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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(24)

 

 思う以上に、心地よく汗を流す時間が過ぎて。

 ヨシエさんが、急に「じゃ、次はランに試合でもやってもらおうかな」と言って来たのに、それに誰も疑問を挟まなかった。

 部活一日目にして、試合をさせられるなんて、新人いびりにしか見えない行為のような気がするのだが、ここの部活の人間は、どうもそうではないようだ。

 やはり、当たり前のように用意をしだす、大柄の、確か池田と呼ばれていた先輩。

 見たところ、女でも池田先輩の身体の筋肉は、かなり発達している、ふざけている、しかしどこか怖いと感じさせる御木本先輩の方が、はるかに細い。

 女は脂肪がつきやすく、例えプロの選手であっても、体格がいいのは、贅肉の所為が多い。しかし、池田先輩の身体は、まるで地球外生物を思い起こさせるほどに引き締まっていた。

「どう、ラン。いける?」

 ヨシエさんは、何も含むところのない顔で、私に聞いてくる。昨日、ヨシエさんにKOを受けたときのダメージを気にしているのだろう。その点に関して言えば、まったく問題はない。おそらくは、ヨシエさんがうまく手加減をしてくれたのだろう。

 私は、声に出さずにうなずく。体育会系なのに、声を出さないことに、ヨシエさんは文句を言ったりしなかった。

 ヘッドガードと、ウレタンナックルを渡される。正直、私には不要のものだ。手を使うことがない私には、あまりウレタンナックルは役にたたない。せいぜい、防御ぐらいだろうか?

 ヘッドガードも、そんなものをつけてケンカしたことはないので、やはりいるとは思えなかったが、とりあえず、どちらもつける。

 マスカのために、マスクをつけて戦えるように練習したのだけど、このヘッドガードは、厚みがある分、左右の視界が阻害される。飛び技と回転技を多用する私にとっては、あまりうれしくない装備だ。

 しかし、私はそれを黙ってつけた。それぐらい、丁度いいハンデだ。

 ヨシエさんには負けたけれど、身体を鍛えた程度の人間に、負けるつもりはない。これから先輩となる相手だって、知ったことではない。

 戦えると思うと、それが路上でなくとも、胸高鳴るものがある。私は、そういう人種だ。社会不適応者であっても、どうしようもないものは、どうしようもない。

 自分が使うのは、トリッキー系の打撃だ。同じ打撃とは言っても、道場の中だけのお上品な技とは違う。

「じゃ、五分間一本勝負でいいわね。技ありはなし」

 ルールなど大して気にもならなかったので、私はうなずく。池田先輩も、不敵に笑ってそれを承諾したようだった。

 ……気にくわない。まるで、自分が上のような態度を取っている。

 さっきまでの、和気藹々とした雰囲気に、一度は落ち込み、そして流されかけていた自分とは、まったく違った自分が、胸の奥から頭をもたげるのを感じた。

 これが、自分が一般生活を営むのにははなはだ適していないと感じる理由だ。戦いを前にすると、訳もなく感情が高ぶり、相手を憎くさえ思ってくる。

 淡泊で、冷淡ないつもの私と、それをおぎなって、あまりある激情が、戦いを前にするとわき出てくる。それを、しかも私は心地よいと感じてしまう。

 空手の試合などには、間違っても出られないと、自分でも思う。だから、私は路上で戦っていたのだ。それが、何の因果か、道場の中で、戦うことになるとは……

「それでは……構え!」

 いつもは、むしろ構えることなどしない私であったが、ヨシエさんの声にうながされて、構えを取る。

「始め!」

 合図と共に、私は後ろに飛んでいた。

 つっかけたりはしない。いや、それもいいのかもしれないが、私の技は、遠く離れてこそ真価を発揮する。何も、好き好んでパンチの練習に余念がないような空手家の懐に入る必要があるだろうか?

