作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

四章・成長(219)

 

 死闘を繰り広げた二人に、惜しみない拍手が贈られる中、浩之は、葵の身体を背負って、試合場を降りた。

「ふーん……」

 それを、冷めた目の綾香が、迎え入れる。今まで、一進一退の攻防を繰り返し、そして勝ち残った人間に対する目ではなかった。

 まあ、それは間違いない。何せ、綾香が冷めた目を向けているのは、葵にではなく、葵を背負っている浩之なのだから。

 このような理由から、浩之は気が気ではなかった。しかし、葵をここで背中から降ろすなど、それこそ問題外なので、結局、綾香の前に、無防備な身体を晒すしかなかった。

「何、綾香、嫉妬してるの?」

 葵に軽い拍手をしながら迎え入れた坂下が、いつもは見せない笑みで、綾香をからかう。浩之としては、そんなことをすれば、しわ寄せは全部浩之に来るので、正直止めてもらいたいのだが。

「そんなんじゃないわよ。予選で勝ったぐらいで、サービス多すぎないって言いたいだけよ」

 サービスも何も、浩之は基本的に葵にはいつどんなときもこういう手のことをしてもいいつもりなのだが、しかし、綾香にそんなことを言えば、殴られるのは必至だった。

 戦々恐々の浩之を見て、綾香はちょっとだけ笑って、今度はちゃんと葵に笑いかけた。

「でも、まあ、とりあえず、おめでとう。一応、私に対する最低限の挑戦権は得たって感じね」

「は……」

 はい、と言いたかったのだろうが、葵の言葉は声にならなかった。試合の途中はアドレナリンが分泌されて、痛みを痛みと思わなくなるが、試合が終わってしまえば、それが一気に来る。葵は、しばらくはしゃべれそうにもなかった。

「表彰式には出たいだろうし、休んでていいわよ。浩之への煩雑な説明は、私がするから」

 葵は、こくん、と素直に頷くと、顔を浩之の背中にうずめた。疲労の極地であるからこそ、本音が見え隠れする行為だったが、誰もそれにはふれなかった。

「俺への説明?」

 あまり大きな声を出さないようにしながら、浩之は綾香に尋ねた。

「そ。どうせ、葵が、どうやって首をつかまれた体勢から、逆転したか、実はまだわかってないでしょ」

「あ……そういえば……」

 言われるまで気づかなかったというのも笑える話だが、浩之にしてみれば、どう勝ったかも興味はあれど、葵が勝ったこと自体に気持ちが高ぶって、その課程をすっかり頭からはじき出していたのだ。

 相手のガードをすり抜ける掌打は、見た。しかし、その前、どうやって、脳天に膝蹴りを食らったはずの葵が、力任せに吉祥寺をはじき飛ばしたのか、まったくわからなかったのだ。

「脳天に膝蹴りだろ? あれって、確かに我慢とか打たれ強さでどうにかなるもんじゃないよなあ」

「もちろんよ。受ければ、アウト。葵だってそれは変わらないわよ」

 葵の身体は贅肉が極端に少なく、筋肉も細い。単純に考えて、打たれ強さは大したことはないはずだ。いや、十分大したことはあるのだが、それでも急所への打撃にどうこうなるような部類の、非人間じみたものではない。

「じゃあ、どうやったんだ?」

 聞きながらも、浩之は、頭をフルに回転させて、答えを探した。

 葵は首をつかまれていたので、その部分は隠れていて、浩之も正確に見たわけではなかったが、大きな動きがあれば、外から見ても見えるはずだ。

 が、大きな動きはなかった。それは、葵が少しでも有利なポジション取りをするために身体全体を動かしていたが、その中に、これと言って特殊な動きはなかった。

 そして、打撃音も、ちゃんと聞こえたのだ。音で全てわかるわけではなないが、あの音で、実は威力は大したことはありませんでした、ということはないだろう。

 浩之が頭をひねっているのをわかっているのか、綾香はニヤニヤしながら、浩之がどんな答えを出してくるのか、待っているようだ。

「……なあ、坂下はわかったのか?」

「私か? もちろんだよ」

 葵に一度は負けたとは言え、葵と同等か、それ以上のレベルを持つ坂下になら、何をしたのかわかるということだ。まさか綾香が答えを知らずに知ったかぶりをしているなどとは思わないが、わかっているのなら、ヒントぐらい出して欲しいものである。

