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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(17)

 

 異種格闘技で、一番怖いのは、相手の強さがわからないということである。そして、それと同じぐらい、相手が何を使ってくるのかわからない、というものは、怖ろしいものだ。

 前者の、相手の強さ、という意味では、綾香は大まかには理解していた。

 来栖川綾香と、真正面から戦える強さ。

 それを聞けば、知っている者なら尻込みするだろうが、綾香としては、関係のない話だし、むしろ、それは望むところだった。

 そして、後者、相手が何を使ってくるのかわからない、という部分においては。

 事実、その通りで、綾香は、クログモが次にどんな攻撃を仕掛けてくるのか、わからない。そのわからないところが、クログモの強さの一端を担っているのは確かだろうが。

 そして、わかっていれば対処できるものでもない。目にもとまらぬ打撃をさばけるのは、それに慣れているから、ということも付随するのだ。

 だが、綾香は、まったく怖くなかった。むしろ、ゾクゾクと走るものは、快感に近かった。

 何であれ、綾香の予想を超える人間というのは、綾香を楽しませてくれる。小さなころから、何でもそつなくこなす、どころか、つねに一番と言っていい結果を出して来た綾香に、しかし天才のもろさはなかった。

 自分の予測を超える人間。それは、何と楽しい相手だろう。

 浩之に惹かれたのも、その部分が強かったのかもしれない。天才、しかも生半可な天才ではない綾香を、驚かせる。それは、それこそ、天才だってそう簡単にはできないのだ。

 真正面から、クログモと格闘で戦えば、綾香は負ける気はしなかった。それなら、完全に綾香の土俵であり、それで遅れを取るようなら、綾香は今この場所に立ってなどいない。

 しかし、幸いなことに、そう、綾香にとって幸いなことに、ここは、むしろクログモの土俵だった。視界を遮るものが、立体的に伸びている、この場所では、綾香はわざわざ相手の土俵に合わせる必要がない。

 苦せずして、苦境に立たされた、と言っていい。

 お膳立ては、十分。さて、この相手は、どれだけ私を楽しませてくれるだろうか?

 綾香とて、相手をなめているわけではない。相手の強さを、自分と正面で戦える、と評価した上で、不利な環境にいるのだ。

 それでも、負けるなど、はなっから考えていない。だいたい、負けるなどと考えて、その戦いが楽しめるだろうか?

 負けることなど、負けそうになって考えればいいのだ。

 それを貫き通すだけの強さが、自分にはあるのだし。

 いつまでたっても仕掛けてこない綾香を見て、クログモが、先に動いた。手を知らない相手に先制を許すなど、競技者としてはあり得ないことだし、格闘家としては、本当に絶対にあり得ないことだ。

 クログモが、音もなく綾香の方に滑り寄る。止まることを考えなくとも良いそれは、まさに電光石火の動きだった。

 手や脚を伸ばせば、そこにつかまって身体を引き戻すことができるクログモにとってみれば、握る場所の多いここは、自分にとっての最高の環境のはずだ。

 木に足をフックしながら、クログモが綾香に向かって腕を振り上げた。そのリーチを存分に生かした、フックというよりは、前進を鞭のようにしならせた、下からのラリアットにも似ている。

 綾香は、それを一寸の見切りで避けようとし、しかし、すぐに大きく頭を後ろにそらす。

 ひゅっ、と綾香のさきほどまで頭のあった箇所を、クログモの指が通り過ぎる。一寸の見切りで、確実に当たらないと綾香が読んで避けていたら、当たっていた場所だった。

 のぞけった分、綾香はクログモの追撃をあきらめるしかなかった。本当は、ぎりぎりで避けて、引き手に合わせて懐に入るつもりだったのだが、その当ては外れたようだった。

 抜き手、ううん、指、か。

 拳ではなく、指の先で、クログモは攻撃してきたのだ。拳から手を広げる分、間合いは広くなる。手の力のみで木にぶらさがる握力だ。あごに当たれば、脳しんとうを起こさせるぐらいはできるだろう。

 リーチを生かした戦い方、ね。

 先端さえ鍛えれば、人間の身体は予想以上の場所を攻撃できる。綾香も、つま先でいいのなら、かなり離れた相手でも一撃の下に倒す自信がある。

 しかし、クログモと綾香のリーチの差は、かなり広い。決して小柄ではないと言っても、綾香は所詮一般の女の子の体型だ。百八十に届くか、と思われるクログモとのリーチは、笑ってしまうぐらいに広い。

 かつ、独自のリーチを伸ばす動き。懐に入ろうにも、スピードが速く、こちらがスピードで撹乱するのは、非常に難しいと思われる。

 うーん、葵だったら、この状況だと、勝てないかな?

 懐に入れば、葵の勝利だろうが、それをさせないことを第一に考えて、クログモは動いている。木の上などにいかれて、どうやって懐に入れるだろうか?

 しかし、懐に入れないのは、綾香とて同じこと。綾香が本気を出して入ろうとしても、簡単には入れないと予想しているのだ。その強さがわかろうというものだ。

 ま、軽くゆさぶってみるか。

 ひゅひゅんっ、と綾香は両腕をしならせて、ジャブを放つ。クログモは遙か遠くで、当たることなどない、軽く、自分の調子を測ってみただけだった。

 ふむ……悪くは、ないわね。

 自分の調子をそう心の中で評価すると、綾香は、クログモに向かって、距離をつめた。クログモは、木の上にあがるでもなく、しかし、木の近くで、綾香が近寄ってくるのを待つ。

 まず、綾香が左ジャブを打つ。

 それは、はるか離れた場所で、クログモは動きさえしなかった。

 クログモの手はすでに木を握っており、そこから、普通の人間なら無理な動きで、身体を下に落とし、水面蹴りで綾香の脚を狙った。

 綾香は、それを縄跳びを跳ぶ要領で、またぐ。両足が地面を浮いた時間など、一瞬にも満たない時間だった。しかし、クログモも、木を支点にして、その瞬間には、体勢を整えていた。

 リーチが、違い過ぎるのだ。クログモが身体を伸ばしてくれば、綾香の打撃は、はるか遠くの空間を空振りするしかないのだ。

 こちらは安全な距離から、相手を危険に追い込む。おそらくは、今までの相手は、何もできないまま、倒されていったのだろう。

 水面蹴りをまたいだ一瞬の隙をついて、クログモがストレートを打ち出す。

 腕、というにはあまりにも長い距離を、その一撃が突き抜ける。しかし、綾香は、冷静だった。

 パパンッ!

 その音は、綾香の近くで聞こえたが、綾香は、驚きもしなかった。かわりに、クログモが驚いたように、木の上に登っていた。

 ふふん、と綾香は鼻をならすと、木の上に逃げたクログモを、余裕の顔で見上げた。

 リーチごときでは、綾香にとってみれば、攻略など簡単な話だったのだ。

 

続く

 

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