作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(208)

 

 吉祥寺は、相変わらず冷静だった。

 一応以上に葵はダメージを受けていたのだ。ここは普通の選手なら押し切るところだろう。葵も、それをやられれば、無事では済まなかったかもしれないが。

 しかし、かなりの確率で、相手も無事で済まさない気が、葵にもあった。

 相手を打撃で押し切る、つまり、ラッシュだが、使い所を間違えば、スタミナの消耗は激しいし、わざわざ相手に隙を見せているような状態になる。

 冷静に対処すれば、ラッシュなどおそれるほどのものではないのだ。でなければ、どの選手だって、試合開始早々にラッシュをかけるだろう。

 ダメージを受けて不利な状況ではあったが、当たりは浅かったし、まだまだ葵の身体は動いていた。一瞬、判断力は低下したかもしれないが、追撃には対処できた可能性は高い。

 追撃がなかった瞬間は、助かったと思ったが、冷静になってみれば、吉祥寺が、弱気などではなく、冷静に判断した結果追撃をあきらめたのがわかる。

 無理に攻めるなら、無理に攻めるなりの利点がない限り、無理な攻めなどしない、ということだ。

 相手のほほの骨を折ったカウンターぎみのパンチも、素早く動く葵には使い辛いだろうし、肩でぶつかるのは、あくまでつなぎであって、決定打にはなり得ない。

 しかし、裏を返せば、肩をぶつけるという攻撃を吉祥寺にさせたのは、大きいかもしれない。結果はダメージを当てられたが、それでも、もしものときのつなぎに使われる肩を、一度でも体験することができたのは大きい。

 少なくとも、肩以外で対処できるのならば、吉祥寺はそうしていたはずだ。相手に技を体験させるほど、意味のないものはない。

 ダメージと、相手の技を見た、釣り合うかどうかはわからないが、吉祥寺の技の一つを見たのは、大きい。

 反対に、葵には、吉祥寺に体験させていない技を、まだ持っている。特殊な技をあまり持たない葵だが、その数個は、初めて対戦するのなら、大きな結果を生んでくれるはずだった。

 とは言え、所詮はスタンダードな戦い方が葵の戦い方であり、それで劣っていれば、勝てるものではないのだが。

 さて、肩で外を封じられた。真っ正面からつっこむのは、さすがに自分でも躊躇する。となれば、上か下なのだが。

 それにしたって、上は、脚では無理だし、一度手刀を見せてしまった以上、上の攻撃は警戒されている可能性は高い。それまで、意識を下に持っていくために、下への攻撃は続けていたので、これも慣れられただろう。

 予期せぬ方向から変則的に攻撃、という手段は、すでに葵の手の中にはないということだ。

 正直、葵の中には、フェイントはあまり多くない。打撃の戦い方というのは、力で押し切るか、スピードで撹乱するか、の二種類しかなく、そのどちらにも、フェイントは有効なのだが、葵は残念ながら、有効なフェイントを持っていない。

 その部分で言えば、むしろ愚直なように感じる坂下の方がうまいだろう。これも経験というものが大きく関係しているというわけだ。

 どの方向から攻めても有効ではなく、フェイントなどを使っても、劇的な効果が及ぼせるとは思えない。

 ならば、いっそのこと、組み技で?

 それは笑い話にもならない。組んで得をするのは、身体が大きく、しかも組み付いてからの膝蹴りをもつ吉祥寺の方だ。

 ……でも、悪くない。

 葵は、笑いにもならない話から、次に攻める手を考え付いていた。そして、考えてしまえば、後は身体にまかせるだけだ。自分で言うのも何だが、葵の身体は、自分が思っている以上によく動いてくれるのだ。

 また、ぎりぎり射程外に距離を取ると、きゅっ、と葵は身体を縮めた。

 その後の、吉祥寺の反応は早かった。葵がその縮めた身体のばねで飛び込んでくるやいなや、それをカウンターで打ち落とそうとして、拳を連続で打ち込んできたのだ。

 だが、連続で打ち込む、という手段自体が、吉祥寺の動きの失敗を物語っていた。

 カウンターというものは、単発なものだ。それは、相手の動きにあわせる、という性質な以上、連打はできないし、する意味もないからだ。つなげるのは、打撃が入って、相手の動きが止まった後だ。

 吉祥寺が連打したのは、先にカウンターを狙った打ち込んだ左を、葵の拳にはじかれたからだった。そこから、吉祥寺は迷うことなく、右を繰り出していたのだが、これも葵ははじいていた。

 葵は、最初から吉祥寺の打撃を叩き落すことのみを考えていたのだ。当たる訳がない。そして、身体を縮めて溜めたバネは、キックの間合いを、一瞬で縮めたのだ。

 葵が、その小さな身体の不利をなくすために練習した、中国拳法の飛び込みの技の応用だった。本当なら、前進の力を、全て打撃に乗せた一撃必殺のためのものだが、そんなことを狙えば、カウンターは必死、だからこそ、葵は飛び込むのだけを使ったのだ。

 ガードをかためていた葵は、吉祥寺の腕を跳ね飛ばし、しかし、自分も攻撃できるわけがなく、ただ、吉祥寺との距離を、詰めただけだった。

 しかも、ぎりぎりまで。

 葵と吉祥寺の胸がぶつかるほどに、葵は距離を詰めていた。防御に使った腕は、広く伸びていて、打撃を使えるような体勢ではない。

 チャンスは、一瞬一回のみ。

 それを意識するまでもなく、葵の身体は、動いていた。と同時に、吉祥寺の身体を動いていた。

 距離を詰めれば、そして相手の腕をはじきながらであれば、肩も拳も使えないし、近すぎるので、脚も出せない。

 だが、吉祥寺にはまだ打撃が残っていた。葵の身体は、それにちゃんと、反応していた。

 近距離でも、最小の動きで出せる打撃、肘はエクストリームでは反則だが、しかし、もう一個の、人間の部位の中で、凶器となりえる部分が残っていた。

 吉祥寺の膝が、飛び込んできた葵の腹部めがけて、打ち上げられた。

 ドスッ!

 鈍い音を立てて、葵の身体が宙に浮き、吉祥寺の膝を支点に、くの字に曲がる。

「っ!?」

 見ていた観客の悲鳴にも似た驚きが、葵にも伝わってくるようだった。それほどまでに、葵の小さな身体は、容赦なく打ち上げられていた。

 しかし、葵は、その観客や、声をあげようとしている浩之の様子をうかがい知るだけの、力がまだ残っていた。

 パシュンッ!

 軽い音をたてて、広げられていた葵の右腕が、そのままひきつけられ、吉祥寺のあごを掌打で打ち抜いていた。

 宙に浮いていた葵の足が、マットにつく。葵は、一瞬そのまま倒れそうになりながらも、歯を食いしばってこらえ、上体を起こした。

 反対に、追撃をいれようと、身体を動かそうとしていた吉祥寺は、おしりから、マットの上に倒れた。まるで、腰から上の力が抜けたような倒れ方だった。

 葵は、腹部に直撃した膝の、地獄のような苦しみを、歯を食いしばって耐えながら、それでも、声を出した。

「はいっ!」

 それは、自分を鼓舞するための声でもあり、そして、自分の技が決まった、確認のための声でもあった。

 いや、葵としては、それはむしろ、勝利の雄叫びだった。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む