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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(21)

 

 綾香と、クログモの腕が交差。

 ジャッ!!

 おぼそれと当時に起きた音は、一つ。

 綾香の飛び抜けた動体視力が、クログモの驚愕の目を映していた。

 化け物が!!

 綾香が、何度も聞いたような言葉が、その目からでも読める。その一瞬の、刹那にも満たない時間で、綾香は顔を、ほころばした。

 そんなセリフ、聞き飽きたわ。

 座った状態から立ち上がり、落ちてくるクログモに向かって拳を打ち上げ、さらに、綾香は完璧にクログモの攻撃を避け、綾香の拳は、クログモに擦る。

 クログモのマスクが、その一撃で、切れる。脱げはしないものの、こめかみの辺りが、スッパリと切られた。綾香の拳の所為だ。

 脚を上にすることで、軌道を変えやすいようにしたにも関わらず、綾香の攻撃を受けきれなかったのだ。だいたい、普通の人間が、真上に対しての打撃が打てる訳がない。そこから、まず綾香は違っているのだ。

 綾香は、座った自分をおとりにして、クログモを手の届く場所までおびき寄せたのだ。クログモも、それを半分予測していたからこそ、脚では攻撃せずに、軌道修正と戻りのために、脚を上にしたのだ。

 しかし、軌道修正だけでは、足りなかった。それどころか、こちらの攻撃を擦らせることさえできなかったのだ。

 こうなれば、もうクログモは素早く安全位置に戻るしかない。それも遅れれば、綾香が木の上だろうが何だろうが、追って来るという、確信にも似た恐怖があった。

 本当に、映画を思わせるような不可思議な動きで、クログモは身体を木の上に逃がそうとした。

 しかし、この攻撃は、避けることはできない。

 後頭部に走る、酷く重たい衝撃。

 と同時に、視線は自分を向いているままなのに、綾香の腕が、一直線に振り下ろされていた。

 まさに、地上に立った退魔の杭のように。綾香の一閃が、クログモの後頭部に入った。

 綾香の得意技にして裏技、ラビットパンチ。綾香命名ウサ耳パンチ、はあまりにもアレなので、ラビットパンチと呼ぶ。

 相手の後ろまで抜けた拳を引き戻しながら、相手の後頭部を狙う。今までこれを避けられた人間はほとんどいない、それほどに、回避も防御も難しい、ボクシングでは危険さゆえに反則となっている技だ。

 綾香は、罠を張った。モンスターを倒すには、罠と相場は決まっている。

 自分を餌にして、クログモを自分の間合いまでおびき寄せる。そして、クロスカウンターを狙う。

 誰もが、そのクロスカウンターこそ、警戒しているものだろうが、それを避けられても、綾香には次がある。

 二段構えの罠に、モンスターもひっかかった。

 鋭すぎるクロスカウンターの次に待っているのは、回避不可能のラビットパンチ。わかっていても、回避できない。例え誰だろうが、真似さえできない最速のスピードで。

 獲物である動物の名前を持つ拳は、相手を狩る。

 脚から力が抜け、ずるり、とクログモの身体が、頭から地面に落下する。

 綾香は、素早くクログモの首をつかむと、頭が落ちるのを止めた。クログモの身体は、そこを支点にして、脚から、地面に力なく落ちた。

 がっ、とクログモの踵が土の上に落ちた音がして、クログモは動かなくなった。

「……と」

 すでに死に体になったクログモの首をつかんだまま、綾香は赤目の方を見た。

 赤目の方を見ていた、見ていなくとも、クログモが下を向いている以上見えないだろうが、クログモの目が、ぎょろりっ、と開く。

 すでにクログモの身体は死に体。しかし、モンスターのお決まりとして、一度死んだと見せかけても、まだ、クログモは動く。

 クログモの腕が、横を向いた綾香のあごを狙って突き出された。

 パンッ

 綾香は、冷静にその突きを空いた左手ではじき、そのままクログモの腕をつかんで、その上から、顔面に肘を打ち込む。

 ゴスッ、とあまり冗談にならない音が響いた。綾香の肘は、クログモのこめかみに、着実にヒットしていた。

 同時に、完璧に開いたわき腹に、膝が突き立つ。

 びきっ、とあばらを折るだかヒビを入れるだかの感触があって、やっと綾香はクログモの首から手を離した。

 よろよろ、とクログモは後ろに下がるが、しかし、倒れようとはしなかった。

「わかって……たのか?」

 息も絶え絶えに、クログモはあまりにも鮮やかに死んだふりではない、自分の死に体からの攻撃をさばき、かつ強烈な返し打ちをしてきた綾香に尋ねた。

「まーね、別に確証はなかったけど、警戒すればいいだけだし」

 弱っているクログモでは、多少隙をついたところで、地面に立つ綾香に一撃入れるなどかなうわけがない。だから、綾香は確認の意味も込めて、クログモから視線をはずしたのだ。

「でも、もう無理でしょ。ウサ耳パンチでも十分なのに、さっきの二撃で、寝ない方が私にも驚きよ」

「ウサ耳……?」

 聞きなれない単語に、見えないからはっきりとは言えないが、多分眉をひそめたクログモだったが、それが自分の後頭部を襲った一撃だと理解すると、苦々しく顔をゆがめた。せめて、もっとましな技名でやられたかったのだろう。

「で、終わる?」

 綾香の簡単な言葉に、クログモは首を横にふって、初めて普通の構えを取った。左半身の、打撃の基本のような構えだ。

「そう」

 綾香も、同じように構える。しかし、その迫力は、もうアリと象以上に違った。月とスッポンほどは差があり、かつ、このスッポンの方は、すでに死にかけている。

 それでも、あきらめ切れるものではない。スポーツとは違うと言っても、クログモも、これに多くのプライドをかけているのだろう。

 綾香は、そのギリギリで立つクログモを見て、しかし、ゆらぐものは何もない。ただ、腹の奥に、熱いものがたぎるのがわかる。

 クログモが、一歩、前に出る。

 綾香はそれと同じ時間で、距離をつめ、脚を振り上げ、クログモの頭を、けり込んでいた。

 バクンッ!

 綾香の蹴りのスピードに、頭だけが首を支点にしてゆれ、ゆっくりと、クログモは前つのめりになって、倒れた。

 今度こそ、完璧に沈黙したクログモに、綾香は一瞥をくれることなく、彼のすでに死骸から、視線をそらし、赤目に目を向けた。

 

続く

 

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