「ほら、カリュウちゃん、その子、こっちよこして」
ナース服の美女に言われて、赤いマスクの男は、素直にランをナース服の美女に渡す。坂下が、その見も知らないマスクの男よりも、ナース服の美女の方が危なく感じるのは、何故なのだろうか?
「んー、打撃を受けた場所は、まあ問題ないかな。それにしても、女の子のお腹なんか殴って、後でどう責任取るつもりかしら」
すでに悪魔のようなムキムキのナース服のタンカに運ばれていくブラインドの姿を見ながら、ナースはちょっと意味不明なことをつぶやく。
「ま、大丈夫。ダメージというより、酸欠ね」
大きな救急箱っぽいものから、酸素ボンベを取り出して、ランの口元に当てる。
「しばらくこうしておけばすぐに回復するわよ。それにしても、カリュウちゃん、こんなかわいい子抱きしめて、役得だったでしょ?」
ナースにそう話をふられて、表情はマスクどころか、こちらに顔を向けていなかったので、坂下には見えなかったが、カリュウの機嫌が悪くなるのが、何故かわかった。
ナースの軽口に、明らかに怒っている。
「もう、カリュウちゃんてば、相変わらずシャイねえ。倒れそうになった女の子を助けたんだから、誰も……あ、ファンの子は文句言うか」
ケタケタと軽く笑うナースに、カリュウの機嫌が余計に悪くなったように坂下には見えた。
とりあえず、物凄いアレなナースを見慣れていたレイカが、すぐに我に返って、ランに駆け寄る。ナースから、ランと酸素ボンベをそのまま受け取る。
「あの……ありがとよ。助かったよ」
レイカが礼を言ったのは、ナースの美女ではなく、ランを受け止めた、カリュウにだった。いつものレイカらしくない、ちょっとはにかんだような笑みを作っていた。
そういうことにうとい坂下でも、レイカがカリュウのファンなのか、もしかすると、それ以上に思っているのでは、と勘ぐらせた一瞬だった。
「あらあら、相変わらずもてるわねえ、カリュウちゃん?」
「な……っ」
絶句したレイカだったが、カリュウは無愛想に、一度だけ頷くと、レイカから目を離し、試合場の中央に向かって歩き出す。
あまりのそっけなさに、坂下は一瞬何か言ってやろうかとも思ったが、あの硬派な態度が受けているのか、レイカはどちらかと言うと嬉しそうなので、黙っておくことにした。それに、倒れそうになったランを助けたのは確かなのだ。
「カリュウさ〜ん!」「こっち向いて〜!」と、大半は女の子達の黄色い声が飛ぶ。男達からは、むしろ「やられちまえ〜」「今日は無事に帰れると思うなよ〜」などと言うやじが飛んでいる。
試合場の中央には、いつの間にか、一人の赤いサングラスをかけた男が立っていた。自称、マスカレイドプロデューサー、赤目だ。
赤目は、その通る声で、口上を叫び上げる。
「さーて、やってまいりました! マスカの上位ランキングが、飛び入りの挑戦者を受けるビックチャンス。シンデレラ・ナイト!!」
その声で、一気に場が沸き上がった。
坂下が見るに、観客は、それを知らされていなかったように思えた。レイカも、そんなことがあるなどとは、一言も言っていなかったし、ゼロを見ても、知らなかった、と顔に書いてある。
「たまに突然に、上位ランキングの人間に挑戦させることはやらしてるけど、それが今回だなんて、あたしもしらないってか、あたしだって、見たこと無いんだよ」
情報役を自負するゼロが、しぶい顔で言うが、坂下としてはそれでもかまわなかった。上位ランキングの人間の戦いを、思わぬ偶然で見られるのなら、それは幸運以外の何物でもないだろう。
「相手を、するのは、皆さんご存じ! 女性にとってはマスカのアイドル! 男性にとってはマスカのキザ男! しかし、強さは疑うことなし!」
赤目が、大げさな身振りで、赤いマスクの彼を腕で刺した。
「マスカレイド、ランキング五位、カリュウ〜!!」
地鳴りというよりは、悲鳴に近い歓声があがる。紹介にあった通り、女の子には絶大な人気があるようだ。
「きょ、今日はラッキーだ。ランもデビューできて、しかもカリュウに声をかけて、試合も見れるなんて……」
