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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(18)

 

クログモは、綾香から大きく間を開けた。普通の二次元での距離だけではなく、木の上という、高さも含めて、広く間合いを開ける。

 それは、自分に攻撃の意志がないと言っているようなものだった。いかに猿のような動きができたとしても、クログモのいる木の上から、綾香を瞬間に攻撃することはできない。

 強い相手から、距離を取らないのは怖いが、あまり距離を取るのも考え物なのだ。相手へのプレッシャーが切れると、相手としては楽なだけだ。それぐらいはわかっているのだろうが、それをわかっていても、距離を取って仕切り直しをする方をクログモは選んだだろう。

 クログモの攻撃を簡単に捌いてみせて、鼻を鳴らした綾香も、その対処には、感心した。綾香としては、後二回ほど同じ攻防を繰り返せば、仕留める自信があったのだが、それをクログモは予測したということだ。

 綾香とクログモのリーチ差は、笑ってしまうほど広い。しかし、自分の腕が、脚が、先に相手に届くからと言って、それなら絶対に勝てるかと言えば、そうではない。

 綾香の戦って来たものは、仮にも日本一を決める総合格闘技大会、エクストリームだ。その中には、当然持って生まれたものが一般人とはかけ離れた、巨体や、柔らかすぎる身体、先天的な反射神経を持った選手はいた。

 それを、綾香は余裕と言ってもいい結果で勝ち切ったのだ。リーチの差が五十センチという相手との対戦の経験もある。ただ、長いだけで綾香を止められると思ったら大間違いだ。

 それは、変則的な動きに合わせるのに、少しだけ時間がかかったが、どういう「変化」なのかさえわかってしまえば、後はどれも同じだ。

 リーチの問題など、タイミング一つで、全て解決できる。

 何も、綾香の拳を、相手の顔面に叩き付けるだけが、打撃ではない。

 クログモの打撃を、綾香は打ち落としたのだ。中谷が使い、それを真似た浩之が使ったものだが、綾香のそれはもっと攻撃的だ。

 あの二人は、あくまで打撃をそらすためのものだったが、綾香の打撃の打ち落としは違う。相手の打撃に使われる末端を、破壊するのが目的なのだ。

 リーチの長い相手は、まず末端から狙う。普通は常套手段だ。リーチが長くて入らない相手には、まずローで脚を狙って、そして動きを鈍くしておいてから、懐に入り込む。

 もちろん、総合格闘技の世界では、そんなに簡単なものではない。だいたいにおいて、スピードのために、身体をギリギリにまで絞っている総合格闘技の世界では、長いイコール重い、であり、近づけば、自分よりも重い相手に組み付かれるわけで、単純なものではないが、それでも、末端を狙うのは間違いではない。

 綾香の打撃を打ち落とす打撃は、単純にローを放つよりも、さらに危険度が高い。中谷や浩之が使ったのは、縦の方向の動きに、横の方向の力を垂直に入れて、方向をそらすというものだった。これなら、大した力を込めることなく、相手の打撃を封じられる。

 これに大して綾香のは、打ち落とし、というより、迎撃に近い。相手の打撃に、横から力を入れるのではなく、三十度から四十五度の角度で、半分正面から打撃を入れるのだ。

 腕や脚は、胴体に比べて、鍛えられた部分はともかく、そうでない部分と、鍛えられない部分は、酷く弱い。胴体に比べ、肉が薄いため、場所によっては、簡単に骨折してしまうのだ。綾香は、その弱い場所を的確に狙っている。

 自分の打撃の威力を、半分近く足して、綾香の打撃を喰らうのだ。数発も無防備に入れられれば、腕など動かなくなるだろう。

 だったら最初からそれをすれば、と思うが、これができるのは、驚異的な動体視力と、天才的なタイミングを測るリズム感がある綾香だからこその打撃だ。

 タイミングが少しでもずれれば、威力などないし、下手をすれば相手の打撃を直撃されてしまうだろう。迎え撃っているということは、逃げずに打撃に向かっているのだから、失敗すれば受けるのは当然のことだ。

