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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(60)

 

「しっかし……ところかまわずケンカ売って来てるのか?」

 綾香に一刀の下倒された男を半眼で睨みながら、浩之は、多少なりとも不安を感じていた。

 綾香の強さは、浩之にとっても絶対ではあるが、相手はまともに戦ってくれるとは限らないのだ。浩之の見たところ、マスカレイドも、ケンカ屋の集まりだ。名前が欲しいからと言って、人数を集めたり、武器を持って来ることもあるだろう。

 一対一どころか、素手なら十対一であろうとも綾香が遅れを取るとは思わないが、もっと人数が増えたり、それどころか、飛び道具を出して来る人間もいるかもしれない。

 強さは疑っていないとは言え、人間を超えるものを信じている訳ではないのだ。

 そんな浩之の不安に気付いたのだろう、綾香は多少苦笑した。どこか、嬉しそうにさえ見える。

「もう、大丈夫よ。これでも、拳銃の一つや二つじゃ遅れを取らないから」

「……」

 そうなのだろうか? さすがの浩之もそれを素で信じることはできないが、綾香が言うのなら、そうなのでは、と思ってしまう。

「それに、私だって、そんな相手と戦いたくなんてないもの。ちゃんと、セバスチャンを呼ぶわよ。私が呼べば、一分以内で来るわ」

「まあ、あのジジイなら、素直に拳銃とも渡り合えそうだけどな……」

 綾香との種類の違いとでも言おうか。そういうアンダーグランドなものに、セバスチャンは通じていそうな雰囲気がある。

 そもそも、大金持ちの子供なのだ。今まで危険な目に会って来なかった訳ではないだろう。その経験から言って、綾香が危険視する状況ではない、と判断しているのか。

「でも、実際ちょっとうざいのよね」

 浩之には見えないように、綾香は倒れた男のお腹に、一発つま先をたたき込む。ドウッ、と決して軽くない音がしたが、男は立ち上がらない。

「おいおい、やめてやれよ」

 さすがの浩之も、見えていないとは言え、何が起こったのか判断して、綾香を止める。

「大丈夫よ、別に致命傷は与えてないから」

 致命傷じゃなければいいってもんじゃねえだろう。浩之はその言葉を飲み込んだ。それは何も、綾香が怖かったからだけではない。

「私は、別にマスカの選手って訳じゃないから、個人でケンカを売るのはいい、とどうもあっちが言いふらしてるみたいね。ま、それはいいんだけど、私としても分かって欲しい訳よ。私と勝負になるかどうかぐらい」

 綾香は、倒れた男を放っておいて、浩之の手を引いて歩き出した。二人のデートとしゃれこもうとしているようにしか見えない、軽い足取りだ。

 しかし、それが単にでかいものがそこにころがっているのが邪魔と思っただけなのを、浩之は理解していた。

 そこから、一分も移動しなかった、やはり人気のない高架下で、綾香は浩之の手を放した。

「……ほんと、これから浩之といちゃいちゃするんだから、邪魔しないで欲しいわ」

 とか言いながら、嬉しそうな綾香に、浩之は大きくため息をついて、距離を空けた。他に潜んでいる人間がいないかどうかの確認もしておく。

 刃物や拳銃ならともかく、一対一の素手であれば、浩之は綾香に絶対の信頼を置いているのだ。

 それより何より、戦いの邪魔をしたら、浩之がなぐられかねない。せっかく浩之の怪我を心配して、綾香の拳の回数が減っているというのに、とばっちりでやられるのは、浩之としても勘弁して欲しい話だ。

 暗い街灯の下に現れたのは、一人の女性だった。綾香よりは上だろうが、二十歳に行っているか行っていないかという程度だろうか。そう判断はしたものの、それもあまり確かなものではなかった。

