ぴくりとも動かないマスクの少女を見ても、坂下は何の感慨も感じなかった。
その坂下のかわりに、まわりにいるレディースの少女達は、思い切り動揺していた。顔には、まさか負けるとは、と皆書いてある。
しかも、接戦を戦い抜いて、というのならまだしも、文字通り、手も足も出ずに格の差を見せつけられた結果で終わったのだ。
「……で、次は?」
これで終わりであろうことは、坂下にも十分理解できている。表情が物語っているのだ。このマスクの少女よりも強い人間は、ここにはいない、と。
それでも、挑発のように言ってしまったのは、坂下も、どこかの格闘バカがうつってしまったのかもしれない。
坂下は、不満だったのだ。
なるほど、拳を鍛えなくとも、バンテージをしっかりとして、脚にはブーツという凶器をつければ、十分男とも渡り合えるだろう。相手が油断をしていれば、一発で決まる、それぐらいには脚が使えていたのは坂下も認めていた。
しかし、自分には、物足りなさ過ぎた。バンテージ程度ならともかく、ブーツのような凶器に頼らねば勝てないのでは、それは格闘技の強さとは言わない。
もちろん、素手で瓦十枚を平気で割る坂下の基準は明らかにおかしいのだが、その大きな差が出来るほど、坂下とそのマスクの少女の実力はかけ離れていたということだ。
「ラン、おい!」
やっと我に返ったリーダーが、倒れた少女に駆け寄る。それに皆触発されたのか、慌てて、マスクの少女のところに集まる。
「怪我は、多分させてないよ。これでも、手加減したんだからね」
頭も狙わなかったのだし、単純なダメージで倒れているだけだ。本気で鍛えた腹筋でも、坂下の中段回し蹴りを受けるにはいささか心許ないのだから、中途半端な強さしか持っていなかった少女には、きつ過ぎたのだろう。
「この……」
中の一人が、武器を振りかぶって、坂下につっかかってきた。
坂下は、その動きを、冷静に見ていた。さっきのマスクの少女よりも、数段劣る動きだ。坂下なら、一瞬で五発は拳を入れられるだろう。
しかし、坂下はその拳をふるうことはなかった。
「やめなっ! これは尋常な勝負だったよ!」
まず第一に、リーダーの少女が、怒鳴って止めたこと。それに、つっかかった少女は、悔しそうに、しぶしぶながらも、素直に従ったこと。
そして、第二に。
「……大丈夫だよ、藤田。別に私だってむやみやたらに殴ったりしないよ」
浩之が、坂下の手首をつかんでいたからだ。
そうは言うが、もし浩之が手首をつかんでいなかったら、一発ぐらいは入れていただろう。そして、相手を倒すのには、一撃で済む。
そうなれば、あっちも黙ってはいまい。坂下や、怪我をしていても浩之の相手ではないのかもしれないが、あかりは単なる素人で、運動神経もいいとは言えない。
いや、あかりが大丈夫であったとしても、最低、相手のレディース達は、全員倒されるだろう。坂下も、乱戦になれば、相手が怪我をするなどと気にしている暇もなくなる。
こちらのあかりのことと、相手のことを考えて、浩之は、一番まともな方法を取ったのだ。客観的に見れば、敵と思える相手にでも、どこか優しさを持てる、そういう浩之の欠点でもあり、そして大きな取り柄でもあるその行為に、坂下も、気を落ち着かせたのだ。
それに、坂下なら、手首を捕まえられていても、倒そうと思えば倒せたはずなのだ。好戦的になっているとは言え、坂下だって、常識を捨てていたわけではない。
それよりも、坂下はじっと浩之がつかんだ手首を見るあかりの視線にいたたまれないものを感じて、浩之の腕をふりほどいた。
浩之も、もう坂下が冷静を取り戻していると思って、無理につかむことはせずに、手を放す。
「う……うぅ……」
しばらくすると、うなりながらも、マスクの少女は、のろのろと動きはじめた。そこでやっと、まわりのピリピリとした雰囲気がゆるむ。
マスクの少女が、一応は大丈夫なことを見て、リーダーらしき少女は立ち上がって、坂下と対峙した。さきほどと違うのは、その手にあった木刀を、他の少女に渡していたことだ。
戦う意志はない、ということらしい。確かに、坂下から見ても、リーダーの少女は、格闘技に関しては素人に見える。手に何か隠し持っていたとしても、坂下が遅れを取るようなことはないだろう。
「いや、正直、驚いた。ランが、あんなに簡単に倒されるなんてね」
「素人にしては悪くはないけど、真面目に空手やってる人間には、まだまだ子供だましのレベルだね」
友好的な相手の態度に、坂下は、口調こと友好的だが、辛らつな評価を口にした。
それを聞いて、リーダーの少女は、怒るどころか、苦笑を浮かべる。
「単純な実力ならそうかもしれないけど、普通は格闘技経験者でも、いきなり路上でブーツで蹴りかかられたら、冷静に対処できるもんじゃないよ。ケンカなら、お上品なスポーツマンには負けない。それだけは、私らだって自信も、自負もあるんだ。あんた、落ち着きすぎてるよ」
もとより、度胸がある、というより、どこかおかしな浩之はともかく、一般人がいきなりケンカに巻き込まれては、冷静に対処できるものではない。
その点、坂下は鍛えられていた。自分の学校の不良を一掃したことでもわかるように、まあ、これに関しては、坂下の名誉のために言うと、空手部の異端児、御木本に巻き込まれただけなのだが、経験は豊富だった。
多人数、武器、性別の差、怪我、人質、その他もろもろ、坂下は、ありとあらゆる戦いというものを経験してきた。それでもこれだけまっすぐに育っているのは、むしろ驚くべきことなのかもしれない。
そして、坂下は、痛いほどよくわかっていた。世の中が、結局最後には、強い者の世界であることを。それと比べたら、ケンカなどに肝を冷やすようなことなどない。
最強の、少女をずっと見て来たのだから。
「坂下がお上品じゃなかったってだけだろ」
その最強の少女を前にしても、物怖じ一つしない浩之が、当然、こんな状況ぐらいで冷静さを無くす理由などない、というわけだ。
「それで、結局、名前を売るために、藤田を狙ったのかい?」
坂下は、横から入って、相手をかっさらったついでに、圧勝で勝ってしまったのだが、浩之がどうして狙われたのかの理由は正確には知らなかった。もちろん、浩之だって知らないのだ。
売名行為、というならば、ハイリスクローリターンで、まったく役にたたない行為だと坂下には思えた。
「確かに、名前を売るっつうか、デビューついでに、箔をつけるために、知名度の高い奴を倒そうと思ったんだけどね」
「箔、ねえ」
浩之を倒して箔がつくものかどうか、坂下もそうだが、浩之だって疑っているが、しかし、それよりも気になる言葉があった。
「デビュー?」
「ああ。一般人は知らないのか? うちのランは、今度、『マスカレイド』に参戦することになってるんだ」
リーダーの少女は、聞き覚えのない言葉を言い、二人に笑いかけた。
「『マスカレイド』について、聞きたいかい?」
続く