「ヒントくれ、ヒント」

 とりあえず、教えてくれそうにない綾香にかわって、坂下に頼んでみる。

「ヒントって……まあ、普通はあんな打撃は使わないか?」

「ってことは、葵ちゃんは何か打撃を使ったってわけだ」

「もう、好恵。それじゃ答えを教えてるようなものじゃない」

 坂下のヒントが大きすぎたと思ったのだろう、綾香が不満たらたらに坂下に文句をつける。

「……てか、葵ちゃんが使うんだから、打撃しかないよな。そういや、吉祥寺選手の動きも止まってたしなあ」

 力ではじかれたとは言え、吉祥寺は距離を取ることぐらいはできたはずだ。しかし、それをしなかったということは、何かしらの理由がある、ということだ。

「でも、一応冷静に判断できてたよなあ、頭へのダメージじゃないってことか……てことは、脚か?」

 消去法ではそうなる。そうなるのだが、しかし、あのときの葵では、いくら何でも、ローキックを出すことはできないだろう。

 最後に残るのは。

「まさか……拳で脚を狙ったのか?」

「ピンポンピンポンピンポ〜ン、ヒントは三レベルまで出てたので商品はなしで〜す」

 三レベルも何も、ヒントを出した坂下が出しすぎただけなのだから、自分には非はない、と浩之は思った。もちろん、商品を狙っていたわけではないが。というか、商品って何だ。

「でも……なあ。百歩譲って、拳と膝で打ち合って、拳が勝ったとしても、葵ちゃんは首つかまれて、下にされてたから、どのタイミングで来るか、わかるわけないんじゃないか?」

 首を捕まえての膝蹴りは、見えないこと、避けられないこと、急所に入ること、の三つの恐ろしさがある。それの一つである、見えないことを、葵はどう解決したというのだろうか。

「浩之の言ってることは、二つとも間違ってるのよ」

「はあ?」

「まず、葵は、拳を膝にぶつけるなんて、無謀なことはしてないわよ。膝じゃなくて、吉祥寺の太ももに入れたのよ」

「ああ、それなら……」

 わからなくもなくなる。いかに鍛えてあろうとも、膝に拳で勝てる道理はない。それよりも、その上は柔らかい太ももなのだ、そこを狙えばいいわけだ。

「で、見えないってところだけど……ほら、葵が手をマットにつこうとしたら、吉祥寺が葵を高く持ち上げたでしょ?」

「ん、ああ」

 片腕を捕まえられなかった問題を解消するために、吉祥寺は、葵の首を高く持ち上げるしかなかった。それで、多少不安定になっていたところはある。

「高さができたら、その分、視界は広がるでしょ?」

「でも、吉祥寺は脚を高く振り上げてたぜ。見えないだろ、そこまでは」

「そんなもの」

 綾香は、当然のように言い放った。

「相手と接触してるんだから、その動きとか、体重の移動とかで、タイミングなんて十分につかめるわよ。少なくとも、高さによってできた視界を合わせれば、吉祥寺の膝蹴りに、無茶なカウンターを入れるのも、不可能じゃないわ」

 あっさりと言い放ったその言葉は、浩之には到底理解不可能だ。よしんば、理解できたとしても、実際にできるとは思えない。

「ま、さすがに力負けして、多少ダメージは受けたようだけど、致命傷じゃなかったし、吉祥寺が受けた脚へのダメージは、かなり致命傷だったわよ」

 吉祥寺が膝蹴りの後、身体を下に落としたのは、葵を下に引きずり降ろそうとしたのではなく、立っていられなくなって、葵に体重をあずけただけなのだ。

「……まあ、何だ。見えてるお前らも凄いが、実行する葵ちゃんも、凄いな」

 浩之の背中で、気持ちよさそうに身体をあずけている小さな女の子に、浩之は、また改めて、感心した。

 そして、いつか、自分もこの点にたどり着かねばならないと思うと、やる気を通り越して、うんざりする気持ちになる。

 一体、いつ追いつけるんだろうかなあ……

 葵にも、そして、綾香にも。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む