作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(212)

 

「葵ちゃん!」

 横から見ている浩之にとってみれば、心臓に悪い戦いだった。

 良く言えば一進一退の攻防だが、つまりそれはいつ負けてもおかしくない、ということだったからだ。

 それでも、なお攻めようとする葵のカウンターを狙っての、吉祥寺の動きにも、度肝を抜かれる。

 吉祥寺の脚が動かないだろうことは、浩之にもわかる。葵にあごを打ち抜かれて、下半身が思うように動かない状態で、吉祥寺はそれでも攻撃してきたのだ。

 前に倒れるようにしながら一回転して、かかとを葵の上に落としたのだ。自分は、そのまま前転して、マットの上に倒れる。

 胴体回し蹴り、浴びせ蹴り、と呼ばれる技だ。自分が倒れるのを気にしないのなら、遠心力を十分につけられる上、体重の乗せやすく、威力ならば十分な技だ。

 隙の多い、普通は使えない技だが、確かに、他の格闘技と違って、エクストリームでは、使える機会というものがある。

 例えば、今のような、打撃専門の格闘家を相手にするときだ。

 葵は、組み技を極力しない。自分から組みに行くことなど、何かの作戦でもない限り、絶対にやらない。だから、吉祥寺は、安心して倒れることができるのだ。

 しかも、この胴体回し蹴りは、リーチも長いし、かけられた方としては、威力が大きいので、大きく避けるか、しっかりガードするしかない。

 いわゆるかけ逃げ、の体勢を確保できるのに、審判からの注意がかかるのは、よほど連続して使わない限りないはずだった。いや、何度使ったとしても、これなら審判に注意されることはない。

 かけ逃げができるのは、葵が、倒れた相手を攻めないからだ。胴体回し蹴りの後は、吉祥寺に隙が十分ある。組み技系の選手なら、必ず攻めているだろう。それをしないのは葵の都合であり、注意する部分とはならないわけだ。

 KOを狙ったわけではないんだろうが……

 一度目こそ、葵はふいを突かれたようであったが、二度目からは、胴体回し蹴りなど、効く訳がない。それは、攻めあぐねるかもしれないが、葵が倒されることは決してないだろう。

 おそらくは、カウンター半分、時間稼ぎ半分の動きだったのだろう、と浩之は判断した。完全にカウンターを狙われていたら、葵がどうなっていたか、想像するだけで怖ろしい。

 もっとも、この浩之の心配は、杞憂なのだが。

 吉祥寺が、倒せるチャンスを、みすみす見逃す訳がない。リスクを回避しているとは言え、確かにカウンターのみ狙えば、8割以上の確率で葵は倒れていたろう。

 それをやらなかったのではなく、吉祥寺にはできなかったのだ。

 動かない脚が、カウンターのみを狙うのを許してくれなかったのだ。だから、結果時間稼ぎというものができたが、吉祥寺にしてみれば、カウンターを完全に狙っていたのだ。

「浩之、何情けない声あげてるのよ」

 葵の不利も十分にわかった上で、綾香は浩之を叱咤した。

「どうせかけるんなら、もっと応援、て感じ出しなさいよ。ただ浩之がおろおろしてるだけに聞こえるじゃない」

「んなこと言っても……心臓悪いんだよ」

 葵を完全ひいきで見ている浩之にとってみれば、辛い試合だろう。ぎりぎりのところで、何とか葵が有利に立った、と思った瞬間に、今度は逆転される、というのを繰り返しては、それは見る方としても、心臓に良くない。

 だが、綾香は、もちろん葵をひいき目には見ているが、しかし、葵の不利もわかっているし、吉祥寺が辛いことも、ちゃんとわかっていた。

 そこは、ひいきの問題ではなく、綾香と浩之の力量の差だろう。

 だいたい、時間稼ぎというものは、どちらにも平等の効果を与えるのだ。葵だって、不用意に攻められるだけの力を、今は残していないのだから。

 そこのところが、浩之にはわかっているのか、わかっていないのか。まあ、わかっていたところで、ハラハラするのは変わりないのだろうけれど。

 攻めるのをあきらめたのか、葵の動きが止まっている。時間稼ぎというものは、葵にも、吉祥寺にも、同じ効果を及ぼすのだ。だからこそ、この辛いときに攻めておく意味は、綾香は大きいと思うのだが。

 実際のところは、攻めたいのだが、攻めあぐねているのだろう、と綾香は読んだ。反撃はない、あっても、十分対処できる、と読んで攻めたのに、それをあっさり覆されて、攻撃されたのだ。ダメージはなかったとは言え、出鼻をくじかれたのは間違いない。

 反対に、吉祥寺の方は、それは脚が動かない以上、前に攻めることができない、という気持ち以前の問題があるが、それを差し引いても、回復を待っているようだった。

 冷静に判断して、身体の回復を図る吉祥寺と、冷静になって、それでも攻めようとしているのだが、出鼻をくじかれ、攻撃しあぐねている葵。

 不利は、葵の方にあるのかもしれない。

 気持ちだけで、どうこうできるのなら、人間の強弱など、大して論ずるにも値しなかったろう。強さを比べるなど、まったくの無意味になる。

 しかし、気持ちだけではない。冷静に状況を見て、それを判断し、最善の手を取る。それも、強さの一つなのだ。

 じりっ、と、また葵が前に歩を進める。

 攻めあぐねているのは事実だろうが、そこで止まれない。止まるぐらいなら、最初から攻撃していない。これは冷静な判断かどうかはわからないが、葵の判断を、綾香は悪いとは思わなかった。

 スタミナも大切だし、守って勝てることもあるだろう。相手の攻撃を流したり、無駄な攻撃を続けさせるような作戦も効果的なこともあるだろう。

 しかし、綾香の知っている葵は、そんな選手ではなかった。

 冷静な判断ができたとして、それに従うのを良しとして、それでもなお、守って勝つなどという練習を、葵はやってこなかった。

 愚直なまでに、攻める。

 ダメージで身体が、頭がいつも通りに動かないからこそ、葵の今まで積み重ねてきたものが、動きとして出るのだ。

 そういうものを、葵は沢山積み重ねてきた。だから、冷静さ、など、この際脇に置いておけばいい。それに従って負けるようなら、それだけの選手だったということだ。

 それに……

 冷静に判断して、守った、という行為には、実際のところ、弱気になった、という事実も含まれている。それは、吉祥寺が、葵に精神的に気押されている証拠だった。

 自分の方が上、だと思っているのなら、守るという選択を取る可能性は、低いはずだ。

 無意識の行為であり、それで何が変わるわけではないのだが、綾香は、この試合の結末が自分の予想通りになるとすれば、その決定的な瞬間は、ここ、だと直感した。

 そんな綾香の、声に出さない言葉に従うように、葵は愚直に、前に出た。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む