すでに夢心地、と言ったレイカを見て、坂下は多少なりともため息をついた。レディースのリーダーも、こうなると形無しだ。
と思ったけれど、チームのほとんどが黄色い声をあげている状況は、むしろ坂下の方がどうかしているのでは、と思わせるから怖い。
「さあ、果敢にも挑戦する猛者はっ?!」
「やるぞ!!」
観客をかき分けて、中肉中背の男が出てくる。もちろん、顔にはマスクをつけている。ライトブルーの、けっこう目立つマスクだ。
背や横は普通だが、その男がかなり鍛えてあるのは、見てわかった。少なくとも、今のラン程度では相手できるような強さではない。
「マスカランキング二十三位、ウェイブ……正統派の打撃系、キックボクシングかムエタイだろうね。最近の調子は上がり調子、ここらで、一気にランキングを上げたいところだね」
この突発の試合を予測しきれなかったゼロが、腹いせとばかりに、出てきた相手の説明を始める。
坂下は、その説明を聞いていて、ふと疑問に思った。
「そう言えば、あのカリュウとかいうやつは、何を使うんだい?」
「ああ、カリュウは……」
ゼロの説明が終わる前に、赤目の声が張り上げられた。
「二十三位、ウェイブ!! 一夜のダンスパーティーで、時間までに、高く駆け上がれ!」
十二時になって、そのパーティーが終わるとき、落としていくのは、ガラスの靴ではない。新しい、ランキング五位の地位か、それとも、地面に横たわる自分か。
上を目指すのなら、それは当たり前のように過酷な戦い。
「free dance(自由に踊れ)!!」
ゆっくりとしたための時間もなかった。あれという間に、そのダンスパーティーは始まってしまった。
開始と同時に、カリュウが動く。素早く、地面を這うように動き、ウェイブに向かって、タックルをかける。
速い……それに、低い。
コンクリートの地面の上では、えてしてタックルなど怖くてあまりうまく使えない、と坂下は思っていたのだ。タックルはどうしても、肘や膝が地面につく。マットの上ならいいが、アスファルトやコンクリートの上では、肘や膝がすれたり打ち付けられたりするのは、ダメージが大きいのだ。
ちゃんとガードはつけているようだが、それだけではなく、カリュウの思い切りがいいということだ。こんな場所でタックルをかけることを、かなり慣れている。
対するウェイブの方は、腰をどっしりと落として、カリュウを迎え撃つ。完璧に避けるか、腰を落として耐えるか、どちらかしか方法はなく、カリュウのウエイトは大したことはなさそうなので、選択肢としては間違っていないだろう。
そして、坂下はすぐに気付いた。
ウェイブが、肘打ちを狙っているのを。いや、それだけならば、何も問題ではない。問題であり、坂下がすぐに気付いたことは。
ウェイブとかいう男、肘に何かつけている。
長袖で肘を隠しているが、曲げているところを注意深く観察すれば、すぐにわかる。
鍛えた人間が、攻撃する部位に何か硬いものをつけて攻撃すれば、その威力は格段に上がる。坂下は素手にこだわりがあるが、強くなるという一面を否定する訳ではなかった。
カリュウが気付いているのかどうかわからないが、警戒せずにタックルをかけようとしているのは確かだった。
卑怯、とは言うまい。マスカは、刃物や飛び道具以外の武器を禁止していない。そこに鋼鉄の膝ガードが仕込まれていても、ルールに反してはいないのだ。
カリュウは、肘打ちぐらいは受ける覚悟だろうが、しかし、その威力が一撃必殺の威力をもっているとしたら。
カリュウの勝ち目は、限りなく低くなる。
それを何人の人間が気付いただろうか、少なくとも、女の子達の歓声は収まることなく、カリュウはそれに後ろを押されている訳ではないだろうに、タックルを止めようとしなかった。
ウェイブの目が、光ったように見えた。
もう避けることもかなわない、ギリギリの至近距離まで、引きつけるだけ引きつけて、ウェイブは、カリュウの後頭部に向かって、肘をたたき落とした。
続く