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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(39)

 

 バリスタが、口が弱いのはわかった。とは言うものの、それが勝負に何の関係もないのは綾香もわかっている。

 口で、相手の冷静さを狂わせ、こちらの有利にする手も綾香は使える。しかし、バリスタは、そういう手が効く相手ではないと判断していた。

 もともと、冷静さを武器としていない人間を、いくらつついたところで、どうなるものではない。頭に血がのぼっているというのなら、このバリスタという男、年中頭に血がのぼっていそうなのだ。

 それが常の相手に、話術は無理か。

 並の相手なら、拳一つで黙らせる自信があるが、バリスタは、そういうレベルではない。綾香にあるスペックを十分に生かさないといけない、危険な相手だ。

 と言うか……

「あんた、クログモよりも強いんじゃないの?」

 クログモの戦い方は、かなり特殊であり、相手のどぎもを抜くだろうが、綾香のような突出した相手には、対応されて終わる。

 邪道は、所詮正道にはかなわないのだ。トリッキーな動きは、一回だからこそ効果がある。使えば使うほど、対処しやすくなってしまうからだ。

 しかし、バリスタはどう見ても正道中の正道。長いリーチに、鍛えられた身体、技にスピードとパワーを乗せて、押し切るタイプだ。

 綾香の特殊攻撃とも言える連続の飛び技にも、対処できる柔軟性と経験まで兼ね備えている。

「ふん、あのイロモノか。俺は前の試合で三位だったが、八位のやつに負けて落ちて来ただけだ。まだあの程度には負けん」

「へえ、負けたんだ」

「すぐにリベンジするさ。そのために、お主には負けてもらうがな!」

 遮蔽物があるにもかかわらず、バリスタがそれを乗り越えるように綾香に一直線に向かって来た。

 しかし、その遮蔽物分、時間がかせげる。タックルを見て、正面で戦うのはあまり得策でないと考えた綾香にとってみれば、逃げるには十分な時間を取れる。

 こいつを負かせるほどの選手が、三位ね……

 単純に考えれば、バリスタよりも強い選手が三人いることになる。考えただけで、寒気が綾香の背中に走る。

 こいつよりも、強いのが……いいじゃない。何よ、けっこういるもんなのね。

 綾香が感じたのは、感動の寒気だけだったが、それを見ている観客達は、何故だかかわからないけれども、背筋が凍るのを感じていた。

 可憐な少女が浮かべる笑みが、この世のものとは思えないし、幽霊だって浮かべないだろうと思えるほど、怖いと思わせるのだ。

 それは、単純に、恐怖、と呼ばれる。

「やる気を出したようだな」

 少女が逃げながら浮かべる笑みが、自分に対する挑戦と思ったのか、バリスタが、凶悪な笑みを浮かべて、腰を落とす。遮蔽物があるというのに、タックルの構えを取ったのだ。

 綾香が何かしらの対処を取る前に、バリスタは駆ける。

 助走距離が……ある!

 反射的な思考で、綾香は、とっさに横に避けた。

 バリスタの巨体が、綾香がさっきまでいた場所を飛び抜ける。バリスタは、勢いを前転で殺して、素早く立ち上がった。

 そして、バリスタと綾香の間には、何の遮蔽物もなくなっていた。

 そのチャンスを、バリスタが逃す訳がなかった。今度こそ、バリスタは綾香に向かってタックルをしかける。

 反射的な回避だった綾香には、そこからバリスタを回避しながら逃げるという余裕はなかった。

 ゴウッ、と空気を裂くような音を立てて、バリスタの身体が、綾香に向かって来るのを感じて、綾香は舌を鳴らす暇さえなかった。

 ドッ!

 激しい衝撃を綾香は感じ、綾香の身体が後ろに飛んでいた。

 しかし、そのおかげで、バリスタの腕は、空を切っていた。いや、綾香はわざとバリスタのタックルを、体当たりとして受けたのだ。

 体当たりによるダメージは、素人が思うよりも、かなり高い。バリスタのような、巨体であればなおさらだ。しかし、タックルを決められて、倒されるよりはよほどましだった。だから、綾香は足を宙に浮かせ、はじき飛ばされたのだ。

 それでも、ダメージはあまり消せなかった。綾香にしてみれば、久しぶりと言っていい、身体の動きに弊害を起こすダメージだった。

 バリスタは、何の考えもなしに、遮蔽物があっても綾香を攻めていたわけではない。遮蔽物が綾香の間に一つとなり、しかも自分に助走距離がある場所まで行くのを狙っていたのだ。

 そこから、バリスタは助走をつけて飛び、そのまま遮蔽物を飛び越え、綾香を狙った。タックルの格好から跳び蹴りならばモーションが大きいのでどうとでもなったろうが、バリスタは、頭の方から、腕をクロスさせて飛んできたのだ。

 プロレスで言うところの、フライングクロスチョップだ。あれを受けていれば、綾香の身体など、簡単に金網まで吹き飛ばされていたろう。

 しかも、バリスタはさらに次を考えていた。バレーの回転レシーブよろしく前転して立ち上がり、まだ体勢の不十分だった綾香に向かって、今度こそタックルをしかけたのだ。

 綾香がとっさの機転を利かせて、体当たりに関しては素直に受けなければ、タックルでつかまっていたろう。

 他のことを考えて、気を抜いていたのは確かだけど、やっぱりこの男、できる。

 バリスタ相手に、タックルを打撃で打ち落とす方法は使えるとは思えない。何発も入れるか、体勢十分な一撃なら、それも可能だろうが、付け焼き刃の対処法での打撃の一撃では、バリスタをひるますことなど不可能だろう。

 綾香はそこまで瞬時に考え、そして、さらにバリスタが先を読んでいたのを腕に伝わる感覚で知った。

 飛ばされようとしていた綾香の身体が、宙で止まる。

 綾香が優れていたのは、それを感じた瞬間に、地面に素早く降り立ったことだ。でなければ、バリスタは、容赦なく宙にある綾香に向かって攻撃を仕掛けていただろう。

 まさか、私がこうも簡単にねえ。

 綾香の左手首を、大きな手が掴んでいた。

 タックルを、綾香は飛んで避けた。しかし、バリスタは、そこから、無理矢理片手だけでも後ろに飛ぶ綾香に伸ばし、手首をつかみ取ったのだ。

 飛ぶときに、腕を残してしまった綾香の失敗と言えば失敗だったが、バリスタの動きが、怖ろしく速かったからこそできた神技と言ってよかった。

「さあ、捕まえたぞ。どうする?」

 にやり、とバリスタが笑う。体重なら二倍ほども差のある二人だ。組み付いてしまえば、どちらが有利なのか、一目瞭然。

 しかも、バリスタの握力は強い。ちょっとやそっとで手を外せるとは思えない。

 やば……

 声にせずに、綾香は自分の不利を自覚した。綾香だって、この体勢で有利だ、という口は持ち合わせていない。

 綾香は、動かない。機を狙うかのように、じっとバリスタの動きを見ていた。

 そして、バリスタは、機など関係なかった。いや、機というのなら、掴んだ後は、全てバリスタにとっては機なのだから。

 バリスタが、綾香の手首を掴んだまま、動いた。

 

続く

 

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