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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(32)

 

 浩之は、ごくり、とつばを飲み込んだ。

 対峙している二人の前に立っているわけでもないのに、ピリピリとした空気に気押されるように、自然と顔がのぞける。

 対峙しているのは、はち切れんばかりに鍛え上げられた、二人の屈強な男。

「どうした、戦いはすでに始まっておるぞ」

 前に構えた腕をゆるりと動かしながら、浩之の師匠である、全然お年寄りに見えない鋼の身体を持つ老人、雄三が挑発する。

「へっ、そう簡単にのるかよ」

 右腕を手元にひきつけ、左腕を心持ち前に出し、ステップをふみながら、雄三のまわりを小刻みに動いている、やはり鉄のような身体を持った青年、修治は、そう言いながら、すぐには手を出さない。

 武原道場で、師匠の雄三と、兄弟子の修治の一騎打ちを、浩之は観ているのだ。

 まさに、両雄、と呼ぶに相応しい二人の戦いだ。そして当然、両雄並び立つことはない。勝つか負けるか、引き分けのない、真剣勝負だ。

「じじい、いいのか? 俺が一回でも勝っちまったら、免許皆伝させてもらうぜ」

 そうなのだ、浩之はもう何度か見たが、これは、修治の免許皆伝のかかった、真剣一本勝負。修治が勝てば、晴れて武原流免許皆伝だ。

「かまわんぞ。もっとも、その大口、一度でも勝ってから言うべきだとは思うがの」

 そして、もっと恐るべきことに、雄三は、ことごとく、一度の例外もなく、修治に勝っているのだ。

 雄三が、くいっくいっと指を動かして挑発する。

「ほれ、さっさと来んか。観客も退屈しとるぞ」

 浩之は、その言葉で、びくっと震えた。お願いだから、こちらに話を振らないで欲しい。その気持ちが、多分間違いなく、雄三に伝わったのだろう。

「後から嫌ってほど、楽しませてやる……って、まだ鎖骨治らねえんだっけかな。んなもん、さっさと気合いと根性で治せよな」

 んな無茶な、と浩之が苦笑した瞬間だった。話の流れが、まったく戦いに向いていないその瞬間を狙って、修治がしかけた。

「ヒュッ!」

 パパンッ!

 基本のしっかりしたワンツーが、雄三の腕に簡単にはじかれる。焦った様子もなく、片手で簡単にそれを行い。

 ドッ!

 次の瞬間には、修治の攻撃をはじいた雄三の腕が伸び、修治の胸に拳を入れて、はじき飛ばしていた。

「甘い、甘い攻撃だのう」

 甘いと言われても、浩之には目で追うのもやっとと思われるワンツーであった。隙などなかったはずなのに、雄三の拳は修治に入っていたのだ。

「ちっ、この化け物ジジイが」

 修治は、そう言いながらも、また距離を取るしかなかった。とっさに後ろに飛んだものの、ダメージを完璧に殺すというわけにはいかなかったようだ。

 こういう戦いを見れば、雄三がやはり達人なんだ、というのを理解できる。さっきの受け一つにとっても、攻撃したはずの修治が、受け流されて、まるで雄三に引きつけられるように動いたのだ。

 しかし、だからと言って、修治が弱い訳がない。綾香と対等以上に戦うのだ。これは、雄三が強すぎると解釈するべきなのだろう。

 浩之にはわからなかったが、さきほどの攻防にも、修治はちゃんと実力でどうにかした部分があった。雄三は、修治を崩して、本当は顔面に拳を入れるつもりだったのだ。しかし、修治が抵抗したおかげで、頑丈な胸にしか拳を入れることができなかった。小さな差かもしれないが、その小さな差で、勝敗は決するのだ。