 綾香だって、いつでもできる打撃ではない。

 普通の相手なら、こんな危険なことをする必要もないのだが、今回は少し話が違った。

 変則的な、普通は考えられない動き。対戦者にしてみれば、タイミングを読むのは、非常に難しいだろう。

 綾香は、だから、クログモが、カウンターの類の経験が少ないと判断したのだ。相手がタイミングを合わせることができないのだから、その場面にまず合うことなどないはずだ。

 連続技になればなるほど、それは顕著なはずだ。むしろ、飛び技の方が、カウンターを合わし易いだろう。経験があったからこそ、綾香の肘と膝の挟み殺しを軽傷でやり過ごすことができたのだ。

 それは、連打を見て、あっさりわかった。変則的で、今まで経験したことのない動きだった。それは認めるが、もう、その変則の攻撃を、何度か綾香は見てしまった。

 変則を理解してしまえば、変則の中では、クログモの打撃は単調だったのだ。単調な打撃など、綾香のカウンターの餌食だ。

 それでも、胴体や頭に打撃を入れるのは遠い。だから、綾香は目標を腕に一瞬で変更したのだ。

 簡単ではなかったが、綾香はクログモの打撃を捉え、これで、クログモは、うかつには打撃を打てなくなった。少なくとも、地上では。そういう威嚇の意味もあるのだ。

 リーチのみで私に勝てるとでも、思ってたのかしら。

 クログモのことではない、遠くで、さっきまでの飄々とした表情を、少し硬くしながら観戦するよくわからない男、赤目に綾香はちらりと視線をやる。

 まさか、あっさりとクログモのリーチを攻略されるとは思っていなかったのだろう、それは表情でわかる。

 と、次の瞬間、綾香は身体を後ろにそらした。

 ビュンッ、とさっきまで綾香の頭があった場所を、クログモの腕がすり抜ける。赤目に目をやった一瞬の隙をついて、木の上を移動し、そのまま木に足を引っかけて、逆さづりになるようにしながら、綾香の頭を狙ったのだ。

 完全な不意打ちだった。綾香の都合など、関係ないと言わんばかりだ。

 よそ見してる私が悪いんだけど、ね!

 綾香は、身体を後ろにそらし、そのままブリッジしながら腕を地面につけて、空中に浮くクログモに向かって、バク転しながら蹴りを放つ。

 バシイッ!

 追撃が、身体を木の上に戻そうとしたクログモのスピードに勝り、綾香のバク転しながらの蹴りが届く。

 クログモは両腕でそれをガード、木にかけた足を支点に、大きくしなって、威力を殺す。

 そのまま、クログモは、まるで鉄棒の選手を思わせる動きで足を放し、空中で回転、かわりに手で木の枝をつかむ。

 バク転から綾香が回転を止めずに立ち上がるのと、まさに鉄棒の動きで身体を回転さえたクログモの両足のキックが放たれるのは、ほぼ同時だった。

 ズガシィッ!

 バク転後で、脚の残っていなかった綾香は、その両足をそろえた、ドロップキックにも似た打撃を、両腕でガードするしかなかった。

 身長の割には軽いとは言え、それでも綾香よりも重く、さらに回転の力も含めたキックに、それでも綾香の足は、地面をつかんで放さなかった。いや、やや上からの打撃であったので、方向は、むしろ地面に向かっていた部分も功を奏したのだろう。

 ズザザザザザーッ、と綾香の足が地面を浅く削り、土埃をあげる。まるで少年漫画で、敵の必殺技を受けたほども、長い間だ。

 それも、綾香が衝撃を逃がしながらも、体勢を崩さないようにするための動きだった。もし、宙を浮いてしまえば、それすらこの男は見逃さないだろう。

 木の上に戻ったクログモを、綾香は軽くにらみつけた。

 やっぱり、リーチを攻略したぐらいじゃ、全然へこたれない、か。

 久しぶりに、全力で楽しめると思った相手だ。真正面の打撃の撃ち合いでは勝ったが、それだけで負けてくれる、いいや、負けてしまうとは、思っていなかった。

 派手な空中戦を、綾香はしたいわけではないのだが。

 それが、クログモの得意とすることならば、つきあってやってもよい、と思った。もちろん、それは、綾香のやり方、でだ。

 手加減をしてやるほど、この男は、弱くないようなのだから、綾香のやり方で、存分に、相手をしてやるつもりだった。

 

続く

 

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