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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(209)

 

「はいっ!」

 お腹に受けた膝蹴りの痛みを耐えるために、葵は声を張り上げた。そうでもしなければ、自分も倒れてしまいそうだったからだ。

 だが、葵はそれに耐えた。もともと、膝蹴りを受けるつもりで力を入れていたのだ。いかな吉祥寺でも、葵の腹筋を一発で撃ち抜くことはできない。

 反対に、吉祥寺は、尻餅をつくように、マットの上に倒れていた。

 信じられない、という顔で、葵を見ている。受けた吉祥寺にも、何が起こったのかわからないのだろう。

「よしっ!」

 浩之は、思わず声をあげていた。葵がお腹に膝蹴りを受けたのは見ていたが、しかし、それ以上に、吉祥寺にダメージを当てたのだから、喜ぶべきことだった。

 そして、倒れ方を見る以上、そう簡単に立ち上がってこれるようなものでもない。

 倒れた吉祥寺に、葵は追撃をかけようとはしなかった。吉祥寺のダメージの質が、一体どういうものであるのかを、葵が一番良くわかっており、その場合、組み技では、やはり危険が多いと判断したのだ。

「ワンッ、ツー!」

 葵が追撃をしないのを見て、審判が、慌ててカウントを始める。吉祥寺は、意識ははっきりしているのか、すぐに立ち上がろうとして、それに失敗して、また尻餅をついた。

 吉祥寺の内側に入り込んだ葵を待っていたのは、吉祥寺の膝蹴りだ。しかも、最初からそれを狙っていたのだろう、十分な威力が込められていた。

 だが、葵も、それを狙っていたのだ。膝蹴りが怖いなど、最初からわかっている。しかし、反対に言えば、そういう状況になれば、吉祥寺が使ってくる可能性は高いということだ。

 そして、葵は動きを読んで、誘ったのだ。

 吉祥寺の腕の中に入り、膝を出させれば、後の吉祥寺は無防備になる。そこに、腕の振りだけで掌打を打ったのだ。

 狙うのは、あごの先一点。力の入らないスピードだけの打撃を一番効率良く使うのには、あごを打って、脳しんとうを起こさせる他なかった。

 そして、それは確かに効いて、吉祥寺の下半身は、吉祥寺の意志を無視してうごかなくなっている。

 打撃を得意とする吉祥寺には、むしろなじみの状況かもしれないが、それだけに吉祥寺は焦っているだろう。

 痛みは、我慢すれば何とかなる。もちろん無茶な状況というものもあるが、我慢してできないことはない。

 だが、脳しんとうによって下半身に信号が送られなくなった場合、これを短期間で回復する手だては、ない。

「スリー、フォー!」

 しかし、それでも吉祥寺は立ち上がってくる。足ががくがくと震えているが、脚を叩いてでも、身体を持ち上げる。

 ダメージを受けた後であったので、葵の打撃も、完璧とは言い難かった。本気で当たっているのならば、こんな短期間での回復は望めなかっただろう。

 しかし、それにしたって、吉祥寺の不利は間違いない。もし、立ち上がったとしても、審判に止められる可能性も高い。それに、脚が、立ち上がるのもやっとでは、ろくに動けはしないはずだ。

「ファイブ!」

 たった五カウントで、吉祥寺は立ち上がってきたが、しかし、まだ脚がふらついている。審判にも、吉祥寺が今どんな状態なのかはわかっているだろう。

「やれるかい?」

「はい」

 吉祥寺は、審判の問いに、短く、淡々と答えた。脳しんとうで、脚のふんばりが効かなくても、自分は冷静であり、ダメージはないとアピールしているのだ。

 ダメージを受けた場合、だいたいの人間は、冷静さを欠く。だから、吉祥寺は、努めて冷静になって、ダメージがないと言いたいのだ。

 わずか数秒で、吉祥寺の脚の震えが止まっていた。もちろん、回復したわけではないのだろうが、震えを止めて、外見上取り繕うことはできるというわけだ。

 審判は、吉祥寺が冷静であるのを見て、判断を下した。

「ファイトッ!」

 その言葉、葵としては待っていたものだった。

 溜まるようなダメージはなくとも、脚にきているのは事実。今倒さずに、いつ倒すというのだろうか。

 相手は脚にきている。前に出ることも、後ろに逃げることもない。

 腕はまだ動いているようだが、しかし、葵のこれから始まる連打を、腕の動きだけで、処理できる訳がない。

 キックはなし。脚に力が入らない状態でローキックを入れるのも悪くはないが、むしろ今は連打をしたい。ローキックで流れが止まるのは避けたい。

 葵は、迷うことなく吉祥寺に向かって走り込んでいた。狙うは、拳でのラッシュ。

 一度ラッシュに入ってしまえば、今の吉祥寺選手に、対抗する方法はないはずだ。だから、吉祥寺選手が何かやってくるのならば、自分が吉祥寺選手に到達する前。

 動かないはずの脚のことを考えると、注意するのは、狙いすましたカウンターのみ。

 葵の判断は、頭よりも身体の方が速かった。真っ直ぐ飛び込んでも問題ないということだ。いや、それが一直線の最短距離であればあるほどいい、身体は、そう判断していた。

 葵の鍛え抜かれた動体視力が、吉祥寺の動きをつぶさに観察する。脚はまだ回復していないか、動こうとしている腕はないか、肩を当てに来たりはしないか、それとも、ここになってまだ裏技を持ってはいないか。

 目に入った情報は、一度頭に行くなどというまどろっこしいことなどせずに、そのまま身体の先に伝わり、葵を動かす。反射をとことんまで鍛えた人間の動きは、限界を裕に超えて反応するのだ。

 まず、ローキックの距離よりも、内に入る。吉祥寺は動かない。

 次に、完璧にキックの間合いに入る。これでも、吉祥寺はまだ動かない。

 そして、吉祥寺の拳の間合いに入る。これでも、まだ吉祥寺は動かない。

 ここまでは、予想通りだった。カウンターの距離は、かなり短い。葵が全力を出せる距離で放ってくる可能性が高いのだ。

 そして、そこまで来ても、吉祥寺の両腕は、守り以上のことをやろうとはしていなかった。

 ここまで来て、守って耐えられると思っているのだろうか。葵のラッシュは、それほど甘いものではないはずだ。今まで試合を続けていた吉祥寺なら、それぐらいはわかりそうな話である。

 葵は、十分に距離をつめて、左のフックで、吉祥寺のガードで固まった顔面を殴ろうと、腰を動かした。

 と同時に、吉祥寺の顔面を守るためのガードが、下に下がる。

 チャンス、と葵が意識で思ったよりも、さらに、身体は素早く反応していた。

 ガカッ!!

 次の瞬間、葵は、あごの下から強い衝撃を受け、身体ごと大きくのぞけっていた。

 

続く

 

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