どこかの、公園だろうか?
ビルの上から、下の公園を眺めているような風景だった。望遠レンズでも使っているようだった。
すでに日が落ち、その場だけ嫌に明るい街灯だけが、光源だった。
その明るみと暗がりの中を、何かが疾走していた。遠くから見ているだろうに、そのシルエットさえ判断できないほどのスピードだ。
その影は、木に向かって駆け寄ると、その勢いを殺さぬまま、その木を蹴る。
画像を加工した、と言えば誰しもが納得するどころか、加工していない、というなら、嘘だと言われる、さもなくばワイヤーを使っていると言われるだろう、光景が、その画面には映っていた。
音はしないが、それでもタタタンと軽快な音が聞こえるような動きで、その影は木を駆け上った。
そして、木の上にぶら下がっていた何かを、変わらぬ勢いで下から蹴り上げる。
初めて、そこで木の上に何かが、人というにはあまりにも不自然な格好でいたので、あえて何か、と言うが、いるのに坂下は気付いた。
その何かは、駆け上がって来た影の一撃を、何とか脚で受けて、その勢いで、つかんだ場所を支点に、上にはじかれる。
影は、前進、というより上昇の力を全て蹴りの威力に変えて、はじかれるように空中に舞っていた。
蹴られた何かは、しかし、その宙に浮いた、わずかな隙を見逃さなかった。
勢いを殺すために上にはじかれた身体を、そのまま回転させて、木に足をつけ、身体全体のバネを使って、空中にいる影に向かってまるでロケットを思わせる動きで、飛ぶ。
ワイヤーアクションどころの動きではなかった。何かは、そのまま頭からではなく、宙で身体を振り子のように動かし、前蹴りのような動きで、宙に浮く影の胴体を蹴り抜いた。
音は、やはり聞こえなかったが、二つの動きから、その蹴りが届いたのを、坂下は理解した。
そのまま、二つのそれは、衝突の勢いではじかれて、少し離れて、お互いに地面に落ち、転がるようにして受け身を取る。
両方、隙のない動きで足をついていたが、先に立ち上がったのは、蹴りを受けた影の方だった。
ふわり、その長く綺麗な黒髪が広がる。出番の来た劇の主役のように、見栄を切って立ち上がる様は、一般人とは、完璧にかけ離れていた。
カメラが、彼女に向かってアップになる。
息を呑むような美貌を、背筋が凍るような笑みと殺気をはらませ、彼女は立ち上がらない何かの方を睨み付けていた。
「……あいつ、あんなところで、何やってるのよ?」
坂下のあきれたような声に反応するように、画面に、テロップが出る。
『エクストリーム高校女子の部、前年度チャンピオン、来栖川綾香』
そのテロップを見て、レイカ達がどよめく。エクストリームは、やはりビックネームだ。浩之のようにやっと予選を通過した者なら、そんなに驚くほどでもないだろうが、そのチャンピオンとなれば、話は違ってくる。
しかも、来栖川綾香と言えば、他の部の優勝者に、戦いたくないと言わせるほどの、圧倒的実力を持った、言わば伝説の人間だ。
そして、カメラが、今度は立ち上がらない何かの方に移る。
口から上を隠す、黒に白い線の入ったマスクをつけた、細い長身の男。よく見ると、蹴った方の脚を押さえている。
しかし、それでも坂下が見た限り、この黒マスクの男には、隙がない。中腰の状態で隙が見あたらない、というのは、なかなか特殊なことだった。
こちらの男の方にも、テロップが出る。
『マスカレイド、ランキング第7位、クログモ』
坂下は、誰に言うでもなく、「へーえ」と声をあげた。
正直、綾香は今更だが、このクログモと呼ばれる男、並大抵ではない、それを、今までの動きで十分理解できていた。
綾香なら、それこそワイヤーアクション、ノーワイヤーでやってもおかしくはないが、その綾香と空中戦を繰り広げる人間など、坂下は長いつきあいで見たことはなかった。
マスカレイドの上位ランキングの人間が、どこまでできるか、と思ったのだが、これは、坂下が思う以上かもしれない。
いや、実際に戦えば、坂下だって十分危ない相手だ。
何せ、不完全であったとは言え、綾香に一撃入れられたのだ。それは、どんな大会の優勝経験をを持っているよりも、坂下にとっては現実味を帯びた「強さ」だ。
しかし、何故綾香がこんなところで?
まあ、大した疑問ではなかった。売られたケンカは買って骨の髄までしゃぶるのが綾香流のやり方だ。むしろ、それを知らずにケンカを売った相手の方の精神状態を心配したいぐらいだ。
再び、カメラは、二人を画面にとらえる。しかし、一つだけ、その画面には違和感があった。
綾香の視線が、カメラの方に向いていたのだ。体勢を立て直す、綾香の姿が映っていた。
『スペシャルマッチ、来栖川綾香VSクログモ!!』
というテロップが出た瞬間、ガンッ、と大きな音を立てて、画面がゆがみ、次の瞬間には、画像は切れ、ザー、と砂の画面になる。
何が、と思う二、三秒の間に、画面は二人の空中でぶつかる静止画となり、テロップが出る。
『来栖川綾香選手の投石により、カメラを破壊され、これ以上の記録はない』
説明としては、あまりにあまりな内容だった。
「……」
その、現実味のないテロップの内容に、皆黙る。パソコンを持って来たゼロというメガネの少女だけが、呑気に「おー、すげー」と喜んでいた。
ビルの上から取ったような画面だった以上、それなりに高く、そして遠い場所から映していただろうに、それを見つけて、あまつさえ、石を投げつけて当てるのだ。
普通、を通し超して、多少異常でも、無理というものではないだろうか?
「……また、演出過剰だね」
「綾香なら、するよ、そんぐらいわね」
レイカの、ひきつった言葉を、坂下は否定した。それぐらいで驚いていては、綾香の知り合いなど長くは続けられない。
「……ヨシエ、もしかして、来栖川綾香、知ってるのかい?」
「知ってるも何も……」
坂下は、大きくため息をついた。
「綾香が怪物なのは、私が誰よりも、何よりも一番わかってるつもりだよ」
それは、全然嬉しくない内容だったりするのだが。
続く