「君が興味があるというなら、マスカの選手として迎えてもいいんだよ?」
赤目は、にこにことしながら、坂下に気安く語りかけた。
6人用の席に、片方に三人座って、赤目はそれと対峙するように座っている。目の前には、やはりまずいコーヒーが置いてあるが、それには手をつけていない。
赤目は、マスカの簡単な説明と、怪しすぎるプロディーサーという肩書きを言ってから、坂下を勧誘して来たのだ。
「もちろん、戦って強さを証明してくれないことには、こちらとしても迎える訳にはいかないけれどね」
実に友好的な口調ではあるが、坂下の実力を疑っている、そう聞こえてもおかしくない。しかし、坂下は、それを黙って聞いているだけだった。
「まあ、私としては、一般人よりも、そちらの松原葵さんとか、藤田浩之君に興味があるところなんだけれどもね」
「あ?」
「え?」
二人は顔を見合わせた。浩之も葵も、自己紹介した記憶はない。しかし、レイカ達や、健介は浩之のことを知っていた。
それほどエクストリームが有名になったということもあるのだろうが、違法の世界に身を置くものでも、いや、それだからこそ、表の格闘家には詳しいのかも知れない。
「どうだい? エクストリーム予選通過の実力ならば、すぐにでも上位に食い込めると思うけど、やってみる気は?」
「えーと……」
葵はいまいち状況がつかめていないようだった。浩之は、すぐに赤目が、浩之と葵を本当は目的としてここに来たのだということを理解したが、そもそも、葵はマスカで戦おうなどと少しも考えていなかった。理解しろという方が無理だろう。
というより、考えてみると、それも当然の話なのだが、そこに、葵はたどり着けない。それには、ちゃんとした理由があった。
坂下は、葵と同じか、下手をするとそれ以上に強い。それをさしおいて、葵がスカウトされる意味がわからなかったのだ。
しかし、知名度で言えば、空手の試合で全国常連である坂下も、エクストリームには一歩劣るというわけだ。
そう考えると、以外にしっくり行く。しかし、葵にはわからない。坂下の実力を知っている以上、坂下が話題から外れる意味がわからないのだ。
「……で、あのバカげたマスクをつけろって?」
それまで口を閉ざしていた坂下は、やっと、低い声を出す。その声は、明らかに不機嫌を通り越して、怒りを抑えているようにしか聞こえなかった。
それに気付いていない訳ではないのだろうが、赤目は笑いながら答える。
「いや、それは一般人の人から見れば、あまりまともじゃないように見えるかも知れませんがね。すでにマスカを知って、その地位を認めている人間から見れば、案外かっこいいものに見えるものですよ。そもそも、ケンカという非日常ですから、格好がおかしいのは、むしろアピールとしては正しい、と私は思っていますが」
答えになっているのだかなっていないのだか、そんなことを言う赤目を、坂下は、再度睨み付けた。
「で、何がいいたいの?」
「いえ、正直、君にはもう用事はないんですよ。松原葵さんと藤田浩之君で、正直十分だと思いますし、一般人の方を誘っても、あまり意味はないでしょうから」
あ、と浩之はさすがに声をあげそうになった。命知らずにもほどがある。それは、坂下は鍛えてはいるのは見てわかっても、どれだけの強さかなんて、普通見てわかるものではないけれども、それにしたって、危険な発言だった。
この赤目が、どこまで相手の強さが見えていて、そしてどこまで分かって坂下を挑発しているのかまではわからないが、口調からは、所詮一般人と見下している雰囲気が聞いて取れた。
それすら、演技だというのなら、坂下を挑発するという行為は、間違いなく成功している。しかし、綾香ほどではないにしろ、好戦的な坂下を挑発して、タダで済む訳はないのだ。
坂下は、睨んでいた目を、何故かいぶかしげに細めた。
怒っては、いないと思う。坂下の怒りは、直接的だ。笑顔で相手を殺すような綾香とは違う。だから、浩之には、坂下がすでに怒っていないことがわかった。
坂下は、人間ができているのだろうか?
そんな疑問も思い浮かんだが、しかし、それはそれで違う気もした。坂下は、確かに不当なことで怒る人間ではないが、正しいと思えば、どこまでも怒る人間だ。
「なるほど、なるほどね」
坂下は、何かに納得したように、何度か頷いた。
「何か変だと思ってたんだよ。それは、葵や藤田をスカウトするのは間違ってないと思うけどね、だからって、私をないがしろにするのは、ちょっとおかしいと思ってたんだよ」
いぶかしげな顔をしたのは、今度は赤目だった。坂下が何を言いたいのか、わからなかったようだ。
「とりあえず、はっきり言っておくよ。私は、あんなバカなマスク被る気はない」
「そうですか、それは残念ですね。では、今日はお帰り下さい。私は、まだこのお二人に用事がありますから」
赤目は、そう手早く話を打ち切ったが、しかし、坂下は聞こえなかったように、さらに話を続ける。
「だいたい、マスクつけていないやつもいるじゃないか」
「……」
その言葉を聞いて、さっきまで坂下に向いていなかった赤目の目が、坂下を見る。
「それは、スペシャルマッチの話ですね。あれは特別ですよ。顔を出しても許されるのは、彼女がビックネームだからこそです」
「ま、それは私も認めるけどね。綾香は、確かに凄いから」
「……綾香……来栖川綾香さんと、お知り合いで?」
赤目の表情が、にこやかなものではあるものの、どこか真面目さをおびた。肘をテーブルにつき、坂下の方に、改めて視線を固定する。
「やっぱり、私が綾香と知り合いとか、そういうことまで知ってる訳じゃないってわけか。ということは、この二人の分も、ただエクストリーム予選通過って意味で知ってるだけか」
「そちらの松原さんを、綾香さんが押していたのは知っていますよ」
「ということは、何も知らないのと一緒か」
それは一般人が知っているぐらいしか、知らないということだ。
どうりでおかしい話だった。綾香を知って、そこから判断すれば、坂下を一般人などと判断する訳がない。普通は近くにいるからどう、というものでもないだろうが。綾香だけは、違う。
綾香の知り合いだから、という目で、こちらを見る目が変わるのは、坂下としては当然面白くない話なのだが。どうせ見られるのなら、それを最大限に利用するだけだった。
「私の実力を見るのはいい。綾香っていう糸だけで、私の実力を判断されても困るしね。でも、私を呼ぶなら、一つは、あのカリュウとかと戦わせること、もう一つは、私は、絶対にあんなバカっぽいマスクは被らない。その二つが守れるなら……」
結局、坂下は、あのカリュウという男が気になるのだ。もっとも、色気のある話ではまったくないのだけれど。
「戦ってやるよ」
続く