作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(5)

 

「坂下、確かに変な格好だけど……」

 その的を射た浩之の助言を、まわりのレディースの女の子達が睨んで止める。

 しかし、言われるまでもない、自分に走り込んでくるマスクの少女は、見た通り、格好はおかしいものの、その動きは、平均的な少女のそれではない。

 ちゃんと鍛えてはいるようだね。

 こういう、不良とかレディースなどには、武器を持って、または集団で少数を狙うことによって、または、持って生まれた才能で、自分が強いと錯覚する。

 いや、確かに素人相手になら、それで十分通用するだろうが、坂下のような、本気で格闘技をやっている人間に、しかも一対一で戦うには、それだけではいささか足りない。

 そういう意味では、このマスクの少女は、ちゃんと身体を鍛えていた。才能だけではない、長い努力の末に手に入れたものというものは、やはり重みが違う。

 身体全体で打ち込むような前蹴り、というよりも、下からのサッカーキックと言った方がいいだろうか。そのキックが、坂下の股間を狙う。躍動的な身体を、一本のしなる竹にしたような動きだった。

 坂下は、軽いステップでそれを難なく避ける。

「いきなり急所とは、危ないヤツだね」

 と言いながらも、坂下にはまだ余裕がある。本気で追撃しようと思えば、できるだけの余裕が、坂下にはあった。

 しかし、坂下は、冷静というよりは、少し冷めた目で、マスクの少女の動きを観察していた。

 身体ごとぶつけてくるような振り上げるキックが股間に入った場合、無事では済まなかっただろう。ほぼ確実に、病院送りだ。女性でも、股間というものは急所であるのだ。

 しかも、マスクの少女は、固そうなブーツを履いている。それだけならば、何も不思議がることはないのだが、足首を固定するのではなく、自由に動くブーツであることから、そのブーツが、実際に相手を傷付けるための武器であることが知れる。

 少女の弱い身体でも、硬いブーツは十分な殺傷能力を持つだろう。それが、弱いのではなく、鍛えた強い少女ならば、なおさらだ。

 拳は使って来ないようだが、ちゃんと厚いバンテージで保護されている。使うとしても、守りに使うとしても、十分な効果を発揮できるだろう。

 人間自身を凶器にするときに、一番困ること、それはやはり人間の身体が、攻撃に使うには脆過ぎることだ。ちゃんと鍛えてある坂下の拳だって、下手に人間を殴っていれば、簡単に骨折してしまう。それを回避するためのブーツやバンテージというものの効果は、物凄く高い。

 このマスクの少女の選択は、正しい。こと、相手を自分の格闘技で倒そうというのなら、非常に正しい選択を取っている。いきなり全力で急所を狙うことといい、合格点を出してもいいレベルと言えよう。

 しかし。

 キリッ、と坂下の歯が鳴る。

「でも、まだまだだ。こんなのなら、まだ藤田の方がよほどましだ」

 はき捨てるように、坂下はマスクの少女をにらみながら、言い捨てた。

「ましって表現に、何かひっかかりを感じるんだが……」

 誰がどう見ても怒っているようにしか見えない坂下を相手に、浩之は少しも恐れた風もなく、冗談を言っている。見ているレディースの少女でさえ、皆無意識のうちに下がったというのにだ。

「藤田、あんたが相手してやれよ。私は、嫌だね」

「おいおい、俺は怪我してるんだって。首突っ込んできたのは、坂下の方だろ。それに、お相手さんは、逃がしてくれないだろう」

 表現こそ、思ったよりもおとなしかったものの、坂下は、マスクの少女を、はっきり弱いと言い捨てた。浩之よりも自分が強いといい、そして浩之の方がましと言ったのだ。どう曲解しようとも、弱いと言っている以外には聞こえなかった。

 事実、坂下はそういう意味で、言っていた。

 マスクの少女に、今度は明らかな表情が浮かぶ。わかりやすいほどの、怒りだ。どういうつもりでこんな格好をしているのかわからないが、弱いと言われて引き下がるような人間が、路上で一対一を申し込むような物好きなことをするとは思えない。

 マスクの少女の主武器は、やはりキックなのだろう。腕をひきつける様子はなく、あくまで、身体のバランスを取るために使うつもりのようだった。

 坂下としては、まったくどうでもいい話だった。相手がパンチだろうがキックだろうが、知ったことではない。何を使ってくるか、ではなく、誰が、の方が重要なのだ。

 マスクの少女が、二、三歩、後ろに距離を取る。

 そして、一気に、坂下に向かって走りこむ。坂下の射程に入る前に、その身体が浮く。

 飛び、後ろ回し蹴り……か?

 横で見ていた浩之は、一瞬はそう判断したが、しかし、それがフェイントであるのを、一瞬で見抜いた。

 反対に、坂下には見分けにくい技であるのも、すぐに理解した。

 空手をやっている相手に対する戦い方としては、マスクの少女の動きは、十分説得力のあるものだった。

 後ろ回し蹴りという技は、素人には無理でも、ちゃんと空手をやっている人間ならば、十分に見慣れた技だ。難易度は高いとは言え、使ってくる人間は十分にいる。

 反対に、素人相手になら、まずかかる技でもある。この少女は、そういう自分だけの有利な技で、今まで路上で勝って来たのだろう。

 坂下のレベルになれば、それぐらいはすぐに思いつく話だ。

 しかし、それこそが罠。素人にかかったからと言って、ちゃんと打撃をやっている人間にはかからない。それをマスクの少女が理解していない、と相手に誤解させるのだ。

 そして、後ろ回し蹴りと見せかけて……

 空中にあるマスクの少女の上半身が、背中を向けた状態で、いきなり曲がった。

 完璧に警戒させておいてからの、左後ろ回し蹴り、に見せかけた、飛んで全体重を乗せた、右後ろ蹴り!

 ガッ!!

 それは、まるで罠に捕らわれる、か細い小動物を思い起こさせた。そう言えば、きっと激怒しただろうことは、想像に難くない。

 だが、浩之の見たものは、もうほとんどそんなもの、としか言い様のないものだった。

 驚愕、というよりも、むしろ恐怖の色が、そのマスクの上からでも、はっきりとわかるほど、狼狽していた。

 全体重を乗せた、渾身の右後ろ蹴り。ブーツのかかとでこれを繰り出せば、相手は必ず入院する、そんな一撃だった。

 それを、坂下は、余裕たっぷりに、しかし、険しい顔で、マスクの少女の右足首を片手で掴んで止めていた。

 何とかバランスを取って倒れはしなかったものの、さながら、マスクの少女は、罠に脚を取られた子ウサギのようだった。

 どんなに力を入れても、ピクリとも動かない。相手を攻撃しようにも、背中を向けている以上、目標が定まらない。

 何より、そんな強者に、ずっと背を見せていなければならない、恐怖。それは想像しただけでも、震えが来る。

 坂下も、それをわかっているのか、まったく手を出そうとはしない。ただ、万力のような力で、少女の足首を掴んでいるだけだった。

「こんな鍛え方で、私が倒せるとでも」

 マスクの少女が、意を決して空いた左脚を使って、坂下を攻撃しようとするよりも、はるか以前に、それでも、十分な時間を取ってから、坂下は言い捨てた。

 ズバンッ!!

 マスクの少女の身体が、易々と横に吹き飛ぶ。

 坂下の、彼女から言わせれば十分に手加減した左中断回し蹴りは、マスクの少女の身体を、軽々と、大きく吹き飛ばした。

「思ってたのか」

 彼女を相手にするには、その少女は、弱すぎたのだ。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む