作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(59)

 

 浩之の姿を見て、綾香は嬉しそうに笑って、手をあげた。

「ひさしぶり、浩之。怪我治った?」

 街中の視線が、綾香と浩之に集中する。その風景は別段珍しいものではないのだが、綾香の美貌でそれを行えば、それだけで注目されてしまうものだ。

「久しぶりって、たった三日会ってねえだけだろ」

 しかし、何て無防備な声出してるんだか。

 綾香に、手をあげて返事を返しながら、浩之はそんなことを考えていた。たった三日会わなかっただけなのに、綾香は、会いたくて仕方なかったといわんばかりに嬉しそうなのだ。そんな声を聞いて、心動かされない男などいまい。

 だが、浩之は、状況がわかっている。その三日の間に、自分という大して重くもないはずの重しがなかっただけで、あそこまで暴れまくった綾香を、いじらしいなどとは思わなかった。

 ケンカを売って来たのが、もし相手の方だとしても、それをうまく買えるようにしたのは、間違いなく綾香が意識的にやったことなのだから。

「たったじゃないわよ、三日も会ってなかったのよ? 私がどれだけ会いたかったのか、浩之わかってないでしょ?」

 綾香は、逃がさないと言わんばかりに、ぐいと浩之の腕にだきつく。胸が腕に押しつけられるが、浩之は、内心はともかく、慌てたりはしなかった。

 冗談めかせて、または本気のように、綾香はそう言う。恋人が、ちちくりあっているようにしか見えない光景。

 なるほど、その言葉に、嘘はないのだろうが、浩之は背筋に走る寒気を感じていた。

 機嫌が、良すぎる。それは、悪い傾向だ。もともと、感情を表に出す上に、猫のように感情がころころと変わる綾香だから、浩之に急に甘えてくるぐらいのことは、おかしなことではないのだが、あまりに機嫌が良すぎる。

 所詮、と言っていいものかどうか、とにかく、綾香は好奇心で動いている。さらに、それと同等の、闘争心で動いている。

 綾香の機嫌が良すぎるというのは、そのどちらかが、酷く刺激されている状況なのだ。それがどちらであろうとも、平和的なはずがない。

「ったく、俺が目を離したら、すぐこれだ」

「……あ、マスカレイドの話、もしかしてすでに知ってたりする?」

 綾香は、しかられた子供のように、しかしそれが演技とわかるように、小さく肩をすくめて、舌を出した。

 浩之の態度ですぐにそれを察する辺りは綾香らしいと言えば綾香らしい察しの良さだ。

「バリスタとかの試合は見れなかったけどな。結果は聞いたぜ」

 試合の勝敗だけではない。赤目から、軽くではあるが、試合の経緯も聞いたのだ。

 浩之が生で見れたムサシ、十一位で、あれだ。八位、しかも、前三位となれば、その強さは推して知るべし、だ。

 だからこそ、その惨事が浩之には予測がつく。弱い相手に手加減するほど殊勝な綾香ではないが、もし、相手が強いというのなら、そちらの方が悲惨なことになるのは予測できる。

 事実、悲惨なことになったそうであるし。

「何、もしかして、浩之も誘われたの?」

「いいや、俺は、まあ、何か色々縁があっただけだ。その代わり、坂下が誘われた、というか、無理矢理入り込んだというか……」

 そこで出てきた名前に、綾香はちょっと驚いた。

「へえ、好恵がねえ、ちょっと意外ね。異種格闘技なんか、手を出さないと思ったんだけど」

 坂下の強さは、それはまだ綾香に一度たりとも勝てたことはないし、綾香だってこれから先、一度だって負けるつもりはないが、しかし、確かに坂下は強かった。

 葵の練習に付き合っている所為か、最近は、さらに強くなって来ている感もある。綾香にはまだまだとは言え、マスカレイドで戦えるほどの戦力はあるだろう。

 しかし、戦えると、戦いたいというのには差がある。

 ましてや、最近は葵に負けた所為で意固地にはならなくなって来たが、綾香の所為で、坂下は異種格闘技を嫌っていたはずだった。

 実際のところ、試合に本気で出るのでは、と思えるほどの研究をしてはいたようだが、それを使う舞台に立つとは思わなかったのだ。

 綾香も知らないことなのだが、坂下は確かに、異種格闘技には、まだ多少なりともわだかまりがある。しかし、それほどに、ケンカというものにはわだかまりがないのだ。

 異種格闘技というより、ケンカに近いマスカレイドは、坂下にとっては、抵抗が少なかったのだ。もちろん、坂下がマスカレイドに参戦したのは、それ以外の理由もあるのだが。

「で、何? 好恵、もしかしてマスクかぶってたりするの?」

 それは、ぜひとも綾香としては見てみたかった。生真面目な坂下が、あんなバカげたマスクを被るなど、末代まで語り継ぎたいものだ。

 浩之も、それを想像して、苦笑してしまったが、首を横に振った。

「いいや、坂下は、素顔のままみたいだぜ。十一位のムサシって二刀使いを、あっさり倒しやがったよ」

 浩之なら、全快の状態でも確実に苦戦した相手を、完封してみせた坂下。やはり、浩之と坂下の間には、まだまだ広い差があるようだった。これが綾香ともなると、その差は考えるのも嫌になってくる。

「そっか。まあ、順当と言えば順当だけど……好恵も、後先考えた方がいいと思うけどな」

 どの口で後先などというのか、と浩之は、綾香の横で考えて、とっさに身構えた。自分の考えを綾香が読んで、つっこみを入れてくるかと思ったからだ。

 しかし、綾香は拳も振るわなかったし、肘を使ってこなかったが、浩之は、ふと、そこで疑問に思った。

 さっきから、腕に抱きつかれ、浩之はそれに逆らわずに歩いていたのだが、何故か綾香は大通りから外れて、いつの間にか人気のない通りに入っていた。

 恋人の二人が人気のないところに行って行う行為など、そう多くはないのだろうが。

「……綾香?」

 そこについては、浩之は最初からあきらめている。綾香のことを、よく理解しているとも言う。

「ん? あ、ごめん、浩之。色気のある展開、期待した?」

 浩之は、大きくため息をついてから、首を横に振った。

 二人が振り返ると、そこには、一人の大柄な男が立っていた。浩之の予測通りというか、案の定、顔をマスクで隠している。

 大柄、とだけ言うには、あまりにも大きな男だ。おそらく、百九十はあるだろう。その身体で、さらに身体を鍛えているのだ。綾香など、その質量差で吹き飛ばされそうにさえ見える。

 男は、自分の存在に気付かれていたのはわかっていたのだろう。驚くことなく、口を開いた。

「マスカレイド、第……」

 シュピッ!

 男と綾香の間は、優は五メートルはあったろう。

 だが、男は最後まで口上を言い終えることができなかった。

 綾香の身体が、いつの間にか男の懐に入っていた。繰り出された一閃も、浩之にはほとんど捉えることもできなかった。

 ぐらり、と男の身体は、一度揺れて、そのまま、巨体をドウッ、とその場に倒した。

 倒れた男は、ピクリとも動かない。完全に意識を失っているようだった。外傷はないが、綾香にあごを打ち抜かれたのだ。

「こういうバカもけっこう沸くもんだから、好恵もよく考えた方がいいと思うのよね。いっつも相手にするのも面倒じゃない」

「だったら本人に言ってやれ」

 相変わらずの非常識ぶりに、浩之は大きくため息をついて、さて、ここに転がっている男をどうしようか、と浩之は考えていた。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む