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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(203)

 

 不利を、葵は承知している。

 だからこそ、攻めるつもりだった。攻めることが不利だとわかっているのに、攻める。一見、無謀なだけにも見えるが、それだって、守るよりは、よほど葵にとっては正しい行為。

 吉祥寺は、ステップを踏みながら、葵との距離を測っている。距離を掴まれるようなジャブは多くを出させていないし、そもそも、一定の距離でじっとしている葵でもないので、二人の位置は、小刻みに動いていた。

 待っているのと、攻めるのとでは、間合いの取り方は、後者の方が難しくなる。前に出るとは言え、ただ特攻すればいいというものではないのだ。

 とくに、吉祥寺はリーチの長い選手であり、その利点を一番生かせる距離を測ろうとしていた。攻める、と言っても、感覚を開けた中距離の方が、吉祥寺には有利だということだ。

 しかし、葵は、動き、そしてリーチをあまり伸ばさないジャブで、けん制を繰り返す。それと同じように、吉祥寺もジャブを繰り出し、距離を測っている。

 まるでボクシングのような攻防だった。お互いに、距離を取っていたかと思うと、その半歩分だけ前に出て、ジャブを打ち出す。

 それを、二人は二人とも、鮮やかに後ろに横に避け、また射程外に逃げる。

 ジャブだけの攻防を、二人はくるくると回転しながら行う姿は、まるでダンスのようになめらかだった。

 観客も、そのダメージも派手な技もない攻防に、見とれている。それほどに、二人の動きには無駄がなく、そして速い。

 その均衡を破って、先に仕掛けたのは、吉祥寺だった。

 まるで、もう距離は測り切ったと言わんばかりに最長距離から、左ジャブが繰り出される。

 ジュバッ!

 と同時に繰り出された右ハイキックを、葵はすれすれでかわし、体勢不利と見て、一歩距離を取った。

 その距離を取ったもの、ほんの一瞬のこと、すぐに、また半歩で攻撃距離までつめる。後ろに下がっていたところで、何も益がないことを理解していたからだ。

 しかし、当然すでに吉祥寺には、つけいる隙はなかった。

 ジャブとほとんど同時に繰り出させる、左から右への連携だ。しかも、吉祥寺のハイキックは、上からひねり落とされるような角度で来るので、酷く見え辛い。

 吉祥寺も、自分のキックの特性を良く心得ているのだろう、ジャブは、下から潜り込んでくるような角度だった。

 真っ直ぐではなく、少し腕を曲げる体勢でなお、最長距離を狙ってこれたということは、ジャブに関しては、ほとんど距離をつかんだ、ということだ。

 もちろん、葵だってただ測られていたわけではない。ジャブの距離を短くして、相手に自分の攻撃の間合いを読ませないようにしているし、吉祥寺のジャブのタイミングを何度も見たからこそ、さっきのコンビネーションも避けることができたのだ。

 距離をつめれば、もしかすれば、と葵は少し思っていたのだが、それも、ハイキックの角度を見て、考えを改めた。上からたたき落とすような蹴りは、タイミングを合わせて入って来た相手にたたき落とすには丁度いいのだ。それがタックル狙いならまだしも、打撃狙いでは、いい標的になってしまう。

 最低、懐に飛び込むときは、ハイキックは封じねばならないだろう。もっとも、吉祥寺選手の場合、膝があるので、ハイキックを封じてもまだ安心とは言えないが。

 次に吉祥寺選手が前に出るのに、合わせよう。ジャブは、タイミングを何度も見て、ある程度読める。そこから派生するなら、まずジャブをかいくぐって、コンビネーションを。

 そうわざわざ思ったわけではなかったが、葵の身体は、それを思ったと同じように、吉祥寺の動きに合わせて、動いた。

 ただ、吉祥寺は前には出て来なかった。

「っ!」

 葵は、慌てて後ろに逃げようとしたが、しかし、間に合わない。

 バシィッ!

「くうっ!」

 前に出るフェイントにあっさりひっかかった葵の左脚に、吉祥寺の狙いすましたようなローキックが入った。脚を浮かせる暇もない。ダメージをほとんど殺せず、直撃だった。

  次につなげるつもりがないというより、次を考えず、このローキックだけを入れるつもりで巧妙なフェイントをかけた吉祥寺は、追撃にタイムラグがあったので、葵は何とか力の抜けそうになる脚を引きずって、距離を取る。

 見るからのクリーンヒットに、観客がわっと沸き、綾香は無言で、浩之は、何かよくわからない悲鳴とも取れる声をあげていた。

 ずしり、とした痛みが、左脚にある。見事にクリーンヒットを許してしまったのだ。

 顎のように、それ一撃で決まるものではないが、葵が篠田選手に勝ったのは、ローキックが効いたという事実もあるように、勝敗を十分左右する一撃だ。

 葵の鍛えた脚は、致命傷こそなっていないが、今度こそ大きなダメージを受けてしまった。葵は、痛みに顔をしかめそうになりながらも、表情を消して吉祥寺に相対していた。

 均衡を破るには、丁度良いダメージだ。吉祥寺は、これを幸いに執拗に攻撃を繰り返すのは目に見えていた。しかも、葵は脚へのダメージで、動きがどうしても鈍くなる。

 と思ったときには、吉祥寺は両腕をおろして、一歩前に出ていた。その身体の動きから、左脚だけが取り残されたような格好になっていた。

 ズバシィィィィッ!

 来るっ! と意識したときには、すでに葵はガードを終えており、その上を、たたき落とすような吉祥寺の渾身の左ハイキックが襲っていた。

 避けられるとか、次につなげるとか、そういうものを無視した一撃に、葵の身体が大きく後ろにはじき飛ばされる。ガードの上からであったのに、口の中が切れて、血が口からプッ、と吹き出した。

 重い、それに、鋭い。

 ガードを通しても中に入ってきたダメージに理性を持っていかれそうになりながらも、葵は賢明に考えていた。ここで理性を飛ばされては、それで、本当に終わる。

 だから、葵は必死に顔を下げなかった。見ていなければ、避けることはできない。だから、ダメージがあろうとも、顔だけは上げて、目だけは開いておくのだ。

 必死に取り繕う葵の目に、吉祥寺が、また一歩、腕を伸ばして、前に出るのが見えた。それは、まるでバレリーナのように華麗だった。

 だが、次の瞬間に繰り出されたのは、そんな優雅なものとはまったく違った、スピードまかせ、力まかせの、全力の右ハイキックだった。

 ドバシィィィィッ!

 今度は、ガードが少し甘かった。二度も、吉祥寺ほどの選手の全力のハイキックを、受けきれるほどのガードを、葵は持っていなかった。

 半端なガードと、浮ついた足腰では殺しきれなかった右ハイキックの威力が、葵の身体を跳ね飛ばすことで、それを消費する。

 まるで玩具のように、葵の身体が吹き飛び、マットの上に落ちた。

 

続く

 

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