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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(37)

 

「おおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!」

 バリスタの咆吼に答えるように、観客達も一気にヒートアップする。

 それを、綾香は冷ややかに見つめていた。

 ここまで素肌には悪そうなものがごたごたしている試合場で、倒れてもほとんど傷のついていない、どういう作りになっているのかいまいちわからない身体には、正直驚いたが。

 決まった、と思ったのは、所詮観客だけだ。当てた瞬間に、綾香は決まらなかったのをわかっていた。

 神速で近付き、そのスピードを乗せた一拳。

 驚異的なスピードに、バリスタはついて来られなかったように見えたが、多少なりとも、反応できていたのだ。

 打った感触は硬かった。あの一瞬で、バリスタは頭を動かして、狙ったあごではなく、額に近い位置で拳を受けたのだ。

 普通なら、拳が砕けるか、相手の骨が砕けるか、その両方か、なのだが、今回は、お互いの頑丈さが異常であったようで、どちらにも骨折の兆候はない。

 そして、あの打ち抜けない、強い首。

 頬骨を狙って相手を骨折させるという手もあるが、綾香は、何を置いてもそんな余裕さえ与えずに、あごを貫こうとしたのだ。

 どんなに鍛えてあっても、脳しんとうは効く。急所を打ち抜かれた人間など、弱いものだ。あごを打てば頭が揺れ、結果脳しんとうを一番簡単に起こさせることができる。

 しかし、頑強な首は、頭が揺れるのを防ぎ、結果、脳しんとうが起きるのを防いだのだ。

 まあ、叫びながら立ち上がるのは、単なる過剰演出だと思うけどね。

 綾香に派手に吹っ飛ばされたのを、いかにも危機を乗り切ったと言わんばかりの演出だが、確かに、危機は脱している。あれだけ元気に咆えるということは、決定的なダメージは受けなかったということだ。

 これならば、いっそ追い打ちをかけておくべきだったろうか。

 綾香には珍しい逡巡だった。いや、終わってしまったことなのだから、後悔と言うべきなのだろうか。

 しかし、それも一瞬のこと。ダメージはあったろうが、決められなかった以上、うかつに近づく訳にはいかない。その首は、バリスタがどちらかと言えば、組み技を得意としていることを綾香に教えてくれる。

 綾香はバリスタのことをなめきっている。それは今ですらあまり変わりはないが、それでも油断をしている訳ではなかった。

 反面、バリスタも綾香のことをなめになめきっていただろうことは、表情で予想できるが、しかし、同じように油断はしていなかったのだ。バリスタが油断していれば、さきほどの一撃、完璧に入っていたはずだ。

 バリスタが、大声で綾香に向かって咆える。大きな歓声すら突き抜けるのは、少ししわがれていたが、声量がバカのように大きかったからだ。

「効かぬ効かぬ効かぬわっ!! 小娘の小さな身体で、俺の鋼の肉体は貫けぬ!!」

 綾香の見たところ、バリスタは年齢的には、二十の前半か中盤あたりだ。口調がじじくさいのは、それが個性なのか、やはり演出過剰なのか、どちらかだろう。

 個性とすればバカだし、演出とすれば、やっぱりバカなのだろうが。だから、綾香は真実を述べてやることにした。

「うるさい、バカ」

 綾香の声は、声量こそ大きくはなかったが、良く通る。この歓声の中でも、間違いなくバリスタの耳に届いただろう。

「うぬぅっ?! 俺に向かってバカだと!?」

 金色のマスクを被った様は、やはりバカのようにしか見えないので、綾香としては非常に的を射た言葉だと自負できた。

 「バカ?」「バカだってよ」「あ、やっぱそう思う?」「同意見だよな」「バカだよなあ、どう見ても」「バ〜カバ〜カ」「バカって馬と鹿って書くんだろ?」「おい、馬や鹿に失礼だって」「金色はちょっとな」「センスないよねえ」「黒ビキニパンツじゃないだけまだ理性はあると思うけど」「うわっ、それやったらキモイバカだよ」

