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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(46)

 

 スパンッ!

 ブラインドのアッパーが、ランのあごを打ち抜いた。

 腰を支点に、ランの身体が後ろにのぞける、と誰しもがそう認知したと同時に、ブラインドは後ろに跳ね飛ぶように動いた。

 ブラインドは、下から襲ってくるキックを、あごをそらして避ける。

 チッ、とほんのわずかな音と、小さな感じられないほどの感触が、ランの脚に伝わった。

 くるりとその場でバク転して、手をついて着地したランだったが、さすがにボディーとアッパーのダメージのせいで、華麗に立ち上がることはできずに、その場に座り込むような体勢になる。

 しかし、それは相手の方も同じだった。

 とつとつ、と何歩か後ろに下がって、ブラインドは尻もちをつくように倒れる。何か起きたのか、一瞬理解しかねる顔をしていた。

 ランにとっては、起死回生とは言わないまでも、不幸中の幸いに、ブラインドのあご先につま先が当たったのだ。そのせいで、ブラインドは脚にきているのだろう。

 ボディーブローで動きを止められ、そこにアッパーを入れられたランだったが、アッパーを後ろにのぞけることによってダメージを殺しながら、その勢いを持って、その場でバク転、下からブラインドを蹴り上げたのだ。

 ブラインドは、すぐに異変に気付いて後ろに逃げたが、一瞬ランの方が速かったようだ。

 もっとも、バク転することによって消せたダメージなどたかが知れているし、ボディーブローのダメージも相まって、ろくなキックは出せなかった。

 それでも、一応戦えるだけの時間はかせげそうだ。

 正直、まだ座っていたかったが、ブラインドもすでに立ち上がろうとしている今、そういうわけにはいかない。

 ブラインドが立ち上がれない間に攻撃できれば、ランの勝ちは決まっていたが、ダメージの点から言えば、ランの方が不利で、実際動けなかったのだ。

 ランとしては、たった三発でここまでダメージがあるというのは予想外だった。

 しかし、どれもクリーンヒットに近いものなので、ダメージがあるのは当然だ。KOされていないだけまし、というレベルだろう。

 とにかく、一撃でも入れることができたのは大きい。とくに、あごをかすって、相手の脚を止められたのは、ランにとっては大きな収穫だ。

 狙ってやった訳ではなかった。しかし、坂下に格の違いを見せつけられるように倒されたランの経験は、反対に、この相手なら、一撃喰らっても、まだ攻撃できる、とランに思わせたのだ。だからこそ、攻撃を受けながらでも、まず反撃することを選んだ。

 あまりにも差がありすぎて、まったく相手にならないような強者と戦っても、それはそれで大切な経験と成りうるのだ。

 ランは、息を整えながら、立ち上がる。ボディーブローのダメージは、さすがにその程度では消えず、息が苦しいと感じている。

 が、ブラインドは、それをわかっているだろうに、脚の調子を確かめているのか、攻めて来ない。ランとしては、助かる話だ。

 時間を稼いで、ボディーブローのダメージを消せば、十分戦える。

「ラン、攻めろ!」

 しかし、突然観客の中からあがった大きな声は、ランの考えを真っ向から否定する言葉だった。単なる観客の野次なら、ランは無視しただろうが。

 ヨシエさん……?

 それは、坂下の声だった。距離が開いているとは言え、相手から目線を外す訳にはいかないから、そちらを見ることはできないが、間違いなく坂下の声だった。

 まさか、ヨシエさんに限って、ダメージを見誤ってることはないと思うけれど。

 今のランは、戦える状態ではないのだ。ランの戦い方は、動きが大きい。スタミナの面で言えば、あまり効率が良くないのだ。ボディーブローで減ったスタミナでは、いかに他人よりはスタミナがあるとは言え、そう長いこと持つものではない。

 片道切符で特攻して、それでどうこうできるほど、ブラインドは弱くないだろう。しかし、ヨシエさんの言葉は、応援というよりは、助言に思えた。

 今、自分がきついのをランは理解している。だから、どちらの判断が正しいのか、と聞かれれば、絶対的に自分の考えを取るだろう。苦しいのはランであって、坂下ではないのだ。

 しかし、ランと坂下、どちらが強いのかと聞かれれば、当然坂下の方だと答える。そして、その点から見て、どちらが信用に足るのかと聞かれれば、やはり、答える間でもないことだ。

「フー、フー、フーッ」

 ランは、息を整える。いや、これで整うのなら、何も問題がない。これは、息を整えているのではなく、決心をしているだけだ。

 これで失敗したとしても、ランは問題ないと思った。もちろん、坂下に責任を押しつける気はない。坂下の判断は正しいのだから、坂下ほどの実力がないランが悪いのだ。

 動き出したときは、脚を引きずるような動きだったが、すぐに、いつもの動きに変化していく。攻めると決心して動いたときから、テンションを無理矢理に引き上げたのだ。

 ブラインドは動かない。身体をゆらして、標的をずらされないだけでも、かなり狙いやすい。

 ブラインドに向かって飛び込んだランは、ギリギリ届く距離から、ブラインドに向かって後ろ回し蹴りを放つ。

 バシイッ!!

 ブラインドは、それを腕で受け流した。が、勢いのついた後ろ回し蹴りは、腕では簡単に受け流せるものではない。激しい音がその証拠だった。

 当たった?

 受け流されたものの、ランはその異変に気付いていた。

 ブラインドの反撃を後ろに下がりながら避け、ランは横に回り込むように動く。攻めているときでも、後ろに下がるのは、ランの戦い方では問題ない。回避されたときは前に出て、受けられたときは後ろに下がる、ランの戦い方は、崩れていない。

 崩れているのは、ブラインドの方だ。

 ランの飛び回し蹴りを後ろに下がりながら避けるブラインドの動きは、精彩を欠いていた。

 やはり、脚にきているんだ。

 ランは、酸欠で重くなっていく身体を力で引きずるように動かしながら、ブラインドが攻めて来なかった理由を理解した。

 ダメージの差を見れば、ランの方が不利だ。だが、ブラインドは一番とも言える武器である、脚の動きが阻害されている。もちろん、ランだって、頼みの綱である飛び技を支えるためのスタミナが切れかかっているのだから、やはりランの方が不利だと思っていたのだが。

 トリッキー系相手に強いということは、つまり基本がしっかりしていて、相手に特殊な動きをなるべくさせないことだ。

 だからこそ、自分の動きが損なわれることを、一番警戒しなくてはいけないのだ。いつもと同じ動きができることが、トリッキー系への最大の武器なのだから。

 状況は、むしろランの方が不利。

 しかし、精神的に言えば、ブラインドは、追いつめられているのだ。もちろん、戦力的に言えばまだまだ有利なはずなのだが、いつも通り動けない、という状況を、正統派の戦い方を選んだブラインドは選びたくなかった。

 ランが回復しても、もう一度同じように戦えば、また追いつめることができる、と思っているからこそ、回復を選んだブラインド。

 その自信はある意味怖ろしいが、しかし、だからこそ、その前提を崩されたとき、トリッキーキラーは、トリッキーに対して無力なのだ。

 身体全体を、硬い水に絡め取られたような重い身体を、ランは必死に動かして、ブラインドにキックを繰り出す。

 もう、ランにはまわりが見えなくなっていた。極度の酸欠に、意識は半分吹っ飛んでいて、それでも、ランは蹴り脚を降ろそうとは、しなかった。

 

続く

 

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