「何でも聞いてくださいっす、姉さん!」
葵は、困った顔をして、その男と浩之を交互に見比べた。
「いや、俺見られてもなあ」
いつもなら無条件で葵のことをかばう浩之も、今回は勝手が違うので、苦笑するしかなかった。
目の前で正座している男は、さっきまで葵を挑発しながら戦っていたマスクの男だった。すでにマスクは脱いで、素顔をさらけ出している。こう見ると、それなりに顔の良い男だ。
「えーと、とりあえず、どちらさんですか?」
「名前っすか? 俺は健介いうっす。マスカレイドの十五位っす」
男、健介は素直に葵の言葉に答える。
葵の渾身のストレートは、男の顔面を貫き、男を半回転させて地面に叩き付けた。それはもう迷うこともないほどのKOだった。
気絶から回復して以来、健介はこんな調子だった。何でも、あんな見事な一撃を入れられたことがないそうで、その葵の強さにほれたらしい。
「健介さんは……」
「呼び捨てでいいっす。今後俺のことは舎弟として扱ってくれっす、姉さん」
「ええと……」
結局、健介の手の平を返したような反応に困って、助けを求めるような目を浩之に向ける葵。気持ちは浩之もわかる。仕方ないので、浩之は助け船を出した。
「おいおい、葵ちゃん困ってるだろ」
「うるせえ、ザコ。てめえにゃ聞いてねえよ」
「……」
「……」
浩之を親の仇のようににらみつける健介に、さすがに変わり身の早さに戸惑う浩之。
「あの、健介さん、センパイにそういう言い方はないと思います」
「う、うっす、申し訳ないっす。以後気をつけるっす。それと、さん付けなんて恐れおおいっす」
と、恐縮しながら葵に頭を下げると、またふてぶてしい態度を取って、浩之をにらみつける。
「おい、ゴミ。姉さんがああ言うから見逃すが、俺の目の黒いうちは姉さんには手ぇ一本ふれさせんからな、覚えとけよ」
「いや、あのなあ……」
浩之とて、さすがに調子が狂う。これは、さっきのように挑発しながら殴りかかられた方が、何倍もましというものだ。
葵も、あきらめて、話を進めることにした。今の健介には、何を言っても通じない気がしたのだ。もしかしたら打ち所が悪かったのかもしれない。
「ええと、マスカレイドって何ですか、健介さ……健介?」
「うっす」
呼び捨てにされて喜ぶ健介に、浩之は何故かカチンと来たが、手は出さないでおいた。健介の頭の方が心配だからだ。話が終わったら、医者に行くように葵に言わせた方がいいだろう、と浩之は思っていた。
健介の話は、いたってシンプルで、一対一でケンカをする団体があるというのを、ほんとにこれぐらいの勢いで説明した。
「ケンカ……なんですか?」
「うっす。ケンカっす。だから俺みたく隠し武器を使っても、刃物じゃなければ許されるっす。実際に武器持ちの人間もいるので、俺なんてかわいいものっすよ」
ちなみに健介が葵に投げたものは、硬いゴムのボールだった。ゴムボールとは言え、成人男子が思い切り投げれば、それでも十分な傷害能力を持つだろう。
「じゃあ、何でそんなケンカの人が、センパイを倒そうとしたんですか?」
「名前上げるためっす。そこのカスはエクストリームの本戦に出るようだから、表の舞台のヤツを倒して、株を上げときたかったんすよ。うちらマスカの人間は、案外表の名声に弱いっすからね」
「みんな考えることは一緒ってわけか」
浩之は大きくため息をついた。まだ怪我が完治していないのに、これは困った問題だ。いつも葵や坂下、綾香などが近くにいるとは……坂下はたまたまだったが、葵と綾香のどちらかは、けっこういつもいるかもしれない。
「みんなって何ですか、センパイ?」
「いや、昨日、実はマスカレイドの他の選手に襲われてさ。そのときは坂下がいたから、ことなきを得たんだけどな」
「襲われたんですか!?」
葵は大げさに驚くが、今まさに襲われていたところなのだから、別に驚く必要もないのではないか、と浩之は思った。
「……許せません。センパイを二回も襲うなんて」
葵が、いつもは素直な目をいっぱいに怒らせて、健介を睨む。いくらかは八つ当たりだ。もっとも、健介の場合、八割ぐらい自業自得なので、正当な怒りのような気もする。
健介は、顔を蒼白にして、土下座でもするのではと思うほどの勢いで頭を下げる。
「う、うっす、申し訳ないっす。これ以上マスカの人間が手を出さないように、俺がたっぷりと言い聞かせるっす」
じゃあまずてめえが襲ってくんな、と浩之が考えていると、健介は浩之を睨んでいた。
「けっ、てめえなんて死のうが死のうが知ったこっちゃねえが、姉さんのたっての頼みだ。あんなアリんこ襲うなって言っといてやるよ、くそ、ありがたく思えってんだ」
「健介っ!」
「うっす、すみませんした!」
怒りモードの葵は、健介を呼び捨てで怒鳴る。背の低い女の子でも、今まで培って来たものが違う。かなり怖い。かく言う浩之でも、無条件にあやまりたくなる雰囲気を葵はかもし出していた。
「まったく、口が悪いのは、戦法ですか?」
まだ怒りが消えきらない葵だが、何とか自分を落ち着かせて、健介の行動を自分なりに解析してみる。
確かに、その挑発に乗って、葵は一度ならずとも手痛い打撃を受けた。とっさに身体をひねって軸をずらしていなければ、あれで終わっていた可能性すらある。そういう意味では、かなり侮れない技とも言えよう。
「いいえ、素っす!」
さすがに、葵も気が抜けた。浩之も、怒る気にもなれないので、微妙な顔で葵にまかせることにする。さじを投げたとも言う。
葵は、大きくため息をついた。何でこうなったのかはわからないが、ストリート系の男にしたわれても、全然嬉しくない。
身体のダメージよりも、精神の方が疲れたのを感じて、葵は会話を切り上げることにした。
「とりあえず、もういいです。頭打っていないか、病院行って下さい」
「うっす、姉さんに心配してもらって嬉しいっす!」
葵のちょっと誤解を受けそうな言い方にも、健介はさっぱり気にした風もなく、嬉しそうに涙まで流さんばかりの勢いだった。
葵舎弟第一号の誕生の瞬間だった。
続く