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最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(218)

 

 鈍くも、激しい音をたてて、吉祥寺の膝が、つかまった葵の脳天めがけてたたき落とされ。

 葵の身体が、下に落ちた。

「葵ちゃーーーーーーんっ!!」

 浩之の必死の叫びもむなしく、葵の身体は、吉祥寺に上から押しつぶされるように、ゆっくりとマットに膝をつきかけ。

 ぴたり、とそのままの体勢で一瞬止まり、葵は握りしめていた両拳を開き。

 爆発的な動きで、吉祥寺の身体を、跳ね上げた。

 浩之や観客が驚く暇も与えずに、吉祥寺の身体が、その小さな身体のどこにそれだけのものを秘めているのかわからない怪力ではね飛ばされ、比喩でなく、足が宙を浮く。

 とすん、と軽い音をたてて、吉祥寺の足がマットにつくときには、葵は吉祥寺との距離を限りなく狭くして、開いた左手を腰に引きつけていた。

 至近距離までつめられている吉祥寺には、その動きは見えなかっただろうに、アッパーが来ると読んで、下に腕を交差させる。

 もし、それで上から右腕で攻撃されたり、ローキックを打たれたりすれば、直撃を受けてしまう、危険なブロックだった。

 だが、吉祥寺は今になってなお冷静に、次に来るものがアッパーであるのを読み、そして、的確にガードした。

 まるで吉祥寺がブロックをするまで待っていたかのように、葵は腕をふるった。しかし、葵も、これ以上速くは打撃が打てなかっただけで、余裕があるわけではなかった。

 吉祥寺の、完璧なブロックの上に、葵の打撃は、入った。

 ズッ

 ガードに当たる音は、もう打撃音とは、呼べるものではなかった。

 その瞬間、吉祥寺の顔には、驚きに似た表情を形取っていた。

 渾身の力を込めた、全力のアッパーならば、吉祥寺のガードをはじけさせることだってできたかもしれない。吉祥寺の脚は動かずに、真正面から葵の打撃を受けたのだから、ダメージを逃がすことも難しかったであろう。

 しかし、葵のアッパーは、吉祥寺の両腕のブロックを、はじけ飛ばすどころか、少しも揺るがすことなく。

 

 スパーーーーーーーーーンッ!

 

 すり抜けた。

 吉祥寺の顔は、驚きに似た、驚愕の表情のまま、大きく上にはじけ飛んだ。あごが天に向きそうかと思うほどに、葵の掌打は、天に向かって打ち抜かれた。

 浩之は、そのとき、やっと見えることができた。葵の動きが、あまりにも意表を突きすぎていたからこそ、葵のことを心配することさえ、一瞬忘れるほどの驚きが、反対に、浩之を冷静にさせて、葵のその技の秘密をかいま見せた。

 開かれ、そして、掌の方ではなく、指先の方が相手に向けられた状態から繰り出される、しかし、当たった瞬間には、掌打になっているアッパー。

 浩之が、驚くことに、最初の最初、葵が初めて相手に使ったときにも避けた、相手のガードをすり抜ける掌打。

 腕のスナップを効かせて、相手のブロックをすり抜けるまでは、まだわかっていた。しかし、それだけでは説明できない部分が、その打撃にはあった。

 受けていない綾香にはわからなかったようだが、それだけで、浩之はガードを抜けられたりしない。それほどに、浩之はあのときがっちりとブロックをしていたのだ。事実、葵は今回はあまりスナップを効かせていない。その代わり、全体重を乗せていた。

 葵の動きと、受けた経験から、浩之は、その技を考え、結論を出した。

 ブロックとブロックの隙間に、指を入れて、腕が通るだけの間をこじあける。

 それが、葵のガードをすり抜ける掌打の正体だった。

 そして、こじ開け、すり抜けた後は、そのままのばしていた手首を曲げ、掌打で相手のあごを狙う。まさに予測していないところからの、必殺の打撃だった。

 浩之との練習で見せたのは、まだ手加減していたのだ。もし、本気で打たれていれば、いかに打たれ強い浩之とて、しばらくは入院していたかもしれない。

 しかし、そんな打撃を受けてなお、吉祥寺の目には、まだ意識が残っていた。それは、打たれ強いを通り越して、もはや執念だった。

 今、つかみ取ろうとしていた勝利が、するりと自分の手を抜けたのを、吉祥寺は、例えその事実を告げられたとしても、決して認めようとはしなかっただろう。

 そして、認めないのならば、力でもぎ取るしかないのだ。

 ブロックのほどけた腕を、吉祥寺は、全力でふるった。スピードも、パワーも、瀕死の人間の出せるものではなかった。

 しかし、もう、それでも、葵を打ち砕くことは、出来なかった。

 葵は、吉祥寺の、最後の力で撃ち放たれた右ストレートを、左腕で強くはじき、その勢いを持って、右脚を振り上げた。

 ズバンッ!

 短い打撃音と共に、吉祥寺の身体が横にふらりとずれ、そのまま、顔をマットの上に落とすように倒れ。

「それまでっ!」

 カウントは、なかった。

 ずるり、と吉祥寺は身体をマットの上にのさばらせて、くの字のまま、横に倒れた。

「はいっ!!」

 葵は、残る渾身の力を込めて、声をあげた。

 まず、飛び出したのは誰だろうか、数瞬、何が起こったのかわからなかった観客の歓声が遅れ、葵に浩之が駆け寄って来るのを、葵は確信して、倒れた吉祥寺にも誰かが駆け寄ってくるのを、何気なしに目の端で捉えた。

「センパーーーーーイッ!!」

 そして、まずは、自分の喜びを表すために、大きく叫んで、駆け寄ってくる浩之に抱きつこうと動きかけて、とととっ、とたたらを踏んだところで。

 歓声が沸き、体育館は、ゴゴゴゴッと揺れた。

 その揺れにもまったくめげずに、浩之はたたらを踏んだ葵の身体を、がっしりと受け止めた。

「葵ちゃん、よくやった!!」

 歓声に負けないように、浩之が怒鳴って葵に言ったのは、自分がどれだけ心配したとか、そういうものではなく、まず葵に対する祝福の言葉だった。

 それは、すでにフラフラで、さっき浩之を呼ぶ大声で、全てを使い果たした葵にとって、まるでご褒美のようなものだった。

 反対に、身体をまるで火の塊のように熱くした葵をかかえた浩之は、ここまでこの小さな身体が酷使されたことに、胸が痛くなるような思いだった。

 それでも、葵は勝った。浩之の予想なら、まだ勝ち続けるだろう。そのたびに、浩之は胸を締め付けられるような不安を感じ、しかし、最後には葵の勝利という、喜びが待っているのだ。

 葵は、何とか、顔だけをあげる。今、声を出せるのなら、浩之に何と言ってしまうかわからなかったが、幸いと言うか、不幸にもと言うか、葵は声を出せなかった。出せたとしても、虫の息でももう少しは強いだろう、というほどの声しか出せなかっただろう。

 だから、浩之の心配を、無理矢理押し殺して、ただただ葵を祝福するような顔に、葵の方こそ、胸を締め付けられるような思いを感じたから。

 葵は、満面の笑顔で、浩之に応えた。

 

続く

 

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