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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(23)

 

 結局、私は十回しか腕立てができなかった。

 

「あはは、くやしそうな顔」

「そんなことは、ない……」

 そうは言ったものの、自分が悔しそうな顔をしている自覚はある。事実、かなり悔しい。それが、できると言った後ならなおさらだ。

 正直、自分の身体がこんなにやわにできているとは思っていなかった。

「沢地さんって、中学のころ、どっかの運動部に入ってたわけじゃないでしょ?」

「うん」

 中学は、何か部活に入らないといけなかったが、適当に文芸部に誘われて入って、三年間幽霊部員で通した。

「だったら、仕方ないって。私なんて、陸上部に入ってたのに、これだもん。やっぱ、真面目に鍛えてないと、こんなもんなんだよね」

「そうかな。凄いと思う」

 聞くだけなら、二十五回など、大した数ではないが、自分が体験した後なら、よくわかる。十分に尊敬に値する回数だ。

「あ、ほら、一分経ったから、もう一回」

 私はそう言われて、もう一度手をついて、腕立ての体勢になった。しかし、二回、三回と続けていくうちに、五回目ぐらいで、腕の限界が来る。

「くっ……」

 鈍い痛みをこらえながら、私は七回目の腕を持ち上げることができなかった。

 実に簡単な話で、一度限界まで身体を動かしたのだから、その後にもう一度同じ回数運動ができるわけではないのだ。

 私の横では、まだ軽快な動きで、田辺さんが腕立てをしている。

「田辺〜、そろそろ二十五回じゃ少ないんじゃないのか?」

 ヨシエさんの野次に似た言葉に、田辺さんは悲鳴のような声をあげる。

「先輩、それは横暴ですよ、スパルタなんて最近はやりませんって」

 田辺さんは、そう言いながらも、着実に回数をこなす。対して、私の腕はすでにぱんぱんで、もう一度腕立てなど、できそうにはない。

 そんな私を心配してくれたのか、ヨシエさんが、ぽんと私の肩を叩く。

「ラン、もうあんたは腕立てはいいよ」

「いえ、やります」

 ヨシエさんの気遣いは嬉しかったけれど、私はここに遊びに来ているわけではないのだ。それに、そう言われると、反対にはいそうですかとなど従えない。

 強がる私に、ヨシエさんは苦笑したようだった。

「無理しなくても、今日は確実に筋肉痛だよ。これから、まだ練習長いんだから……」

「何なら、俺が後でマッサージでも……ゲフッ!!」

 軽薄そうな笑顔を浮かべて近づいて来た男が、ヨシエさんの裏拳を顔面に受けて吹き飛ぶ。スナップを効かせた、かなりシャレにならない裏拳だった。

 部活中に、下心まる見えの男にもそれは問題はあったろうが、ヨシエさんの一撃は、正直やりすぎだと思った。

 しかし、それを他の部員はただ笑って、いつものことだとでも言わんばかり、流した。

「ってえなあ、せめて最後まで言わせろよ、この鬼好恵」

「鬼が……何だって?」

「おおっと、何でもない何でもない。くわばらくわばら」

 さっき裏拳の直撃を受けたはずなのに、その男は平気で立ち上がったかと思うと、私に軽薄そうなウインクまでしてから、ヨシエさんから逃げる。

「あ、覚えておいた方がいいよ。あれが空手部の害虫、御木本先輩。先輩って言ってもゴミクズ以下だから、敬う必要なんて全然ないけど」

 見たことろ、身長もあり、顔もいいのに、よほど嫌われているのか、と思うのだが、別に田辺さんからは悪意は感じられない。まわりの笑い声から判断するに、良い意味で慕われているのでは、とさえ思う。

 しかし、ヨシエさんの拳から逃げて距離を取った御木本という先輩と目があったとき、私は、正直怖い、と思った。

 軽薄そうなのは、街で声をかけてくる男とほとんどかわらないのに、その目には、どこかそれでは隠しきれないものが見え隠れしているようにさえ感じる。

 それが何か、とは正確に表せないものの、確かに感じる。それは、勘、と言ってしまえばすっきりすのだろうか、とにかく、怖いと思った。

 だから、腕立てを終えた田辺さんに、素直に尋ねてみる。

「でも、強いの?」

「ん? 御木本先輩? うん、坂下先輩と、池田先輩の次ね。見た目はへらへらしてるけど、あれでなかなか凄いのよねえ」

 田辺さんは、ヨシエさんと、もう一人、体格の大きな女の先輩を指さしながら言う。

 しかし、こうやっておしゃべりをしながら練習をしていても、注意の一つさえない。それどころか、初めて入った私がいるのに、それをまったく感じさせない自然さが、ここにはある。

 だいたい、私はいわゆる登校拒否をしていたのだ。久しぶりに行った教室で、まわりからの奇異の視線に気付かなかったわけではない。

 この道場の中でも、それは感じた。でも、それは教室の中で感じたものとは、比べものにならないほど好意的なものだ。そもそも、まったく好意的でなかった教室の視線と比べるのも、間違っている気もするが。

 登校拒否の人間が、いきなり空手部に入ると言うのに、そこに対する戸惑いとか、そういうものが感じられない。

「ねえ、田辺さん。私がいきなり部に入って、驚かないの?」

 私は、それを素直に聞いてみることにした。少し声をひそめて、田辺さんに聞いてみる。

「ん? んー、まあ、ちょっとは気になるかな」

 田辺さんは、しかし、大したことじゃない、という口調で、それに答える。

「でもほら、ここに入ったのも、坂下先輩の薦めなんでしょ? 知ってるみたいだったし」

「うん」

 ゼロさんが、ヨシエさんと同じ学校であるのを教えてくれたので、思い切って私の方から頼んでみたのだ。

「だったら、別に不思議でも何でもないよ。だって、坂下先輩のことだから、不良少女の更生なんて……あっと、ごめん、決めつけちゃって」

「いいの、事実だから」

 私が姉達にまざってレディースに入っていたことは、噂ぐらいでは知っているのかもしれない。しかし、別に田辺さんが嫌がっている様子も怖がっている様子もないので、問題はないように思えた。

「更正したわけじゃないけど」

 それどころか、もっと深みにはまるためにここに来ているのだ。

「それだって、とりあえず、悪いことするわけじゃないんでしょ?」

「……うん」

 暴走行為は悪いと思うが、正直自分はそういうことには興味はない。力を示すなら、それは力、でだ。今まではケンカに頼るしか解決方法のなかったものだったが、今度からは違う。私には、私に相応しい舞台が待っている。

「だったら、気にすることなんてないし。それよりも、初めて会ったときに、坂下先輩に、無茶されなかったかの方が、私は心配ね」

 丁度、御木本先輩が、ヨシエさんのキックを受けて吹き飛ぶ様を見ながら、私は、それを指差した。

「あれよりは、酷くなかったと思う」

「あちゃー、それってあんまり大丈夫じゃないね」

 田辺さんの言葉に、私は不覚にも、顔をほころばせてしまった。

 

続く

 

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