「……本当ですか?」
「うん、ちょっと、勢いにのっちゃってね」
あはは、とヨシエさんは言葉を濁すようにしながら、苦笑いをする。
私は、さすがに言葉がなかった。
待ちに待った放課後になって、私が道場に向かっている途中に、ヨシエさんに声をかけられたのだが、そこで聞かされたのは、驚くべき話だった。
「ムサシ、倒したんですか?」
「ん、うん、まあ、けっこう強かったよ」
けっこう強かったよ、か。
声や表情にこそ出さなかったが、私はかなりあきれていた。
マスカレイド、ランキング十一位のムサシと言えば、すぐにでも十位以内を狙える、上位の一人だ。私から見ても、雲の上のような強さがある。
そのムサシと戦ったのも驚きだが、それよりも驚きなのは、そのムサシを、見たところ無傷で勝ったヨシエさんには、改めて驚かされたのもあるのだけど。
それよりも、マスカに参加していない人が、そんなビックネームと戦わせてもらうことが、私には驚きだった。
さらにそれ以上に、五位のカリュウに挑戦しようとしたことに、私はあきれてしまった。
マスカの上位にマスカの選手でなく戦いを挑むのもそうだし、何より、五位のカリュウと言えば、マスカを代表する選手の一人なのだ。
ヨシエさんは、自分で勝てると思ったのだろうか?
カリュウは、顔を隠していても、女に非常に人気がある。私にも、その格好良さはわからないわけではないが、姉さんほどに、その魅力にとりつかれているわけではない。
でも、カリュウが本物なのは、肌で感じていた。
戦って、限界に来て意識を失うとき、誰かが私を支えてくれたのを、私はてっきりヨシエさんだと思っていた。その相手から、強さを感じていたからだ。
しかし、今考えてみると、あれがヨシエさんなはずがない。私があのとき感じたのは、ヨシエさんのしっかりとした強さではなく、もっと得体の知れないものだ。
私が戦わなければならなくなったら、今の私なら、逃げると思う。それほど、怖いと感じた相手だ。
それに、挑戦しようとするヨシエさんには、感心どころか、それを越えてあきれかえってしまう。
姉さんは、しきりに私がカリュウに支えられたことをうれしがって、そんな重要なことを教えてくれなかった。そういうことは、ちゃんと教えて欲しいものである。
「マスクなしでですか? マスカのマスクは、かざりではないんですが」
まったくその機能を満たしていないことも少なくないが、マスクは、個人を特定されるのを防ぐためのものだ。それをつけないというのは、いかにも危ない。あそこは、確かにマスカの圧力はあるが、頭の本当にまわらない刹那的な人間も多い。顔を隠さないのは、危なすぎる。
「ほら、ランには悪いけど……私には、あのマスク格好悪く感じて」
その気持ちは、わからないでもない。私はすでにマスカに接して長いので、一種あこがれができているが、まったくマスカを知らなかったヨシエさんにとってみれば、あのマスクはいかにも滑稽なものに映っただろう。
「それで……どうやってムサシを?」
ヨシエさんは、事細かにムサシとの戦いを説明してくれる。ムサシの技から、自分の取った動きまで、それは分かり易く教えてくれたのだが。
「受け、ですか?」
「真っ直ぐ来るのが分かってたからね。その後の変化も読めてたし」
ムサシの変則の突きを、腕で受け流すなど、正気の沙汰とは思えない。
そして、その話を総合的に見て、私がもっとも驚く場所は、ヨシエさんには、相手の動きが、ここまで細部に話せるほど見えているということだ。
ダメージは受けて、何が来たかわからないけれども、とりあえず反撃する。そういうことは、別段珍しくない。
しかし、ヨシエさんには、ムサシほどの相手の攻撃も、全て見えているというのだ。まあ、だからこそ、無傷でいるのだろうが、それにしても、凄い、の一言である。
「ま、最後の突きからの横薙ぎへの変化は面白かったね。剣道部の動きを見たことがなかったら、危なかったかもしれないね」
危なかったかもしれないと言っても、それも、片手で動きを止めてしまうのだ。私には想像もつかない世界で、ヨシエさんは戦っているのだろう。
ムサシの動きを止めるほどなめらかに動けるということは、ヨシエさんは、剣道部の動きを見ながら、素手でそれに勝つ対策を立てていたことになる。
私も、そういう部分がないでもないけれど、ヨシエさんのそれは、すでに病気の域に達しているのかもしれない。
さらに、そこから実践するとなると、また天と地ほど話は変わってくるのだが。
「だから、これからもちょくちょく、マスカレイドで私が戦うかもね。私のままで」
ヨシエさんの位置は、マスカの選手、というよりは、他の団体の招待選手、という感じだろうか? あの来栖川綾香と同じだ。本当のところはどうなのかわからないが、もしかすると、ヨシエさんは、来栖川綾香のことを考えて、自分をその位置に持って来たのかもしれない。
どちらにしろ、私には見えない世界。同じマスカでも、戦うことはない、私がそこまでたどり着けないからだ。
「私の話は、もういいね。それで、ランの試合のことだけど」
来た、と思って、私は背筋を伸ばした。
私の、マスカのデビュー戦。辛くも勝利することは出来たけれど、ヨシエさんから、その感想はまだ聞けていない。心の中では師匠と仰いでいる人に言ってもらう助言は、私が何より欲しているものだ。
「私から見れば、あんなの、点数で言えば十点だけど……」
私は、声も出せず、下を向いた。さすがと言うべきなのか、ヨシエさんの言葉は厳しい。やさしさとかを欲している訳ではないけれど、厳しい。
確かに、見れた試合ではなかった。相手にクリーンヒットを許してしまったし、一試合目から、自分の全てを出し切って、勝ったと言っても、すぐに倒れてしまったのだから、誉めるべきところが私にも見つからない。
でも、それはわかっている話だった。だから、次の言葉に私は驚いた。
「でも、今のランなら、あれは百二十点だよ」
「……え?」
驚く私の肩を、ヨシエさんはぽんと叩いた。
「ランの戦った、ブラインドだっけ? あいつは、あんたよりも強かった。下地にあるものは、あっちが上さ。ラン、あんたは、それでも、あいつに勝ったんだ」
私は、そう言われて、強く頷けた。そう、相手は強かった。多分、私よりも強かった。
「あんたは、自分よりも強い相手に、自分の全てで勝ったんだ。だったら、百点以上だよ。強さは、今からずっと時間をかけて、強くなればいいんだ。「勝てる」強さをあんたが出せた、それが、大事なんだ」
「はい」
その後、しかし、やはりヨシエさんはヨシエさんということか、厳しい顔に変わる。
「でも、ちゃんと見たら、十点だよ。色々まずい部分もあったからね。それは、今からしごいてやるからね」
「はい!」
ヨシエさんは、首を横に振った。
「そこは、押忍、だよ」
「お……押忍!」
私の力強い声に、ヨシエさんは満足そうに頷いた。
続く