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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(41)

 

 それは、下から来た。

 いや、それを認識できた訳ではない。来る場所が、そちらしかなかったから、当たった後にバリスタがそう思っただけだ。

 ゴッ、と軽い衝撃を受けて初めて、バリスタは、綾香の靴の裏が自分のあごに向かって来ていたのを認識できた。

 身体を流して、衝撃を逃がすとか、首を固定して、脳震盪を防ぐとか、そういう殊勝な行為が取れるような悠長な時間は、その打撃にはなかった。

 当たってから、やっと自分が打撃を受けたのだと理解できるスピード。

 バリスタの背中に、嫌な汗が流れた。

 何を思ったのか、綾香は、人のあごを蹴り上げておいて、そのまま蹴り抜くことをしなかった。ただあごに靴の裏が当たっただけでは、バリスタにはダメージはない。

 しかし、バリスタは現状を理解するよりも、衝撃を受けた瞬間、それがいかに小さなものであろうとも、反射的に首の筋肉を緊張させた。

 綾香の身長で、バリスタのあごに足が届こうとも、有効なダメージが当てられるわけがないのに、バリスタはすぐに気付いたが、首の力を抜く時間はなかった。

 バクンッ!!

「っ!!」

 平気だ、と思った瞬間に、今まで体験したことのないような衝撃が下からバリスタの首を突き上げ、力を抜いていなかったはずのバリスタの首をあっさりと打ち抜いて、バリスタの頭を揺らした。

 バリスタの打たれ強さは、並ではなかった。あごを打ち抜かれても、それで倒れるバリスタではない。しかし、ダメージよりも、驚きの方が、はるかに強かった。

 一体何が……?!

 綾香が何をしたのか、見る余裕はバリスタにはなかった。しかし、観客達は、綾香の動きをはっきりと見て取れた。

 飛んでバリスタのあごを蹴り上げた、と思った瞬間、綾香は金網に足をかけ、そこを足場にしてバリスタを蹴り上げたのだ。頑丈な金網を、綾香は自分がやられたと同等に、武器として使用したわけだ。

 一撃で倒れはしなかったものの、バリスタは自分の不利を自覚して、とっさに距離を取ろうとして、しかし、それができなかった。

 綾香の手は、バリスタの左手首をしっかりとつかんでおり、それを引きはがせる気がしなかったのが一番の理由だが、それだけではなく、説明できないものが、バリスタの後退を否定したのだ。

 正確には、バリスタが、綾香の左手首を放すのをためらったのだ。

 この手を、放しては駄目だ。

 理由はわからない、しかし、バリスタには確信があった。ダメージを受けてなお、相手の前に立つ不利は十分理解していたが、それでも、その手を放すよりはまだましだ、と本能にも近い感覚で理解していた。

 獣の勘、とでも言おうか。今目の前にある少女が、見た目通りに可憐ではなく、そしてさっきまで経験してきた凶悪ささえ、霞むような存在であることをバリスタは鋭い嗅覚で見抜いていた。

 逃げずに、そこにとどまり続ける巨漢に、綾香は満足そうに微笑みを向ける。その目は、心から笑っているようにさえ見えて、余計に不気味だった。

「がんばるのね」

 目の前にある、外見はともかく、中身は確実に異形の少女の声は、あくまでやわらかだった。

「これぐらいで下がって、石弓の名が名乗れるかよ。矢は、後退できねえんだよ」

 しかし、下がらないのは、ただ下がった方が危険だからと思っているだけ。バリスタの強がりを、隅から隅まで理解していると言わんばかりに綾香はクスクスと笑って、言葉を紡ぎ出す。

「じゃあ、どこまでやれるか、試してみようかな」

 来るっ!

 バリスタの身体が、緊張でこわばった。いや、恐れだけではない。冷静に考えて、今の綾香の打撃は見えない。ならば、来る前から身体を硬直させておくこと以外、バリスタが防御する方法はない。

 ドンッ!!

「くっ!」

 バリスタが体中の筋肉を硬くするのを待っていたかのように、綾香の膝が、バリスタの腹に突き刺さる。鍛えに鍛えたバリスタの腹筋が、ただ一撃できしみをあげた。

 何だ、この無茶な化け物は!

 心の中で、バリスタは叫んでいた。少しでも相手の動きが見れるように、バリスタは掴んでいる綾香の左手首を、なるべく自分から遠ざけているのだ。それを、綾香はまったく無視して、バリスタの身体に肉迫していた。

 スピードは、超えられるのはまだわかる。しかし、力でさえ、まったく抵抗できないのは、どう考えてもおかしい。自分は全力で遠ざけようとしているのに、平気な顔をして、それを無視される。

 少女の二倍近い男の身体が、少女の膝蹴り一発で、宙に浮いているのだ。観客も、その異様な光景を、声もなく見ていた。

 駄目だ、この相手に、防御にまわっていてはやられる。

 あまりのことに、バリスタは自分が守りにまわってしまっていたことに、ようやく気付いた。と同時に、すぐに行動に移ろうとした瞬間だった。

 バシイッ!

 バリスタが左脚をふりあげようとしたのをまるでわかっていたかのように、綾香の下段の踵が、バリスタの足の平に落とされていた。これには、いかにバリスタと言え、痛みに動きが止まる。

 しかし、足は止まったが、まだバリスタは攻撃の手をゆるめることはしなかった。バリスタも必死だったのだ。

 手も足も封じられても、まだ攻撃手段はあった。試合というお綺麗な場所で戦う人間には見慣れない手段かもしれないが、バリスタのような、ケンカに身を置くものにとっては、実際に格闘技として完成されている相手に対する切り札にも成りうる攻撃が。

 痛みに曲げていた身体を、バリスタは無理矢理起こした。

 かがんでいては、頭を綾香が攻撃しやすい位置に置いてしまう。何より、バリスタがこれからやろうとしている攻撃が、できない。

 高さなど、今の綾香には、問題にはならないだろう。しかし、頭は高い位置にあった方が有利、その自然さこそが、今のバリスタには一番大事だった。

 バキッ!!

 綾香の二度目の蹴りが、あごに入る。しかし、バリスタはこの攻撃を、むしろ待っていたのだ。

 目の前に火花が散ったような感覚を覚えながら、バリスタは頭を、身体を後ろにそらした。

 それは、見た目には、綾香の打撃で後ろにのぞけったようにしか見えなかった。

 それこそが、バリスタの求めたもの。頭を後ろにそらしても、疑われない瞬間を、バリスタは求めていたのだ。

 ケンカ屋の一撃、食らえ!!

 バリスタは、身体をそらした位置から勢いをつけて、綾香の頭の上に、自分の頭をたたき落とした。

 

続く

 

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