「Masquerade……Dance(踊れ)!!」
レフェリーらしき男の合図で、沸き上がる歓声、思う以上の熱狂に、葵は少し尻込みしていた。
「思ったよりも盛り上がってるんだな」
浩之も、その点は素直に感心していた。どこの人間も、それなりに格闘技は好きなのだろうが、違法とも思えるマスカレイドが、ここまでおおっぴらにやっているとは思っていなかったのだ。
こんな時間に、葵が街に出ているのは、非常に珍しいが、それにはちゃんとした訳があった。
ついこの間襲ってきた健介という男を見て、葵もマスカレイドに興味を持ったのだ。もっとも、葵はケンカのようなことはしたくないので、純粋に格闘家として興味を持ったのだが。
綾香や坂下ならともかく、こんな時間に葵を連れて行くのはどうかと思った浩之だったが、時間は思ったよりも遅くなく、葵の唯一の弱点である、経験不足を、変わった戦い方を見ることで多少なりとも解消できれば、と承諾したのだ。
葵は怪我のこともあるので、浩之が来るのを遠慮したが、浩之は怪我よりも、葵の方が心配であったので、ついて来たのだ。
マスカレイドの行っている場所は、健介から聞いた。健介も来ようとしていたのだが、葵はあまり健介のことが得意ではなかったので、何とか断ったのだ。浩之は良しとして健介は断る部分は、葵としてはやはり当然の話だ。
健介は、すでに葵の舎弟を気取っているので、不安は少ないが、やはり得手不得手で言うと、あまり近づきたくない人間だ。
しかし、あれで十五位というのは、アマチュアと言え、侮れないと葵も浩之も感じていた。だからこそ、見に来る気も起きたのだが。
「順位は低いみたいだけど……あれ、やっぱり前に見た子だよなあ」
試合場の真ん中に立つ、覆面の女の子に、浩之は覚えがあった。服装や、マスクの柄は違うものの、明らかに浩之を狙ってきた女の子だった。
「知り合いなんですか?」
葵は浩之の独り言に驚く。それはそうだ。いかに顔が広い浩之とは言え、こんな場所に知り合いがいるというのは、さすがに驚きだ。
「いや、ほら、前に言ってたろ? 俺を襲って来た女の子だよ」
「え!? センパイを襲ったのって、女の子だったんですか?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「襲われたとは聞きましたけど、それが女の子だったとは聞かなかったです」
確かに、女の子と言ったかどうかはわからないが、詳しく説明した記憶はない。
「さすがセンパイと言うべきか……こんなところまで徹底していると言うべきか……」
「ん? 葵ちゃん、どうかしたか?」
「い、いいえ、何でもないです」
難しく考え込んだ葵だったが、浩之に尋ねられて、首を大きく横に振って話を終わらせた。浩之も、別に特には気にしなかったので、聞き直したりはしなかった。
襲われる相手まで女の子なんて、これだからセンパイは……と葵が心の中で考えたのは秘密だ。襲われている浩之には非はないとは言え、確かに徹底している話だった。
「顔は見えないけど……スタイルいいなあ……」
浩之に聞こえないように気をつけながら、葵は独り言ちた。凹凸なんて胸よりも筋肉の方が大きいのでは、と思えるほどにない自分の身体と比べて、小さなため息をつく。
別にそういう意味で浩之を狙ったのではないことぐらい葵だって理解はしているが、感情というものは、そう簡単に納得はしてくれないのだ。
いけない、ちゃんと試合見ないと……
日頃体験しない試合を見る、というのが、今日の一番大きな、そして体面の理由なのだ。
そう、それ以外にも、理由はあるのだ。
センパイにとって危険な相手だったら……
葵は元来、物事を腕力に頼るような人間ではない。格闘技は好きだが、それは限りなくスポーツに近いのだ。というより、常識人ならば、腕力があるとしても、それを気軽に使うべきではないことぐらいわかるだろう。
しかし、浩之に危険が迫っていると思えば、そういった常識を無視してもいい、とも思っていた。何人浩之を狙っているのかは知らないが、最低でも浩之の怪我が治るまでは、自分がその露払いをしよう、と心に決めたのだ。
そして、この部分から珍しい話になってくるのだが、相手が襲ってくるのなら、むしろこちらから攻めてみるべきか、そこまででなくとも、探りを入れておいた方がいいのではないか、と思ったのだ。
それは、昔の葵からは絶対に考えられない選択肢だった。空手を止めてエクストリームを一人で目指して、浩之に出会って、坂下に一度なりこそ勝った、今の葵だからこそ取りうることのできる選択肢だ。
葵は、その経験から、自分から攻めて活路を切り開くことを覚えたのだ。もちろん、それでも綾香と比べればかわいいものだが、そういう選択肢も取れる、というのは、平和かどうかは置いておいても、成長と言って良いだろう。
ここで、いきなり殴り込みに発展しないのは、さすが常識人というか、綾香の方があまりにもかけ離れているからなのだろうが。
葵は、気を取り直して試合に意識を向けた。浩之のことはあれど、興味があるのは本当なのだ。
ブラインドと呼ばれた男の方は、軽いステップを踏みながら、相手の出方をうかがっているようだ。構えは、完全な攻撃型だ。ウレタンナックルに近いグローブをはめており、少なくともパンチを想定した戦い方であるのが伺える。
と言うより、まあ確実にボクシングであろうことはわかる。蹴りの気配はないし、組み技系の人間は、フットワークを使うことは少ない。何より、打撃の素人がフットワークを使うというのは、まずあり得ない話なのだ。
さっきまでは折りたたんでいた両腕の左を、下に降ろして、まるで相手を挑発しているようだ。しかし、前に構えられたのではない下にある左拳は、完全に攻撃用の構えだ。
そして、ランと呼ばれた女の子の方はと言うと……葵としては、どう判断したものか迷ってしまう構えだ。
蹴りを狙っている。それはわかるが、腕を上げようともかまえようともしていない。ガードには不向きだし、攻撃にもあまりむいているとは言えない。
格闘家の構えというより、体操選手の構え、と言った方がしっくりいくだろうか? 葵の知識にはない構えだ。
しかし、そこから相手の動きを読むのも、一つの鍛錬だ。葵は、素早く頭を巡らせる。ただ、自分でも自覚しているが、葵はあまり頭の回転は良くないのだ。
これで、相手と対峙すれば、まだ身体が何かしらの反応をしてくれるのだけど……
それは頭で考えるよりも凄いことなのだが、葵本人にしてみれば、回転の遅い頭の方に目が行って、その有効性を自覚できない。
事前で予測できれば、楽にはなるのだろうが、まったく知識のない相手と戦うのに、瞬時に身体が反応するというのは、代え難い財産なのだ。
それに、予想というのは、何度も経験して、知識を増やしていけば、そのうちに追いつくものだ。
葵は、まだ身体に頭が追いついていないところもあるが、それも、こうやって経験をつんでいけば、埋まっていくのだ。
しかし、今回は、まだ経験不足のようだった。
葵がランの動きを予測し終える前に、ランが動いたのだ。
遠い間合いを、大きなストライドで二、三歩縮めると、少女の身体は、宙を舞った。
続く