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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(217)

 

 ほぼ同時に交差する二人の腕。

 吉祥寺の拳は、空を切り。

 葵の拳は、空を切った。

 吉祥寺の拳は葵の目の前で、葵のほほをかすめ、葵の拳は、吉祥寺の肩の上をすり抜けた。

 その違和感に、葵はゾクリと背筋に走るものを感じて、意識よりも先に、身体は反応しようとした。しかし、具体的な動きが、葵には取れなかった。

 吉祥寺が何を狙ったのか、身体も判断できなかったのだ。

 葵の目前を過ぎた手の平の方を向いた拳が、葵の目の中に入って、消えた。

 吉祥寺は、ストレートを打ったはずの腕を、途中で曲げていた。葵は、吉祥寺の拳をかいくぐろうとしたのだから、吉祥寺の腕は葵の肩の上を通り過ぎねばならなかったのだ。

 もし、葵が避けるのに失敗したとしても、葵の顔面に当たるはずだった。しかし、吉祥寺の腕は、それのどれでもない軌跡を描いた。

 葵のクロスカウンターは、吉祥寺が距離を詰めたことによって、避けられていた。吉祥寺の上の上からかぶせるようにしている以上、予想以上に前に出られたときに対処できる方法はなかった。

 しかし、それだけならば、葵も吉祥寺の攻撃を避けて、それで終わりのはずだった。しかし、今の吉祥寺の攻撃は、葵に当てるつもりのない動きだった。

 吉祥寺の長身が、葵の下に入る。

 拳よりも早く、吉祥寺の肘が、葵の肩口まで入ってくる。打撃を打ってくるのではない、これは……

 まずいっ!

 しかし、葵がやっと反応したときには、すでに遅かった。吉祥寺の左腕は、すでに葵の肩口奥深くに入り込み、葵の腕にまわされていた。

 とっさに、よけられた右腕だけを、身体から離す。すでに、左腕は、取られていた。とっさに取った行動としては、正しいと言える。もし、少しでも両腕を残そうとすれば、両方ともつかまっていたろう。

 しかし、それすら、とても悪あがき以上には見えない状態に、葵は追い込まれていた。

 抵抗しようとするが、吉祥寺の長身から出される力は、葵を下に押し込む。真正面から力勝負すれば互角以上の勝負をする自信はあったが、隙をつかれ、一度悪い体勢まで持っていかれると、それを挽回するのは、難しい。

 葵の首と左腕に腕をまわした状態で、吉祥寺は、葵をがぶりの格好に捉えた。

 これを、吉祥寺は狙っていたのだ。さっきまでの、拳だけの攻撃を続けたのは、さもありなん、相手と組むのに、脚の攻撃を使うわけにはいかない。

 そして、葵がカウンターを狙ってくるのを待って、それをチャンスとして、打撃で打ち合うように見せかけて、葵の懐に入り込み、葵を捉まえる。

 葵の身体は小さい。それは、スピードはあっても、パワーではどうしても劣るということだ。よしんば、力が一緒であっても、身体が大きい方が、自分のリーチをテコの原理で応用することにより、より強い力が出せるのだ。

 何より、掴まれた状態では、葵の小さな身体だからこそ有利な点、スピードが、まったく生かせない。

 パンチのみの回転の速い状態が、葵に対するのにもっとも適しているのは確かだが、吉祥寺は、それを餌にして、それよりも、さらに有利な展開を求めたのだ。

 そして、葵はそれにまんまとひっかかってしまった。吉祥寺がパンチのみで戦うことが、吉祥寺にとって有利であるということを読めたからこそ、ひっかかってしまったのだ。

 葵は、とっさに、開いた右腕を、マットに伸ばす。

 確かに、首を取られた状態で、倒れて組み技に入るのは、決してほめられたことではない。不利も不利。それを覆す方法は、組み技の苦手な葵には無理にも思える。

 しかし、だからと言って、今の状態を維持していては、今度は吉祥寺の、膝が来る。一試合目に見せた、あの威力の高い膝蹴りを、葵は忘れていなかった。

 葵とて、あれを直撃されて、立っていられてる自信はなかった。急所の脳天に、膝の一撃だ。耐えろという方が無理だ。

 しかし、吉祥寺は、当然そんなことはわかっていて、葵を上へグイと持ち上げる。片腕を取るのを失敗した以上、マットに手をつかせないために、葵の身体を上へ持ち上げる必要があったのだが、普通に考えれば、これはあまりいい手ではない。組み技系の相手ならば、そのまま吉祥寺を、ブリッジで後ろに投げるだろう。