 後ろに大きく飛ぶ姿に、多分見慣れていないのだろう、池田先輩は、警戒したのか、構えたまま、微動だにしなかった。

 距離さえ取ってしまえば、後はこっちのものだ。池田先輩は身長こそ自分よりもありそうだが、脚は自分の方が長いし、柔らかい身体の私は、それをめいっぱい使うことができる。

 両腕の構えを落として、私はトーントーンと小気味よく跳ねる。リズムを作って、まずは、小手調べだ。

 突然に、私は前進、いや、飛ぶ。

 一歩の歩幅が広い。地面すれすれを飛ぶツバメを思わせる動きで、私は距離をつめる。例え離れているとは言っても、道場の中だ、それは二歩で事足りた。

 まだ、池田先輩が守りの構えを取っていないのを確認して、私は攻撃に出た。おそらくは、そこからはまだ届かない、と思っていたのだろう。

 飛びながら、後ろを向いて、地面と水平に脚を後ろに突き抜く。私の得意技にして、主戦力となる技、飛び後ろ蹴りだ。飛びながら、下方向からの打撃が来るとは、誰も思わないし、それに、威力も高く、リーチも体勢が体勢だけに、一番長い。

 何より、これは当たった相手を後ろに退かせることができる。多少体格に差があっても、飛び技の勢いはそれを補って有り余る。

 はるか遠くから一瞬で間合いをつめたかと思うと、それでもまだ遠いだろうと思う距離から攻撃してくる。私のアドバンテージは、そういうところにある。

 理想は一撃離脱だ。その方が、飛び技の利点を一番生かせる。

 軽い衝撃の後、池田先輩は、後ろに下がった。私は、当たった勢いを利用して、前進を止めると、素早く床に足をついて、また距離を取る。

 おお、と部員達が驚きの声をあげるのに、私は少し気をよくした。ちらりと目を向けると、さっき腕立てで私をからかっていた田辺さんも、驚いている。

 気分がいい。戦いは、それ自体だけではなく、そういう副次的効果も悪くないものだ。

 防御は間に合ったようだし、しかもちゃんと後ろに逃げてダメージを殺された。さっきの一撃は効いていない。

 しかし、先制攻撃は成功した。それでいいのだ。ブーツをはいていれば、今の一撃ももっと大きなダメージを与えられたという考えも浮かんだが、それは言っても仕方のないことだ。

 トリッキー系の私は、自分の技の特異性を利用して、相手にプレッシャーを与えねばならない。だから、最初の技は重要なのだ。ここで派手な技を使っておけば、後々、どうしても人は最初に見せた技を警戒してしまう。

 熟練すればするほど、その傾向が強くなることを、私は今までの経験から知っていた。池田先輩も、それなりに熟練している以上、勝負の機微に翻弄されるはずだ。

 体格はあるが、私の攻撃を正面から受けて無事で済むほどの差がなく、スピードではなく力で押すタイプ。しかも、基本に忠実となれば、それはトリッキー系の私がもっとも得意として、今まで倒してきた相手だ。

 相性の良さ悪さを、ヨシエさんは考えなかったのだろうか? それとも、前は私の特性を生かし切る前に倒されたから、わかっていないのだろうか?

 とにかく、今は前の相手を倒すことに集中しなければ、と私は霧散する気持ちを集中する。例え相性が良くとも、弱い相手ではないのは、身体を見ても、さっきの一撃を流した動きにしても、わかっていることだ。

 と、思った瞬間、池田先輩は、ゆっくりとした動きで、私との距離をつめようと動き出した。

 素直に距離をつめられれば、私の不利は避けられない。そう思って、私は素早く横に回り込みながら、また、飛ぶ。

 ドンッ

 今度は、さっきよりも強い衝撃が、足に伝わる。

 その勢いを利用して、私は横っ飛びに距離を取る。何もない平坦な道場の中は、私の跳躍力を持ってすれば、自在に動ける空間だ。飛ぶ私をさえぎるものが、何もないのだから。

 私は、自分の勝ちを確信していた。

 

続く

 

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