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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(50)

 

 肘が空を切ったとき、何が起こったのか一番理解できなかったのは、仕掛けた当の本人であるウェイブであったろう。

 引きつけるだけ引きつけておいたのだ。当てられない訳がない。しかし、肘は、確かに空を切っていた。

 いや、もう少しウェイブに時間が与えられれば、何が起こったのかもわかったのだろうが、その時間が、ウェイブには与えられなかった。

 ズバシィッ!!

 さっきまでウェイブの下にあったはずのカリュウの攻撃が、上からたたき落とすように、ウェイブの頭に入ったのだ。

 カリュウは、タックルを仕掛けると見せかけて近付き、ウェイブの肘を避けるために、地面に倒れながら身体をひねって地面に背を向け、オーバーヘッドキックのように、ウェイブの頭を蹴り落としたのだ。

 その後も、カリュウは身軽だった。ひねった体をそのまままわして、器用にコンクリートに片手をつき、身体をさらに前に進ませて、空いた腕をウェイブの片足にからませて、横を通り過ぎたのだ。

 それはあっけないほどあっさりしていて、あっと言う間に決まっていた。

 そして、相手の脚を支点にして、後ろに回りこむ。

 ダメージで動きの取れない相手の片足を取って後ろに回りこむ。もうここまでやってしまえば、勝負は決まったようなものだった。

 カリュウは、もう何の抵抗もさせないスピードでウェイブをうつぶせに倒し、背中の上に乗った。

 ダメージもさることながら、ウェイブには、何をされているのかさえわからないだろうスピードと、手際の良さだった。

 そして、ほんの少しだけ逡巡して、ウェイブの首に素早く腕を回す。

 くいっ、と大して力を入れたようにも見えなかったが、そのほんのわずかな時間で、ウェイブの意識は完全に断たれた。

 ごとっ、とウェイブの身体から力が完全に抜けたのを見て、カリュウは素早くその身を離して、背を向けた。

「conclusion(決着)!!」

 赤目の試合終了の合図で、観客達、主に女の子達の黄色い声があがった。

 横ではレイカがおっかけさながらに叫んではいるが、坂下は、もちろん黄色い声などあげなかった。ただ、じっとカリュウのことを見つめていた。

 いや、言い方がまずい。坂下の目は、確実ににらんでいる目だ。

 坂下には、どうもひっかかるのだ。何が、と聞かれると、坂下本人にも答えられないのだが、何かがひっかかる。喉の奥に骨が刺さったような、いや、もっと何か曖昧なものなのだが、坂下の感覚が訴えてくる。

 強いのは、たった一合で決まった試合を見ても、十分に理解できた。

 その一例、というか、坂下は気づいていたのだが、カリュウが、とどめをどの技を、わざわざどれにするか選んでいたのだ。

 最初は、素早く仕留めるために、拳を握っていた。倒れた相手の後頭部を殴りつければ、効果は考える間でもない。

 オーバーヘッドキックにしても、意表をついたものではあったが、基本はしっかりしていた。組み技をメインに持ってきているとは言え、打撃を苦手としているのではないことはそれで予想できる。

 しかし、迷った末に、とどめの技はスリーパーポールドを選んだ。

 絶好のチャンスを、迷った所為でふいにする可能性もあったはずだ。しかし、カリュウは予想以上に冷静だったのだ。

 すぐに殴ってもよかった。しかし、パンチには弊害がないわけではない。特に、カリュウは黒いグローブをはめているとは言え、あくまでそれはコンクリートやアスファルトで手をついても怪我をしないためのもののようであり、拳の部分には必要最低限の厚みしかない。

 そんな拳で殴れば、殴った方が拳を痛める可能性もあるのだ。

 十分に迷う時間はあると判断して、拳を痛めるかもしれないパンチよりも、こちらに被害がない締め技を選んだのだ。

 その冷静さは、かなり場数を踏んでいると予想させる。しかも、すぐに拳を入れようとしたのを見ても、打撃、組み技どちらかに偏っているというのもなさそうだ。

 タックルのスピード、そこから変化した動きもいい。坂下なら、反応できないことはないだろうが、楽勝というわけにはいかないだろう。

 しかし、カリュウの強さ、それ自体はそれとして、それ以外の話で、どうも坂下はカリュウの何かがひっかかっていた。

 まあ、ただ単に、強い相手を見て、血が騒いでいるだけだと言われても、坂下は反論できなかったし、むしろ納得さえしただろう。

 実際、坂下はうずうずしているのだ。空手にのめりこんで、その他の道にまで手を伸ばそうなどとは思ってはいなくとも、ただ単純に、強い相手には惹かれてしまう。戦いたい、と思ってしまう、そういうところは、やはり病気なのだろう。

「残念、下克上とはなりませんでした!」

 観客が落ち着くのを見て、赤目が話を続け出す。ちなみに、あっさりと倒されたウェイブは、黒ムキナースに担架で運ばれていく。正直なところ、負けたくないのは誰でも一緒だろうが、マスカで負けたくない一番の理由はあれなのでは? と思わずにはいられない、怪しい光景だった。

「では、勝者であるカリュウ選手にインタビューしてみましょう。時間としては短かったですが、今回の相手はどうでしたか?」

 良く通る赤目は、自分はマイクを使わない癖に、カリュウにはどこからか出したマイクを差し出した。

 しかし、カリュウはそのマイクを受け取るでもなく、マスクで隠れてはいたが、おそらく嫌そうな顔をしていた。

「……相変わらず、無口なカリュウ選手でした」

 と、赤目がオチをつけて、観客の笑いを取る。さっきから、一言もカリュウは声を出していない。気合いの声さえだしていないのだ。そんな人間にインタビューすること自体、ネタでしかないのだろうが、観客にはうけているようだ。

「さて、気を取り直して、誰か、挑戦者はいますか?」

 その言葉に、急に場が静まる。

 マスカの選手は、おそらく何人もここにいるのだろうが、チャンスを狙って出る者は、すでにいそうになかった。

 確かに、勝てれば大きいのだろうが、さっきも見たように、負ければ、本当にカリュウの引き立て役になって終わるのだ。

 負けることを考えて格闘技などやっていられないという話はあるが、あそこまであっさりと前の者が倒されると、怖気づきもするだろう。

 倒されて締め技で落とされる、という、後の後遺症がまずない仕留め方は、確かにやさしいといえないでもなかったが、後にはどこかうすら寒いものがある。

 温度なく、空気のように仕留められる。それを覆す術に、たどり着ける気がしない。敵の熱さは、自分にも影響を与えることを知っている坂下には、理解できる話だ。

「さあ、このチャンス、生かしてみないか!?」

 三秒ほど、そこで空白が空いた。もう、おそらくは誰も出ないだろうことを、観客も選手も理解した時間だった。

 もう終わりだろうというムードがただよってきたその場面で。

 彼女は、おもむろに手をあげた。

 

続く

 

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