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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(47)

 

「ラン、攻めろ!」

 それを聞いて、浩之は、いつも通り無茶を言う、と思った。

 浩之の目から見ても、ランにたまったダメージは相当なものだ。ボディーブローを二回も入れられて、さらにアッパーも受けて、無駄の多いあの動きでは、もう長い間は動いていられまい。

 同じ状況に置かれれば、それは浩之なら、無理にでも動こうとするかもしれない。しかし、それは正直無理に無理を重ねた結果になるだろうし、そもそも、ちゃんと身体が動いてくれるかどうかも怪しい話だ。

 一見、ブラインドの方が有利な状況で、しかし、ブラインドの方からは攻めないとなると、これ幸いに、ダメージの回復をしたくなる。それは心情としてわかる。

 だが、有利なはずの相手が攻めて来ないのは、何かしらの罠があるのか、それとも精神的に行けない理由がある、そのどちらかだ。

 しかし、前提が違えば、そうとは言い切れなくなる。つまり、相手は思うほど有利ではないということだ。精神的に何かしらの問題があるとも言う。

 バク転のサマーソルトキックであご先に入ったつま先は、ブラインドの速度を急激に削ったのだ。パワーではなく、スピードと手堅いコンビネーションを頼りにしているように見受けられるブラインドにとってみれば、非常に痛いダメージだったのだ。

 ダメージの質から言って、回復するのは、確実にブラインドの方が早い。ボディーブローは、後になればなるほど効くのだ。ブラインドが回復する時間は、十分にある。

 手痛いダメージではあるが、しかし、ブラインドは攻めないことを選んだ。

 状況は五分五分、いや、ブラインドの方が有利である。が、ここで攻めるというのは、攻めたくない、というブラインドの気持ちを裏切る、非常に有効な手になるだろう。

 だろう、と浩之は、予測で言ったが、そんな状況には成り得ないこともわかっている。

 ランという少女はすでに限界だ。無理にアッパーを流したようだが、それすらも、全部消せた訳ではないのだ。上下両方にダメージを喰らっている今、ろくに動けるとは思えない。

「まったく、坂下は相変わらず無茶言うよな」

「そうですね、ダメージがなければ、確かにチャンスなんですけど」

 坂下は、確かに綾香などには到底及ばないが、しかし、弱い訳では決してない。それどころか、葵と試合をすれば、おそらくは7、8割は坂下が勝つのではないだろうか。

 だから、弱い者の気持ちが、綾香ほどではないがわからないのだ。いつも血を吐くような練習を繰り返していても、そしてその結果強くなったと自分でわかっていても、人というものは、成長前の自分から考えるというのは、案外難しいものなのだ。

「……あ?」

「……え?」

 そこまで思考を進めてから、浩之と、そして横にいた葵は、不自然なことに気付いた。

「坂下?」

「好恵さん?」

 二人が、その大声のあがった方を見る。確かに、そこにはレディースにかこまれた中心に、制服姿で毅然として立つ、坂下の姿があった。

 そして、坂下に気を取られながらも、葵はすぐに、試合場に立つ少女の呼吸が変化したのに気付いた。

 苦しそうに息をしているが、だからと言って息を整えようなどと、微塵も考えていないような息の仕方に、葵は、正直驚いた。

 あの子、攻めるつもりだ。

 見たところ、ある程度は鍛えているが、血のにじむような努力をしてきた訳ではないその身体で、今攻めて大して持つとは思えない。葵ならそんな状況でも攻めるだろう。それは葵が、その後血を吐いても、後悔しないぐらい、格闘技にのめり込んでおり、そして、勝ちを目指す心が、何よりも優勢されるからだ。

 その選択肢を、こんな違法とも思える場所で、その少女は選ぶのか。

 葵には、わかる気もするし、わからない気もする。しかし、確かに、自分に近しい匂いを感じて、葵は試合場に目を奪われた。

 精神力でどうなるものでもない。疲労がたまれば、人の身体は意識に反して動きを鈍くする。少女の動きも、最初はそれだった。水の中を動くような、緩慢な動きだ。

 しかし、そこから、まだ格闘家には先がある。精神力でどうにもできないと言いながら、それをさらに精神力で奮い立たせ、動く。

 疲労という水をかき分けるように、ランの身体が、前に動き始め、徐々にスピードを増していく。

 そして、ランは飛んだ。瞬発力を必要とする、つまり身体に力が残っていないときは使うことのできない力で、相手を蹴りつける。

 そのとき、明らかにブラインドの動きが鈍った。ダメージもさることながら、今この状況で攻められたことが、ブラインドの心に一撃与えたのは、間違いない話だ。

 後ろに下がったランだったが、それでも、まだ動きを止めない。疲労は極地に達しているだろうに、それでもブラインドを攻める。

「ハッ、アッ、アッ!!」

 爆発的なランの動きに、観客は歓声をあげ、その中で、葵は確かに、その嗚咽にも似たランの吐息を確かに聞いた。

 ガードや回避しそこねたキックが、何発かブラインドに入っている。体勢十分ではないが、それでも、精神的にも肉体的にも、ブラインドには効くダメージだ。

 反対に、ブラインドの攻撃は、ランに当たらない。精神的に崩されたブラインドには、的確な攻撃ができないのだ。

 それも、長くは続かなかった。

 動きが、少しずつ鈍ってきていた。最初の引き絞ったような力が発散し、水のような重みが、少しずつランの身体をむしばんでいた。

 極度の酸欠で、ランの顔色は土気色に変わっていく。しかし、それすら、ランを止めるには足りないというのか。

 そして、そんなランの精神力を持ってしても、すでに限界なのか。

 飛び込んで全体重をかけた踵落としが避けられ、地面に着地した瞬間、ランの動きが止まった。

 精神力でどうにもできない状態から、さらに精神力で身体を引きずって動かしたが、その精神力すら、尽きた。

 前屈みになったブラインドは、前屈みになったランの頭部にめがけて、容赦なくストレートを繰り出した。

 最後のあがきのように、ランは身体をそらしながら、そのストレートを避けようとする。動きは鈍いが、両腕も、ガードをしようと動いた。

 しかし、身体をそらす動きも、両腕の動きも、スピードは落ちても、ストレートを避けるには、遅すぎた。

 バシィッ!!

 ランの顔面に、ブラインドのストレートが突き刺さり、ブラインドの突き刺さった腕に、ほぼ同時とは言え、遅まきながら、ランの両手がかかる。

 跳び技とキックを多用するランにとって、それは、普通必要ないものだ。だからこそ、ここに至って、最後に使えるのは、そこしかなかった。

 ブラインドの右腕を、ランの両腕が強く握った。

 唯一、ランに残された、確かに動く部分。それに、ランはかけた。

 通常、掴まれることをもっとも嫌うランが、使うことのない、掴むという行為。だからこそ、ランにとっては、奥の手だった。

 ランは、掴んだブラインドの右腕を支点にし、ブラインドの視界を、その腕で遮って、腕の外から、ブラインドの頭部に向かって、飛んで。

 バシィィッ!!

 絞りかすすらない身体で、ブラインドの頭を、蹴り上げた。

 

続く

 

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