 何故なら、案の定、その女性はマスクを被っていたからだ。オレンジ色の下地のマスクに、白い蝶の絵が描かれている。

 女性は、着ていたジャージを脱ぎ捨てる。スポーツジムにいそうな、動き易い身体にフィットした服を着ている。引き締まっている所為か、かなりプロポーションは良い。

 ジャージを脱ぐ間も、綾香は手を出さない。料理が出来るのを待っているようにさえ見える。ようするに、舌なめずりをしているように見えるのだ。

「ちょっとは、楽しめそう……かな?」

 綾香は、その動きから、女性の実力をちゃんと把握しているようだった。有無を言わさず攻撃するようなこともしない。名前も順位も言わせてもらえなかったさっきの男と比べると、えらい差のある対応だった。

「えらい対応の差だな」

 ちょっと一撃で倒された男を不憫に思った浩之は、そう綾香に聞いてみた。

「んー、まあね。マスカレイドの女性選手に、興味があったのも否定しないけど。じゃ、あなたのお名前、聞きましょうか?」

 さわやかに綾香は尋ねたが、挑発しているのは明らかだった。綾香には、こうやって音便に終わらせない悪い癖があるのだが、それについては浩之としても、相手が我慢してくれる以上の対処方法がないのが痛いところだ。

 しかし、その女性も負けてはいなかった。にこりと笑うと、軽やかな声で、応じる。

「初めまして。マスカレイド十位、バタフライと言います。本日は、急に来てしまって、申し訳ありません」

 理知的な、酷く常識のある声だった。綾香の、好戦的な計算尽くの声とは、また違った意味で、その場にまったくマッチしていない。

「来栖川、綾香よ。そちらの方が年上っぽいから、本当は敬語を使わないといけないのは、こちらの方かしら?」

「まあ、歳の話はしないで下さい」

 ふふふ、と小さく笑う姿は、日常とかけ離れたマスクと一緒になると、何故かとても浩之を不安にさせる光景だった。

「ああ、ごめんなさい。でも、カレシといい雰囲気なんだから、邪魔するのはどうかと思うわよ。馬に蹴られて死ねとも言うわね」

「この殺伐とした雰囲気の、どこがいいんだよ」

 浩之は、思わず綾香の言葉につっこんだ。綾香といい雰囲気になるのはやぶさかではないが、こんなバイオレンスの風吹くような雰囲気はごめん被りたい。

 これをいちゃいちゃしているとは、とても言わないだろうと思うのだが。

「いいわね、若いっていうのは。私も、早くいい人見つけたいわ」

 バタフライと名乗った女性が、本当にうらやましそうにしているのは、何故なのだろうか?

「いいでしょ、うちの浩之。最高よ」

 二人の楽しそうな笑い声が、高架下の暗闇の中に響いた。そして、どちらともなく、笑い声は止まった。

 見ている俺が怖いんだが。

 笑顔を消していないとは言え、ホラーにも通じる怖さが二人にはある。

 そんなことを言えば、ここの二人から集中攻撃を受けるような気がしたので、浩之は、後ろに下がることにした。命あっての物種である。

「うらやましいわ。もてない女としては、嫉妬するわね」

 バタフライが足を動かすと、ギャリッ、と音が響く。その動きは、かなり堂に入ったものだった。何より、大して重そうにも見えないのに、その質力を感じさせる動きは、か弱い女性に出せるものではない。

「今なら、そのうっぷん、受けてあげてもいいけど」

「あら、やさしいのね。じゃ、遠慮無く」

 しゅぱんっ、とバタフライが構えを取る動きで、風が切れる音が響く。優雅ではあるが、それは鋭い刃の音だった。

 綾香の笑みが、それを見て鋭くなる。ますます、楽しめそうな相手だと感じたのだろう。

「あなたみたいな強い相手なら、私もやぶさかじゃないのよね」

 ととんっ、と綾香は、軽いステップで構えを取る。

 ふわり、とバタフライは、その動きとも構えともまったく正反対の、軽い笑顔を作っり、柔らかく言い放った。

「バタフライ、お言葉に甘えて、踊らさせてもらいます」

 

続く

 

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