 だが、残念ながら、葵は組み技の格闘家ではなく、そして、吉祥寺をブリッジで投げるような技も使えなかった。だからこそ、吉祥寺は葵を上へ持ち上げたのだ。

「葵ちゃんっ!」

 それが、どれだけせっぱつまった状態なのか、当然わかる浩之の叫びにも似た声が、葵の耳に入る。しかし、葵は、それに応えるような余裕はなかった。

 疲労も十分に溜まっており、かつ、ダメージも抜けきっていない身体を、葵は無理矢理動かす。止まって、吉祥寺に安定されてしまえば、膝が来るのは間違いなかったからだ。

 グイグイと、吉祥寺は上から葵を圧迫する。三ラウンドは、まだ十分な時間がある。あせる必要は、吉祥寺にはないのだ。

 動けば動くほど、葵は疲労していくのだ。普通に戦っている状態でさえ息も切れ切れになるのに、今は、上から吉祥寺に押さえられた状態で、しかも、動きを止めては駄目なのだ。

 吉祥寺の疲労の溜まり方は、今の葵に比べれば微々たるものなのだ。だから、吉祥寺は時間をかけて、葵が弱るのを待てばいい。そして、弱ってから、おもむろにとどめを刺せばいいのだ。

 いかに葵が火事場のバカ力を出したとしても、吉祥寺の腕をふりほどくのは、かなり無理がある。それを吉祥寺もわかっているから、焦らない。

 そして、葵は、当然焦っていた。時間が経てば経つほど、動けば動くほど、葵は不利になっていくのだ。このままでは、負けるのも時間の問題だった。

 何か、何か手は……

 混乱する頭で考えても、出てくるものではない。何より、葵の頭は、はっきり言ってそんなに良くはない。こんなときに妙案を思いつくような頭の構造をしていないのだ。

 あるのは、何度も何度も繰り返して来た動きを、忠実に再現するだけの、そういう才能には恵まれていない、一人の普通の少女だった。

 そう、何度も、何度も、それこそ、本当に何度も繰り返して来たことを。

 葵の脚が、ぴたりと止まった。

 息が荒い。もう、限界なのだろう。これ以上の動きをしたところで、それは時間を延ばすだけの手でしかない、と観念したとは思えないが、しかし、葵は動きを止めた。

 そして、素早くマットの上に手をつこうとする。それを、吉祥寺は長い四肢で封じた。やはり、腰をあげてしまえば、長い吉祥寺の脚に、葵の腕が勝てるわけがなかった。

 そして、葵が手をつこうとして横の動きを止めたのは、吉祥寺にしてみれば、十分なチャンスだった。

 そして何より、吉祥寺にとって、葵にこの一撃を何とか耐えられたとしても、何の問題もないのだ。すでに、葵の身体は、吉祥寺の蜘蛛の巣にかかった蝶同然だったのだから。

 吉祥寺が、右脚を大きく振り上げる。葵の位置から、まず見えない。視覚からの一撃に、果たして、葵は耐えることができるだろうか。

 いや、受けた時点で、無理だ。それを、葵自身が誰よりもわかっていた。

 受けては、駄目なのだ。

 葵の身体が、最後の力を持ってしてあがこうと、動く瞬間を狙ったように、吉祥寺は、振り上げた膝を、葵の脳天に向かって、振り下ろした。

 ドガシィッ!

 激しくも鈍い音が、響いた。

 

続く

 

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