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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(206)

 

 安定した作戦で戦わせても、戦略を無視した力押しで戦わせても、どちらもできる。

 吉祥寺選手の幅の広さは、正直反則だ、と葵は思った。

 一ラウンドは、何とかイーブン、または少し自分が不利程度で済んだが、だからと言って、二ラウンドも同じようにこなせるとは、とても思えない。

 だいたい、同じようにこなしては駄目なのだ。引き分けるためだったとしても不利なのだから、勝つのが目的である葵にはまったく意味のない話になる。

 もっとも、そう簡単には、有利どころか、現状維持さえ難しいのは、今更の話。

 左半身の、スタンダードな構えで距離を測りながら、葵は思案していた。どう攻めたものか、考えあぐねているのだ。

 相手が攻めて来てくれれば、例え何も考えていなくとも、身体が勝手に反応してくれる。してくれなければ、格闘家ではない。しかし、一度休憩という間を置いたのがまずかったのか、攻める方の手を考えつかない。

 しかし、守っている訳にはいかない。待ちでは、吉祥寺が一方的に有利なのだから。

 だからと言って、このまま真正面から攻め合ったとしても、何か得るものがあるかと言われると、正直、葵は思いつかない。

 自分が緻密な作戦で動くタイプではないのはよくわかっている。だからと言って、何も考えずに前に出るのは躊躇された。

 吉祥寺選手から攻めて来ないのは、間違いない。待っていた方が、このレベルになれば有利なのだ。コンビネーションの途中ならともかく、最初の一発は、吉祥寺選手から見れば、一番狙い易いだろうことははっきりしている。

 でも……

 葵は、拳を握りしめた。手の平は、汗ばんではいなかった。

 自分の心よりも、拳の方が、よほど落ち着いている。

 その事実に、葵は苦笑してしまった。これしかない、いや、なくとも、これだけは、と思っている格闘というものは、やはり、間違っていなかったのだと。

 悩む前に、身体を動かせばいい。その方が、ずっと信用できる。

 タンッ

 思うよりも先に、身体は動いていた。レスポンスの速さだけは、誰にも負けない。スピードならば、吉祥寺選手にだって勝てる。

 小さい身体が、まるで弾丸のように吉祥寺に向かって走る。一ラウンドは、距離をあまり離さずに戦っていた以上、吉祥寺が葵の突進を間近で感じるのは初めてだった。

 だからと言うわけではないのだろうが、吉祥寺は隙を突かれたのか、一瞬体勢が崩れる。それだけあれば、葵が接近するのは十分な時間だ。

 十分な距離までつめよった葵は、左アッパーからコンビネーションを開始する。アッパーに、ジャブのようにカウンターを合わせるのは非常に難しい。しかも、葵のそれは間合いをつめるために踏み込んだ力を乗せて、左腕をしならせるようにしながら打ち込むスナップの効いたアッパーだ。拳はそう強くは握り込まず、あごに当たった瞬間に引く、隙の少なく速い、しかし、直撃すれば相手を間違いなく脳しんとうを起こさせるアッパーだ。

 パンッ!

 吉祥寺は、それを右手の平で受ける。スナップで打っているジャブでは、相手の防御を突き抜ける、という種類のダメージは当てることができないが、吉祥寺の右手を完全に防御に使わせるだけのスピードはあった。

 腕を引く力をそのまま利用するように、葵はさらに右ストレートを放つ。吉祥寺は、コンビネーションを装うしていたのだろう、それを至近距離にもかかわらず、スウェイして避ける。

 真っ直ぐ伸びるストレートを、スウェイ、つまり後ろに身体をそらして避けたということは、脚は残っているということだ。

 それを頭で理解したわけでもないのに、葵はコンビネーションの最後の打撃をハイキックからローキックに変更していた。

 バシィィィッ!

 しかし、吉祥寺は恐るべき足腰の強さで、素早く上体を戻し、脚を上げてガードしていた。さらに、そこから、吉祥寺の肩が動いたのに、葵の身体は反応していた。

 スパァンッ!

 ストレートを打った後に引いた右手で、葵は吉祥寺の左ストレートを受けた。ガードするために、さっきまで脚をあげていた者の放つ拳とは思えないほどの音をたてて、吉祥寺のストレートは、葵の右手のガードに突き刺さった。

 貫く、と言う言葉がぴったり当てはまる打撃の質だった。ガードしても、そこを突き抜けるような打撃の質に、葵は一歩下がるしかなかった。

 もう少し打ち合っていたかった。葵はそう思ったが、それは、つまり気分が高揚しているということだった。

 休憩で、一度冷えた身体は、もう十分にほてっていた。テンションも、すでにあがりだしている。

 始動の攻撃としては、十分な効果を出せたことに、葵はまずは満足することにしようとしたが、うまく行ったからこそ、満足できない。

 コンビネーションはオーソドックスなものだし、葵も何度も見せて来たが、とっさにローを狙った以上、読めはしなかったはずだ。

 しかし、吉祥寺は完璧に葵のローキックをガードしている。葵のモーションや動きを見て、ローキックが来るというのを読んだということだ。

 もし、スウェイしたのが、ローを打たせるための罠だとしたら、それこそ怖ろしい相手。

 葵だって、吉祥寺の肩の動きから、左ストレートを読んだ。体勢が崩れたまま打撃には来ないだろうと、普通なら思ってしまう場面、いや、来ないだろうというより、打てないはずなのだ。

 つまり、吉祥寺は、それを最初から狙っていたはずなのだ。

 この考えをまとめれば、やはり、吉祥寺は葵にローキックを打たせるためにストレートをわざわざ避けにくいスウェイで避けたということになる。

 その妄想にも似た分析に、葵は身体が震えるのを感じた。恐怖からではない、歓喜からだ。

 自分が、間が開いてしまったことによって下がった精神のシフトを、無理矢理動くことによって上げようとしている中、吉祥寺選手は、すでに自分を倒すことを考えていた。

 葵と、吉祥寺の差。それはやはり、経験だ。

 経験だけ、というけれど、その経験が、この吉祥寺選手には十分に効果をあげている。その格闘技のレベルだけでも、十分に強敵なのに、さらに、そこに自分にないものがある。

 よく考えている。自分のように、がむしゃらに前に出るだけではない、相手の動きを読んで、ちゃんと対応してくる。

 強い訳だ。自分が、勝ちたいと思うには、十分な相手だ。

 それでも、胸を借りる、などという殊勝なことを、葵は考えなかった。葵にも、プライドがある。いや、葵のプライドなど、掃いて捨てればいいが、今まで自分が勝って来た相手への、尊敬はある。

 勝てば勝つほど、今まで勝って来た人の何かを、葵は背負っていると思っていた。少なくとも、無様な試合だけは、できない。

 そして、がむしゃらにつっこむことは、葵にとっては、無様ではない。それが、葵という格闘家の戦い方なのだから。

 

続く

 

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