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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(215)

 

「ファイトッ!」

 その合図に、観客の歓声よりも素早く、吉祥寺は葵との間を埋めていた。さっきまでの逃げが何だったのだろう、と思えるほどのスピードだった。

 葵も、それには驚かなかった。例え身体が全快ではなくとも、それぐらいの動きはしてくるもの、と最初から思っていたからだ。

 となれば当然、葵もバカ正直に真正面から受ける気はなかった。吉祥寺が前に出るのに合わせて、葵は左側にまわっていた。

 ジャブは受けても仕方ない。しかし、右のストレートは受けるわけにはいかないのだ。だから、相手の右にまわって、動きを封じる、そういう目的があった。

 しかし、それも基本の動きだ。吉祥寺は、それに合わせるように、身体をひねって、葵の身体を正面に捉えようとする。

 葵も、そのまま立ち止まっているわけもなく、さらに吉祥寺の右を取ろうと動き、吉祥寺がそれについていく。

 手は、お互いに出せない。距離は近いとは言え、射程ぎりぎりの外にいる以上、出せば単なる隙にしかならないからだ。

 しかし、そこでぐるぐるとおいかけっこをしているだけでは、らちがあかない。葵は、そう思った訳ではなかったが、横の動きから、前の動きに変化して、吉祥寺との間をつめる。

 脚が出てこなかったのを見て、葵はとっさに、右腕をガードにまわしていた。

 ドカッ!

 葵の左アッパーが吉祥寺の右腕に、吉祥寺の左のフックが葵の右腕に、それぞれガードされる。ほぼ同時に打ち込んだ打撃であった。

 フックの力に逆らわないようにして、葵は身体を外に逃がす。吉祥寺はそれぐらい追って来るが、そのわずかな間で、体勢を整える。

 アッパーは、ガードを打ち抜くような力は出しにくい。反対に、フックは体重をかけるのには非常に向いたパンチだ。葵が威力を殺すために、流れに逆らわなかったのは当然だった。

 しかし、それはそれとして、吉祥寺がキックを使ってこなかったことに、葵はわずかながら疑問を感じていた。

 至近距離での撃ち合いは、吉祥寺にも、不利ではないが、リーチの長いキックがあるのを、わざわざ使わないのは、不思議な話だった。

 ダメージがまだ脚に残っていると読めないでもないが、それにしては、十分に素早く動いている。

 反対に、素早く動くために、キックを捨てたというのなら、理解できないこともないのだが、技の幅を狭めるようなことを、吉祥寺がするだろうか?

 そんなことに気を取られた一瞬をついて、吉祥寺が葵の懐に飛び込んでくる。脚を出すというフェイントさえ使わない、上だけでの攻撃だ。

 左フックを、葵はダッキングで避け、その避けた先を狙っての右フックを、今度は、腕で受け流す。

 受け流したとは言え、無視できないぐらいの勢いが、腕に伝わる。もし、もう少し流し方を失敗していれば、直撃と同等のダメージを受けていたろう。

 葵は、吉祥寺の脇をすり抜けるようにして距離を取り、体勢を整えながら、自分の甘い希望を捨てることを決心した。

 さっきの攻撃で、完璧に判断できた。少なくとも、吉祥寺の脚のダメージは、十分に抜けていると。

 どんなに腕力が強かろうとも、それで強い打撃を打てるわけではない。どんな猛者だろうと、腕のみの、手打ちのパンチでは、威力は出ない。

 吉祥寺のパンチに、ガードの腕がしびれるような威力を持たせるためには、腰の、そして脚のふんばりというものは、絶対に必要だ。

 つまり、パンチの威力が高いということは、下半身が生きているということだ。

 まだダメージが残っているという幻想を捨てなくては、何もしないうちに負けてしまう。葵は、そう感じた。

 吉祥寺が、また葵との距離をつめたのに反応して、葵は脚を出していた。

 バシイッ!

 間なく飛び込んでくる吉祥寺の脚に、ローキックを打ち込む。攻撃だけを狙っているようでいて、吉祥寺は、ちゃんとローキックを脚をあげて受ける。

 連打を止めるには、相手に防御させればいい。どうしても、防御すれば相手の動きは止まるのだ。勢いを殺されれば、調子よく打撃を連打することなどできない。

 基本の基本だが、葵はさらにそこでは止まらなかった。

 攻撃こそ、最大の防御。

 これも基本だが、基本と基本が重なれば、それは必殺となるのも、また真理。

 ローキックの威力は、大して入れていなかった。その脚をそこに残したまま、葵の身体は、吉祥寺が打撃を連打していた距離の、さらに奥に入る。

 脇腹に打ち込んだ右のボディーブローを、吉祥寺は後ろに逃げることでしか避けるすべはなかった。攻撃に特化していた以上、どうしても下の防御はおざなりになる。

 さらに、一瞬の隙も置かない、葵の左ストレートを、吉祥寺は横に身体をそらして避ける。

 葵のシミュレーション通りの動きだった。

 身体が下がって動きが止まった相手を仕留めるための、右ハイキックを、葵は繰り出していた。

 右ボディー、左ストレート、右ハイキック。葵が何度も練習したコンビネーションだ。

 吉祥寺は、それを体勢をくずしながらも、後ろにのぞけるようにして避ける。

 葵のコンビネーションを、吉祥寺は綺麗に避けたが、その後の隙をつくことは、体勢的に無理だ。

 葵は葵で、自分のコンビネーションが、単に吉祥寺を後ろに一時的に下がらせるだけしかできなかったのは、痛手だった。コンビネーションは、何度も見させると、相手に対応されてしまう。そこからの変化をつけて相手を翻弄する、というのもできないことはないが、経験の未熟な葵には、あまり得意ではない手だった。

 それでも、吉祥寺が避けられたのは、ギリギリの話のはずだった。それなのに、吉祥寺は、一瞬で体勢を立て直すと、すぐに攻撃に転じていた。

 まるで、葵に冷静な判断をさせないために、矢継ぎ早に攻めているようにも見える。しかし、その一撃一撃が、油断ならない打撃である以上、葵には、避け、返すしか、できることがなかった。

 ビュッビュッビュッビュッ!

 一呼吸、というには遅いが、それでも素早く、そして一撃が油断ならない威力のあるパンチの四連打を、葵は何とか避けて、攻撃に転じようとした。

 四連撃の秘技は、空手にもあるが、空手の方がスピードはあるものの、次が続かぬ、一撃必殺の技だ。

 しかし、吉祥寺は違った。スピードこそ、秘技というには遅いが、葵が攻撃に転じる前に、さらに左右のフックを打ち込んでくる。

 手を出せず、葵は後ろに下がるしかなかった。しかし、そうすれば、よけいに吉祥寺は勢い付いて前に出て、連打を繰り返す。

 葵は、それを何とかやりすごしながら、カウンターの一撃を放つが、吉祥寺はあっさりと後ろに下がってそれを避けると、攻撃は一度切れたというにも関わらず、すぐに攻撃に転じた。

 まるで、勢いなど気にしないような、攻撃の仕方に、葵は、むしろ戦慄を覚えていた。

 

続く

 

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