 一呼吸置いて、また修治が仕掛けた。

 上体を大きくしならせて、上から雄三を狙う、と見せかけて、素早く床を這うように動き、雄三の脚を狙う。変則と言うのさえ戸惑うような、異常な動きのタックルだ。

 向かってくる修治の耳を狙って、雄三がフックを打つが、それを修治はさらに頭を落として避ける。

「ふんっ!」

 しかし、雄三のフックはおとりだった。頭を下げた修治の上に、雄三の肘が落とされる。フックを打った腕は、動きを止め、そのまま下に落とされたのだ。

 ドウッ、と鈍い音を立てて、修治の肩に肘が落とされた。

 しかし、修治の身体は大きい。一発や二発では倒れないはずだった。しかし、その肘で修治の動きは止まり、その隙に、雄三は修治とがっちりと組んでいた。

 これも浩之には何があったのかわからなかったが、雄三の延髄から背骨を狙った肘を、修治は筋肉の多い肩で受けたのだ。しかし、そのためには前進を止めるしかなかった。もし止めなかったが、背骨かあばら骨を折られていたろう。

 前進さえ止まってしまえば、勢いがない修治を止めるなど、雄三には簡単な話なのだ。

「らあっ!」

 しかし、修治も負けてばかりはいられない、がっちりと組んだその雄三の頭の横に、頭突きを入れる。

 が、同じく雄三だって、負けるわけがない。二発頭突きを受けた後には、さらに強い一撃をお返しする。

 ガンッ!

 嫌な音を立てて、二人の頭突きが火花を散らした。冗談ではなく、本当に火花の散りそうな勢いだ。

 ドガ、ゴスッ、と二発、三発、四発、と修治と雄三の頭突きが交錯する。

 五発目の頭突きを放とうとした雄三だったが、修治はそれには付き合わなかった。今度は、おかえしとばかりに、雄三の頭突きを避けて、雄三を体勢を崩す。

 修治は、そのまま雄三を床の上に投げ捨てる。雄三の年に似合わない巨体が、宙を舞った。

 だが、雄三は空いた片手を床について、そのままさらに身体を回転させた。普通なら脱臼してもおかしくない勢いがあったはずなのに、それは綺麗さっぱりと雄三の身体の動きに吸収され、そこからさらに修治に向かって打ち出された。

 ズバンッ!!

 ブレイクダンスを思わせる雄三から繰り出された、頭が床についた状態での突き出すような蹴りが、修治の腹部に命中して、今度こそ修治を吹き飛ばした。

 ブレイクダンスから、脚が天に向かって伸びるように、動き、最後には逆立ちの状態から、すとん、と足を落とす。余裕の立ち上がりだ。

「バカめ、意地の張り合いから、逃げて流しにかかって、勝てる道理がなか……」

 いつの間にか立ち上がっていた修治の身体が、まさに風を切るような速さで、全運動能力をかけた一直線の暴力の塊となって、駆け抜けた。

 チッ、と修治の拳が、避けた雄三のほほをかすめる。しかし、この後には、修治にまったく余裕はない。いつもの、これでもまだ動けるか、というものではない、本当に、全部をかけた、たった一発の拳だ。

「痴れもんがぁっ!!」

 避けた勢いをそのまま利用して、回転を入れた後ろ回し「肘」を、雄三は怒鳴りながら修治の脇腹に突き刺した。

 そこからさらに回転、相手の脇の下から、あごに拳を突き上げる。

 バクンッ、と修治のあごが、見事なまでに浮き上がる。それで、勝負は決していた。

 しかし、そこからも雄三の動きは止まらなかった。

 突き上げた腕が、そのまま修治のあごにかかる、と同時に、雄三は修治の脚を後ろから払っていた。修治のあごに腕をからめたまま、雄三は、後ろに身体をあずけるように倒れる。

 ぐるん、と修治の身体が、後ろに回転するように倒れる。勢いをつけて、雄三の体重も乗せた上で、床に後頭部がたたきつけられた。

 武原流の、何とかとかいう奥義らしい。奥義が色々あるようなので、いちいち浩之も名前を覚えるのはあきらめた。

 しかし、問題はそれよりも、勝負がついたと思った後に、死体にとどめを入れるように技をかけたところに問題があると思われる。案の定、修治はさすがにピクリとも動かない。

 ゆっくりと立ち上がった大人げない老人、雄三は、こともあろうに、こう言い放った。

「少しばかり、やりすぎたかのう」

 ええとっても。

 

続く

 

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