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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(53)

 

 そこは、何の変哲もないビルの屋上だった。

 何故か、そこはライトアップされ、観客こそいないものの、逃げ場のない試合場のように坂下は感じた。

 その中央に、一人の男が立っていた。

 身長は、もしかすると坂下よりも低いかもしれない。おきまりの、マスクをつけているのだが、そのマスクは、黒い無地だ。その代わり、妙に長い鉢巻きを頭にしめている。

 明らかに一般人とは違うオーラを放つその男は、入り口に立つ坂下を、どこか静かな目で見ながら、真正面に見据えていた。

「今回戦って欲しい相手は、彼だ」

 赤目の紹介に、坂下は小さくうなずいた。手を合わせるまでもない。男の強さは、坂下に十分伝わっている。

 ただ、相手の男は、マスクから覗く表情を、多少怪訝な顔にした。

 それは、坂下が女だったから、とかいう坂下を激怒させる理由ではなさそうだった。それで、坂下は、マスクをつけない者こそ、ここでは異質なのだと、改めて理解した。

 坂下に付き添っているのは、一応の自己紹介をされたとは言え、やはり得体の知れない赤目と、一応付き添いで来ている浩之だった。

 葵は、時間も時間なので帰したのだ。葵を一人で帰すのは、何ら心配の必要のあるものではないのだが、あまり遅いと、今度は親に心配をかける可能性があったからだ。

 ちなみに、浩之は、付き添いというより、単なる観戦だった。まだ怪我の完治しない浩之では、坂下がどうこうなる相手をどうにかするなんてことはできない。せいぜい、人数を少し相手するぐらいなものだ。

 葵もそうだが、最近浩之のまわりには、浩之が助ける必要のない猛者達が集まってくるようになっていた。もっとも、掛け値なしのお人好しである浩之の手間が省けていいという話もある。

「勝てば、マスクなしでマスカ参戦を認めるよ。ああ、ただし、この戦いの映像は、配布させてもらうので、あしからず」

 赤目は、制服姿の坂下に、意味ありげな口調で言う。坂下は、それを歯牙にもかけなかった。軽く手で後ろの二人に、離れろというジェスチャーをする。

 浩之は、赤目が満足そうに笑って後ろに下がるのを横目に、自分も距離を取った。坂下があばれるのに巻き込まれたら、本当に怪我をする。

「Here is a ballroom(ここが舞踏場)!!」

 突然、声を張り上げた赤目の高度に驚いたのは、浩之一人だった。坂下は、ゆっくりと左半身の構えを取り、相手の男は、正面を向き、両腕を大きくあげる。

 相手の不可思議な構えに、浩之が、そして坂下が疑問を思う暇もなく。

「Masquerade……Dance(踊れ)!!」

 試合開始の合図が、落ちた。

 坂下は、相手がゆっくりと、両腕を振りかぶるのを見ていた。速攻で攻めてもいいが、相手の出方がわからないというのは、あまりいただけないからだ。

 それにしても、奇妙な構えだった。膝を少し落とさせ、いつでも素早く、しかも前に動くように構えられているのに、その、両腕を大きく振りかぶっている意味がわからない。

 振りかぶってから、振り下ろすという動作は、確かに威力もスピードもあがるが、しかし、距離が長くなってしまう。いかにスピードがあがっても、相手に到達するまでに長い距離を必要とし、さらに言えば、動き出すまでは時間がかかる上、モーションも大きい。

 坂下なら、何の問題もなく回避できる部類の打撃だ。その前に、フェイントや、何かしらのコンビネーションが入ればともかく、単体で恐れるようなものではない。

 スピードをあげた、ジャブで顔面を狙う。坂下の選んだ攻撃方法は、シンプルなものだった。

 正面を向いて、正中線を隠してもいない相手になら、簡単に顔面に入れる自信があった。

 気をつけるのは、あのふりかぶった構えから、肘を狙われないことだ。

 あの構えから打てる、唯一のカウンター。相手の打撃に合わせての、肘だ。迎撃されれば、骨の一本ぐらいは折られるかもしれない。

 まずはフェイントを入れて、狙いを散らしてから、撃つ。

 そうでなくとも、坂下のスピードのある拳を、そう簡単に迎撃したりはできないだろうが、坂下はさらにそこから念を入れる。迎撃されるとは、つゆとも思っていないが、しかし、油断はしない。

 坂下は、自分よりも強い人間がいることを、それだけでなく、弱くとも、一芸に秀で、それだけで勝敗がひっくり返されることも、よく知っていた。

 百戦錬磨の坂下に、油断という言葉はほど遠い。自分よりも強い相手がいると知っていれば、なおのことだ。

 坂下は、身体を左右にゆらしながら、素早くめりはりを効かせて距離をつめる。空手というよりはボクシングに近い動きだが、歩法というものは、格闘技の中でも、かなり重要な位置を占めるものだ。状況に合わせて、使い分けられない坂下ではない。

 遠いところから、大振りの一発を踏み込んで入れる、ように見せかけたフェイントを入れて、相手が反応すれば、もう一つフェイントを入れて、その後場合によって上下に振り分ける。

 坂下の狙う動きは、それだった。

 相手の肘が、動く。それは、相手が腕を振り下ろす初期動作だった。

 まだ遠い。

 完全に坂下にとっても相手にとっても射程外の位置から、相手は腕を振り下ろそうとしていた。真っ直ぐ進んだとしても、坂下がそれを受ける可能性はない。そして、その腕は途中で止まることはない。勢いをつけるために振りかぶっているのに、途中で一度止めるなど、それこそありえない。

 坂下は、しかし、何を理解した訳ではなかったが、とっさに前進を止め、右足を外に流して、相手の振り下ろす腕の直線上から、身体をずらせる。

 ヒュバッ!!

 坂下の横を、何かはわからないが、確かに凄いスピードで通過して行った。

 それに目をくれることなく、坂下は左のジャブを打とうと身体が動くのを、すでに止める間もなく、無理やり身体を斜め後ろに投げ出した。

 ビュッ!!

 坂下がさっきまでいた場所を、やはり何かが風を切って通過して行った。

 坂下は、スカート姿なのも気にせずに、というよりも、すでにそんなことを気にする余裕もなく、コンクリートの地面を転がって距離を取り、体勢を整える。

 渾身の一撃だったのだろう。相手も、追撃はして来なかった。むしろ、避けた坂下に驚きを隠せないようだった。

 相手の手にあるのは、長さ7〜80センチの木の棒だった。しかも、それは両手に一本ずつ握られている。

「マスカでは、120センチまでのものは、使用を認められているのだよ!」

 距離を十分に取っている赤目が、してやったりという顔で、まったく親切でない解説をしてくれる。

 二刀の男は、赤目の策略を知っていたのか知らなかったのか、まったく反応することもなく、すでに淡々と坂下の動きを見張っていた。

 背中に隠していたからと言って、最初からそのつもりだったとは言い切れない。得物を隠すというのは、例え持っていることが知られていても、おかしくない行為なのだ。得物を見られない限り、自分の射程距離を、相手に測らせることができないのだから。

「紹介が遅れたね。マスカレイド、十一位、ムサシ!!」

 高らかな赤目の自己紹介には、坂下に対する挑発が、存分に含まれていた。

 

続く

 

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