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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(48)

 

 ……やってしまった。

 ブラインドの頭を蹴り上げ、その感触から、勝ったと確信した瞬間に、ランは後悔していた。

 同じレディースのチームで、情報係をしているゼロに言われたことを、これで一つも守らなかったのだから。

 ゼロが念を押してランに教えたことの一つに、技を出し惜しみしろというものがあったのだ。

 ケンカなら、まだいい。乱戦の中では、一体自分がどうやって倒されたのかもわからないことが多いし、他人を気にしている暇はない。

 しかし、マスカは違う。一対一で、相手に完全に集中している状態で戦わなければならないし、まわりから客観的に観察できる人間も沢山観ているのだ。

 使った技は研究され、以後、戦うときには研究される。

 五十人もいるマスカの選手全員を把握している人間などいない、とランは思ったし、その旨を言ってみたが、ゼロに烈火のごとく怒られた。

 いわく、たった五十人を把握するだけで、勝つ確率は格段に跳ね上がる、全員とは言わないでも、選手の多くがやっていない訳がない、と。

 情報を疎かにするといつもの飄々とした姿からは想像できないほど、ゼロは怒るのだが、一応は言っていることには筋は通っていた。

 相手の腕をつかんで、その外から蹴り上げる技は、飛び技で距離を取って戦うランにとってみれば、相手の意表を突く、言わば裏技だ。

 相手の腕が邪魔をして、受けた人間は、何をされたのかわからない。だから、ランはこの技を奥の手として使って来たのだ。

 しかし、距離を取るトリッキー系であるランが、相手を掴まなければならない状況というのが、そもそも問題であり、ランは必要以上にこの技を狙ったことはなかった。

 それでも、隠し技としての効果は絶大だったのだ。それを、あっさりと一試合目で見せてしまった自分のまぬけさには、頭が痛くなる。

 ランが頭が痛いのは、ダメージと酸欠の所為なのだが、それをわかるような思考力は、すでにランにはなかった。

 でも、それでもいいと、正直ランは思っていた。

 昔なら、そんなことを思ったりはしなかったのだろうが、今のランは、自分の裏技をここで使ってしまったことを、一度は後悔したものの、後に引きずることはなかった。

 目の前に、もっと強い者がいるから。

 耳の裏の方に、キーンという聞き慣れない音が響いている。それは耳鳴りなのだが、ランはそれを耳鳴りと判断する思考力はなかった。

 ランが目を向けたそこには、厳しい、しかし、ランの思い過ごしかもしれないが、少し満足そうな、坂下の顔があった。

 今までの自分を、全部出し切って勝てたのなら、それで十分なのだ。

 だって、今はまだ先にあるものが見えている。そこに向かって走っていけば、今の自分の全力なんて、すぐに追い越せる。

 ぐらり、と視界が歪んだ。すでに、自分が限界に来ていることに、ここになって、ようやくランは気付いた。

 あ、まずい。

 脚の感覚が消え、一気にコンクリートの地面が視界に近づいてくる。しかし、もうランには、ただ倒れるのにすら、受け身一つ取ることができない。

 しかし、ランはあせらなかった。どうせ、今なら痛みなど感じないだろう、と思ったからだ。

 その証拠に、ランは衝撃も痛みも感じなかった。それどころか、少し柔らかく、暖かいものに受け止められるような感覚すらあった。

 と、同時に、ランの意識は、完全に飛んだ。

 

「ランっ!」

 レディースのリーダーであり、ランの姉であるレイカが駆け寄るよりも速く、ランの身体は、硬いコンクリートの上に崩れ落ちそうになっていた。

 勝者を呼ぶ声が聞こえたのか聞こえなかったのか、熱にうなされているようにぼんやりとしながら、こちらを向いたと思った瞬間、糸が切れたように倒れたのだ。

 しかし、そのランの身体を掴むのは、レイカにも坂下にも間に合わなかったが、ランの身体がコンクリートの上に落ちることはなかった。

 突然、横から伸びて来た腕が、ランの身体を支えたのだ。

 それは、あまりにも特徴的な青年だった。いや、細身の長身も、鍛えられた身体も、それは確かに目を引くものではあったのだが。

 それよりも何よりも、まず目につくのは、その赤。

 真っ赤なマスクが、彼の顔を隠していた。そして、そのマスクには、大きく、「華」と描かれている。

 「カリュウだ……」「カリュウよ……」「おいおい、本物かよ」

 観客の声が、坂下にも届いていた。そのマスクから察するに、マスカの選手であることは確実なのだが、観客の様子から言って、それもかなり強い部類に入ると思われた。

 正直、坂下は興味があった。確かに、ランでは坂下の相手にはならないが、綾香に一撃入れることのできる人間も、マスカにはいるのだ。目の前にいる赤いマスクの男が、どれほどのものかはわからないが、強いのなら、戦ってみたい、いや、観てみたいという気持ちが沸いて来る。

「はいはい、道あけてー、通りますよ〜」

 一瞬暴走しそうになった坂下の意識を戻したのは、そんなどこか間の抜けた女性の声だった。

 観客が波のように分かれ、そこから、これまた妙な格好をした一団が、こちらに近づいて来る。

 一言で言えば、ピンク色をしたミニスカートのナース。

 二言目で言えば、先頭にいる女性は、かなりの美人だ。童顔だが、年齢は二十を超えているだろうと予測させる、スタイルの良い女性だった。

 三言目で言っても、やはり、スタイルがいい、と表現できる。それはもう、良過ぎるぐらいだ。

 その女性の後ろに控える四人のナース服の人間のスタイルは、かなり良かった。

 引き締まったお腹、はち切れんばかりの胸、女性のウエストほどもある腕、テカテカと黒光りする肌。

 それはもう、スタイル、もとい、筋肉は、非の打ち所がない。今からボディービルの大会に出ても上位を総なめにしそうな、黒人のスキンヘッドの男達だった。

 ただし、言ったように、服装は、ピンクのナース服。さすがに、スキンヘッドの頭には、ナースハットはつけられないのかつけていないが、ご丁寧にミニスカに、同じくピンク色のストッキングまではいている。

 一瞬、さすがの坂下も、驚きで動きを止めた。それほど、インパクトの強い光景だった。

「……な、どうかと思うだろ?」

 レイカに言われて、坂下は、そういえば、救護班のナース服の、あの趣味だけはわからない、とレイカがもらしていたのを思い出した。

 なるほど、確かに、わからない。

 でも、何故か観客が喜んでいるように見えて、坂下には、余計にわからなかった。

 だから、いかなる坂下でも、そちらに気を取られて、目の前にいる、強いと思われる人間のことが、頭から抜けたのは、不思議なことでも何でもなかった。

 目の前にある光景は、確かに、戦いを忘れさせるだけのものがあった。いい意味では、確実にないけれども。

 

続く

 

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