入れることができたのだから、まったく収穫がなかったわけではない。

 しかし、もし、あそこで吉祥寺選手が、守りではなく、攻撃、おそらくはローキックになるだろうが、を放っていたなら、葵は、ほとんど一方的に打ち勝つ自信があったのだ。

 いかに吉祥寺選手が攻撃のスピードに自信があろうとも、葵だってスピードに関しては、負ける気はない。そもそも、こまわりの効く軽い身体は、ことスピードに関しては、そうそう不覚を取るものではないのだ。

 同時に打撃を繰り出したのならともかく、今回は、葵の方が先に攻撃を放っていた。ならば、葵のローキックの方が、確実に早い。

 受け流せない状態で受けるローキックは、想像以上に効く。確かに、自分も受け流せないだろうが、相手がダメージを受けた直前ならば、どうしても相手の打撃の威力は落ちる。

 以上の考えから、葵としては、さっきはローキックの打ち合いになってもよかった、いや、打ち合いになった方が良かったのだ。

 しかし、吉祥寺選手は、そんな危険な賭はしてこなかった。素直に守りにまわったのは、例え、葵の動きを、リーチ差という利点で完全に封じることができなかったとしても、このままで、十分自分の方が有利、と考えたのだろう。

 だから、吉祥寺選手はあせらなかったのだ。

 それより、不完全な受けでローキックをくらうよりは、守りの完全な状態で受けた方が、後々楽だと判断したというわけだ。

 葵の思惑をほとんど封じたという意味では、吉祥寺の行動は、正しかった。

 まだ、双方合わせても、たった四発の打撃の交換だけで、葵は、十分に、吉祥寺の冷静さを評価していた。戦う前も、あなどってはいなかったが、戦うからこそ、見えてくるものもあるということだ。

 吉祥寺は、葵のことをどう思っているのかはわからないが、少なくとも、葵のことを弱いとは思っていない対応だ。

 それとも、吉祥寺選手は、相手がどうあれ、自分のスタイルを変えないつもりなのだろうか?

 葵は、その予測を、すぐに、それはなかろう、と判断した。

 変えないどころか、吉祥寺選手は、むしろ相手に合わせて、戦い方を変えている。だからこそ、どの試合も、主軸にするもの、決める技、全てが違うのだ。

 どんなパターンにも、吉祥寺選手は対応できる。打撃が主で、事実、打撃のみで戦っているはずなのに、それでも相手に対応できるというのは、恐ろしいまでの経験と言える。

 相手の苦手としているものを選ぶのは、有効なのだが、それが、打撃、組み技、のように、おおまかなものに分かれているのならともかく、打撃のみで細かく対応しているというのは、驚異だ。

 葵も、相手の弱点をきっかけに、攻略するということはやってきたが、それで決める、までには到達できていない。

 打撃自体も素晴らしいが、それにもまして、汎用性、とでも言おうか、いきなりの相手に、素早く対応できる広さが、吉祥寺選手の強さの一つなのだと、葵は感じた。

 吉祥寺が、肩で入れるフェイントに、最低限の反応をしながら、葵は、次の攻めを考えていた。その間も、吉祥寺は、手、というか、脚を、何度も葵に打ち込む。

 その攻撃を見ても、葵が入るための、少しの隙を、吉祥寺はなかなか見せない。見せたとしても、それに葵が全部入れるわけではないのだ。だから、葵はすぐに攻めることができない。

 待っていれば、葵は不利になっていくだけなので、攻めたいのだが、吉祥寺は、それを、肩や脚のフェイント、たまには実際のローキックで、うまく間を外してくる。

 地味ではあるが、うまい作戦だった。吉祥寺は、無理せず、自分が十分に逃げることのできるときに、攻撃を出せばいいのだ。それまでは、葵の足止めをしておけばいいだけなのだ。

 素人が見れば、お互いの動きは最小限で、にらみ合った、膠着状態にも見えないでもなかったが、実際のところは、入ろうとする葵と、それを止め、隙あらば攻撃に転じる吉祥寺の、かなり高度な攻防が繰り広げられていた。

 もちろん、わかる人間は、それをかたずをのんで見守っている。

 葵が、吉祥寺のフェイントを警戒して、攻撃を止めた瞬間を狙って、吉祥寺はジャブやローキックを打ち込んでくる。

 ジャブの方は、単なる見せ技、ローキックに慣れさせないためのものだが、そのローキックは、すでにあれから三発、受け流してはいるものの、葵の脚にヒットしていた。

 さらに、避けることのできないと判断した四度目のローキックを、受けようとした瞬間、その脚が、跳ね上がっていた。

 ドカッ!!

 さっきまで下で振られていたはずの、吉祥寺の脚が、一瞬後には、葵の頭の横で、葵の両腕のガードの上に、叩き込まれていた。

 それは、まるで手品のような動きだった。さっきまで、下にあった脚が、膝から円をえがくように、軌道を変えて跳ね上がり、気がついたときには、ローキックは、ハイキックとなって葵を襲っていた。

 が、その急激な変化に、葵は追いつき、両腕でガードしていた。威力を受け流すことこそできなかったが、両腕で力を込めたガードは、ちゃんと間に合っていた。

 ローキックが前蹴りで、かつ、一度でもその技を見ていなかったら、葵でも危なかった。それほどの、変則蹴りだった。

 助かったのは、一度、その変則蹴り、そのときはローキックではなかったが、を見ていたことと、ローキックであったので、膝から根本の動きが大きく、葵が気が付くだけの余裕を与えたことだ。

 ローキックの連続で、相手がそれに慣れたことを見計らっての、ローからハイへの変則蹴り。

 ローキックに慣らせないためと思っていたジャブも、これを隠すための布石だったわけだ。ほとんど回避しようのない罠だった。

 葵も、後一歩で、その毒牙にかかっていたところだ。誰でも、距離を取って落ち着く時間を必要とするような、きわどい攻防だった。

 しかし、葵は違った。危機一髪だったということは、それを回避した以上、それは、葵にとっての、最高のチャンスということだ。

 油断ない吉祥寺に対抗するためには、相手に攻撃に合わせるしかない。葵は、だから自分が危なかったと頭が理解する間もなく、身体が理解した瞬間に、前に出ていた。

 吉祥寺だけの攻撃の距離から、葵の打撃も届く距離まで、一瞬で縮まる。それで十分。それ以上の猶予など、吉祥寺が与えるわけがないのだから。

 迷うことなく、葵は、ローキックを放っていた。それが一番速く、相手との最長距離を、最短で到達する方法だったからだ。

 それに、吉祥寺は、やはり冷静に、守りに入る。すでに、攻撃を行ったときの、身体の隙はほとんどなくなっていた。

 と、その瞬間、葵の身体に、驚くべきことが起こった。

 確かに、吉祥寺の身体の隙は、ほとんど消えていた。だが、心の隙は、それよりもわずかだけ、開いていた。意識するまでもなく、葵の身体は、そこに打撃を叩き込もうとしていた。

 くんっ、と吉祥寺の脚に当たるはずの葵の脚が、動きを変え。

 ローキックを放ったはずの、葵の脚は、一瞬で、高く、振り上げられていた。

 

続く

 

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