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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(207)

 

 葵と吉祥寺との距離が、また短くなる。攻撃が当たる、ほんの手前の距離まで、最初からつめておくのだ。

 あと少し、足が前に出れば打撃の届く距離に、二人はやはり申し合わせたように距離をつめた。

 距離が近いのは、葵としては望むところ。組み技をまず警戒することのないこの二人の戦いならではの距離だが、打撃系の格闘家ならば、普通に経験している距離だ。

 ジャブやローキックでの牽制をお互い繰り返すことになるが、キックボクシングのように、グローブをはめているのならともかく、エクストリームのウレタンナックルでは、ジャブ自体にはそうダメージはない。

 ローキックはともかく、気の抜けたジャブでは、ダメージはないのだ。

 誤解があるようだが、ボクシングのグローブは、拳のダメージを殺すだけではないのだ。

 物体を破壊する、という点においては、グローブは邪魔者以外の何物でもない。柔らかいもので保護されていた方が壊れないのは当たり前の話だ。

 だが、衝撃という部分だけ取れば、グローブは決して邪魔ではない。

 とくに、軽く打つジャブなどは、グローブをはめていた方が効くのだ。素人がそれを聞くと不思議に思うのだろうが、衝撃を伝えやすいのは、グローブをはめていた方なのだ。

 だから、ジャブは、ボクシングでは最重要、キックボクシングでもかなり効果の高い技となる。

 しかし、エクストリームとなると話は違う。ウレタンナックルごしとは言え、グローブと比べれば、薄い生地だ。

 だから、当たって痛いのはウレタンナックルだが、ジャブに関して言えば、単なる軽いパンチ。効きなどしない。

 距離を見る以上の効果は、ほとんどないのだ。だから、葵としては、あまりジャブの応酬というものは喜ばしいことではない。

 距離をよりわかっていなければならないのは、リーチの長い吉祥寺の方だからだ。葵は、むしろ近づいて、当たるに任せて連打したい。その方が吉祥寺との相性から言って有利だ。

 しかし、距離が近いとは言え、葵よりも先に吉祥寺の射程距離に入ってしまう。だから、結局手数は減り、少ない隙には、ジャブを割り込むのがやっとということろもある。

 一ラウンドは、ほとんどこれを打ち破るのに時間を取られた。今でも打ち破っているとは言えないが、しかし、吉祥寺が前に出て来てくれているのは、成功した、と言っていいだろう。

 お互い、相手の出方を見るのではなく、相手を打倒するためだけに攻撃を繰り出すつもりなのだ。

 突然、吉祥寺が前に出る。今まではむしろ後の先を取るのに専念していた節があったのだが、そこからいきなり攻めに転じて、葵の隙を狙ったのだ。

 ほんの半歩の前進だが、キックを当てて、全体重を乗せるには十分な距離なのだ。

 しかし、葵だって、それぐらいのことは警戒している。その距離から、キックしかないと判断した瞬間に、吉祥寺の左側に回り込もうとした。

 普通は、打撃に回転力がかかるので、相手の打撃を流した状態ではない限り、相手が左半身に構えている場合の左には行かない方がいいのだが。

 この距離であるのなら、そちらの方がいいと判断したのだ。左に入ることで、左の前蹴りを警戒する必要がなくなり、さらに、キックならば、より左奥に入ることで、右も警戒する必要がなくなる。

 ただ避けるだけなら後ろに逃げればいい。しかし、この左に入る動きは、相手との距離を縮めることができる。距離が縮まれば、葵が攻撃できる。

 キックの撃ち合いでは、相手に逃げる時間を与えてしまう。もっと、間隔の短い、拳でのラッシュを打ちたいのだ。

 相手のふとももがあがったのを横目で確認しながら、葵は吉祥寺の左側に入り込んだ。いかに身体があまり半身ではないとは言っても、片足でこちらを振り向くことはできない。

 入れた、と葵が思った瞬間だった。

 ドンッ!

 葵は身体に、強い衝撃を感じて、そのまま横に飛ばされた。

 何をやられたのかわからないまま、葵はすぐに崩れた体勢を整えるが、しかし、それよりも、吉祥寺の方が動きが速かった。

 シパパンッ!

 右、左、右のコンビネーションが、葵に浅く入った。

 とっさに、後ろに飛んでいたので、直撃こそ免れたが、したたかにダメージを受けて、葵は距離を取るしかなかった。

 しかし、それでも葵はダメージを押し殺すように、素早く守りの構えを取った。追撃を、吉祥寺はして来なかった。ダメージが浅かったのを見て、追撃が完全に決まらないと読んだのだろう。冷静で、少しも強引ではないその戦い方のおかげで、葵は九死に一生を得ることができた。

 葵は、間違いなく吉祥寺の右足が浮いてから左に回り込んだ。あそこからの打撃はないはずだった。しかし、ダメージは少なかったが、確かに何かしらの打撃を打たれた。

 ……そうか、肩……

 ダメージが身体の動きを阻害していないのを確認しながら、吉祥寺が何をしてきたのか、葵は考えて、答えを出した。

 吉祥寺の左肩を、身体にぶつけられたのだ。つまりは、吉祥寺は体当たりで葵の身体をはねとばしたのだ。

 吉祥寺の方が身体が大きいのだ。体重をかけられてぶつかられたら、葵の身体など簡単にはね飛ぶだろう。

 もっとも、体当たりなど、そう簡単に当たるものではないのだが、葵は左に入り込むことによって、吉祥寺との距離を縮めた。体当たりは近ければ近いほど、避けるどころか、やられたかどうかさえわからなくなるのだ。

 この技は見ていたのに……

 吉祥寺が肩を使って相手をはねとばすのを、葵はちゃんと見ている。それを頭の中に入れていなかったのは、葵の完全なミスだ。

 葵の練習相手に、肩を使ってくる相手がいなかったというのが、おそらくは大きいのだが、それは葵にはいい訳にはならない。今まで対戦したことのないような相手と対戦するのが、基本のエクストリームなのだ。こんなことで経験不足でした、などと、いい訳になるわけがない。

 打撃を受け流した後でも、吉祥寺は肩を使えるのだ。体勢十分なら、片足があがったぐらい気にもならないということか。

いや、そのあげた脚をおろすのを踏み込みに使って、追撃まで入れられたのだ。この攻防においては、葵が完全に負けだ。

 この調子で、見せていない技もあったとしたら……いや、確実にあるだろう。

 それを思うと、自分がいかに不利な状況なのかを、葵は念を押して感じさせられる。

 回り込むことができない、前から行けば迎撃されるだろう。だったら……

 葵は、これぐらいでは、すでに折れるような心を持っていなかった。押して駄目なら引いてみるだけ。

 そして、引いても押しても駄目ならば、もっと強い力で、押し切るだけだ。

 

続く

 

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