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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(214)

 

「待て!」

 二ラウンドが終了する審判の合図まで、葵は吉祥寺に一発も攻撃を入れることができなかった。

 手は多少は出せたのだが、逃げ腰の吉祥寺を捕まえられるほど、葵は回復していなかったのだ。もちろん、それは吉祥寺にも言えることで、間を取るだけの気の抜けた攻撃だからこそ、今の状況でも出すことができた。

 攻撃は当たらなかったが、結局、立ち上がってからほとんど動いていた葵は、フラフラしながら、浩之達のところに戻ってくる。

 浩之は、葵をかかえると、すぐに座らせる。

 葵の身体は、焼けるように熱くなっており、汗が滝のように流れ、息もかなりあがっていた。それが葵の望んだ場所に立つための代価だとはわかっていても、浩之が心を痛めるような状況だった。

 ここからは、浩之の仕事だった。一分の間に、できるだけ葵のダメージを消してやらなければならないのだ。

 多少の休憩でダメージが抜ける訳ではないが、その多少の差が、勝敗をわける。もしそうでなくとも、浩之としては、やらないわけにはいかなかった。

 水筒を渡された葵は、しかし、それに口をつけようとはしなかった。

 息が上がりすぎて、吸い込むことができないのだろう。しかし、それだけは葵の力でやってもらわなくてはならない。

 浩之は、すぐに葵の首筋や顔を冷やす。ダメージもさることながら、顔がはれると視界が悪くなる。ダメージを消すのと、顔のはれを押さえるのには、冷やすのが一番だった。

 本当なら、身体全体を冷やしたいところだ。機械がオーバーヒートするように、熱のこもった状態は、身体に悪いし、効率を落とす。

 葵は、目を閉じて、一生懸命、というのも変だが、休んで身体を回復させようとしていた。すでに、浩之にかかえられているという今の状況を喜ぶ余裕さえない。

 この小さな身体で、どうしてここまで動けるのだろうか。

 懸命に葵の回復をはかりながら、浩之は、昔感じた疑問を、再び思い出していた。

 浩之の腕の中にある少女は、決して身体に恵まれたわけではなかった。むしろ、格闘家として、身体が小さいというのは、致命的だ。身体が大きければ力が強い、そして同じ技の技量なら、力が強い方が強いに決まっている。

 それでも、葵は、体格にもめぐまれ、そして、同じように努力してきた相手と、対等に渡り合っている。それどころか、予選とは言え、すでに決勝にまで勝ち上がっていた。

 才能、と言ってしまうには、あまりにも葵の姿は無惨なものだった。しかし、無惨ではあっても、まだ負けたわけではないし、押されてはいても、不利というわけではない。

 目を閉じて、何とか呼吸を整えようとしている葵の手が、無意識にか、浩之の手に重なる。もう、水分補給はあきらめたのか、水筒には口を近づけようともしなかった。

 その熱されたような小さな手を、浩之は軽くにぎった。それで、葵の気分が落ち着くのならいい。そんなボロボロの葵を見て、浩之も不安になっていたのだ。

 無情にも、時間はすぐに過ぎる。一分など、ほんのわずかな時間でしかないのだ。

 審判からの合図がある前に、浩之は、葵の肩を叩いた。

「葵ちゃん、立って」

 大丈夫か、などとは、もう聞かない。大丈夫では絶対にないのは今更であるのだし、浩之は、葵の戦う意志を尊重するだけだった。

「はい」

 葵は、気丈にも力強く答えると、浩之の手を放して、立ち上がった。そして、身体の調子を測るように、軽くステップを踏む。

 一分もない休憩時間の間に、葵は思った以上に回復したように、浩之には見えた。しかし、それが単なる強がりではない、とはとても言える状況ではない。

「……葵」

 試合場に向かおうとする葵を、綾香が止めた。

 葵にアドバイスをしない、と言ってから、綾香は極力葵には何も言っていない。浩之がどんなに甲斐甲斐しく葵の世話をしていても、それに手を出そうとしない。

 それは、綾香なりの葵に対する評価だ。対等な相手に、力を貸してやることこそが、相手を見下している証拠だ、と綾香は思ったのだ。

 だから、これは後押しでも何でもなかった。むしろ、今までの葵からすれば、プレッシャーでしかないはずだ。

「勝ってきなさいよ」

 綾香は、自分の希望を口にした。決勝にはもう絶対にあがってくるのはわかっているが、どうせ戦うのなら、葵に負けなど経験して欲しくないのだ。

 どうせなら、真っさらな相手を、蹂躙したいという、綾香の破壊願望とも言える部分の出した、言葉だった。

 それに、葵は、どこか満足そうに答えた。

「はい……勝ってきます」

 葵は、そうはっきり言うと、綾香と浩之に背を向けた。

「両者、もとの位置へ!」

 丁度、審判からの合図がかかり、葵は、歩を進めた。

 勝ってきます、と言った葵の口調は、いつもの口調とはだいぶかけ離れていた。いつもの、体育会系のはきはきとした返事ではなく、もっと、言うなれば大人びた口調。強い意志があるのに、それが酷く落ち着いている。そんな口調だった。

 そして、葵の意識は、完全に、目の前にいる相手に向いた。

 吉祥寺も、かなり足下が落ち着いていた。一分と、試合中の守りに入った間の時間は、吉祥寺に十分ではないものの、最低限の回復の時間は与えてくれたということだ。

 吉祥寺の目には、もう、あまり殺気というものは含まれていなかった。いや、葵というか、綾香に向ける吉祥寺の目は、殺気、というより怒気に近かったが、それがなりを潜めていた。

 しかし、それでもなお、葵のことを、鋭く睨み付ける吉祥寺の眼光は衰える様子はなかった。怒気はなくとも、意地はある、そういう目だ。

 ダメージが十分には回復していない、葵はそう読んだ。もっとも、葵も同じような状況なのだから、大した差にはならないのだが。

「それでは、エクストリーム、ナックルプリンセス予選、決勝戦、最終ラウンドを開始します!」

 審判の声に、観客が沸く。今日最後の、最大の見所だ。盛り上がらない訳がない。

 しかも、両方が両方とも、相手をKOすることで勝ち上がって来た、打撃格闘家。見栄えの良い試合になるのは必然だった。

 しかし、そんなことは、今の葵には関係ない。いかにして、相手を倒し、勝ちをもぎ取るか、それしか、葵には考えられない。

「レディー……」

 酷く、聞き慣れた合図だ、と葵は、ふいに思った。練習でも何度も聞いたが、それ以上に、今日何度も聞いた合図のように思える。

 事実、既視感と言うには、聞き過ぎていた。そして、おそらくは、今日はもう聞くことのない合図でもあるはずだった。

 試合は、もう止まれない。後はノンストップ、行くところまで行け。

 身体の奥に残っているカスまで燃え尽きよとばかりに、葵の身体に火がつく。それは、心地よいを通り越して、気持ち悪いぐらいに、葵を高ぶらせた。

 葵の腕に力が流れ、腕が持ち上がり、脚が動く。

 何度も何度も、それこそ、靴の裏がすり切れるまで何度も続けた左半身の構えを、葵は取った。それが、合図だ。

「ファイトッ!」

 

続く

 

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