 サワサワサワと、さっきまでの歓声は声を落として、バリスタのバカ様を、こと細かに羅列していく。

 何というか……ファンにまでバカと見られているようね。

 同情はしないものの、綾香としてもあんまり虐める気はなかったので、ちょっと困っていたりする。

 当のバリスタは、プルプルとしばらく肩を震わせていたが、到頭我慢できなくなったように爆発する。

「てめえら、聞いていればバカバカと好き勝手言いおって! ドロップキック一発ずつたたき込むぞ!!」

 しかし、それぐらいでは、観客達は負けていない。というより、そもそもそういうキャラだったようで、観客達も慣れたものだ。

 「バ〜カ」「がんばれ〜、バカ〜」「そんなバカは嫌いじゃないぜ〜」「B・A・K・A!B・A・K・A!」

「こ、この野郎共! 小娘を瞬殺したら、次はてめえらだ!!」

 地震というより禁断症状なのでは、と思うほどに肩をわなわなと震わせてから、再度、バリスタの咆吼が辺りの空気を貫いた。

 しかし、綾香はそれをちゃんと耳を押さえてやり過ごしてから、ぼそりと、しかしはっきりと言ってやった。

「瞬殺って、さっき私に吹き飛ばされたんだから、もっと謙虚になったら?」

 むぐっ、とバリスタは一瞬口をつぐんだが、すぐに言い返してくる。

「あれはわざと飛んで威力を殺したのだ!!」

「結果、そうなったってだけでしょ?」

「むぐぐぐぐ……」

 バリスタは、あまりに的確に、痛いところをつかれて、うなり声をあげた。

 おそらくは、バリスタとしては、そのまま綾香の打撃を受けきって、反撃するつもりでいたはずだ。あの首から見ても、すぐに立ち上がった様子を見ても、自分の打たれ強さに絶対の自信があったはずだ。

 しかし、綾香の一撃はそれを許さなかった。そもそも、通常の防御を許さないほど、綾香の打撃が速かったのだ。

 結果、バリスタは最低限の防御を取るしかなく、しかも、それでは威力を殺しきれず、そのまま名前通りに、しかし相手に向かってではなく、相手から飛ばされしまったのだ。

 「やっぱバカだし、口で勝負は間違ってるよなあ」「相手悪いって」「バカは頭より身体で勝負だろ」「それやばいって、負けるって」「お約束とかに弱そうだもんなあ」「性別が逆なら、勝ち目もあったと思うけどな」「口のたつ男と、口べたな女か」「そりゃ女応援だろ」「これだから男ってのは」「知的な男ってのもいいよね」「バカ、あのバカって正反対じゃない」

 すでにバカにされているのか全然違う話題に入っているのかわからない内容だ。

 しかし、綾香にも十分わかった。バリスタが、観客にバカに見られていることは。というギャグはちゃんと踏まえた上で。

 バリスタが、観客に愛されているプロの格闘家であることは、十分に。

「え〜い、五月蠅い! お前も格闘家なら、口ではなく肉体で勝負だ!」

 「エロいな」「エロね」「エロだな」「うわっ、キモッ」「死ね、キモバカ!」

「五月蠅いわっ!!!」

 自分の方が十倍はうるさくしておいて、バリスタは腰を落として、綾香を睨み付けた。

 自然、綾香も構えを取る。軽い左半身の、自然体だ。

 そう、この男は素人だ。格闘技は何とか、そういう話ではなく、プロではない。こんな違法に近いというか、違法だろうスポットライトの当たらない場所で戦う、単なる素人だ。

 しかし、それでも、この男はプロと呼ばれてしかるべきだ。

 プロとアマチュアの差は、一般的にはどうあれ、綾香には明確なのだ。

 少なくとも、プロの格闘家がどんなのであるのかを、綾香はわかっている。

 プロは、とにかく強い。その一言で済む。しかし、綾香の基準には、プロと言われるには、もう一つ確実に必要だ、と感じているものがある。

 それは、華だ。

 例え、怒鳴っていても黙っていても、何故かしら観ている者を惹き付ける。そういう、華がないプロなど、綾香の中では、プロではない。

 この男は、そういう意味では、間違いない、プロだ。

 これほどまでに観ている者に愛されている格闘家など、綾香もあまり知らない。だから、このバリスタは、間違いない、観ないでも、体験しなくともわかる。

 強い、と。

 

続く

 

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