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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(63)

 

「これ以上続けても、大成はしないわよ」

 先生に言われたこの言葉が、バタフライにとっての、夢の終わりであり、新しい世界の始まりでもあった。

「子供が成長するのを、悪いとは言いたくないけれど……」

 いい先生だったのだ。あのときこそ、少しは怨んだが、今は正しいことを言ってくれた、と感謝している。

 バタフライは、バレリーナだった。正確に言えば、バレリーナを目指していた。

 才能は、あったのだと思う。他のどの子より高く飛べ、他のどの子より軽やかに、他のどの子よりもねばり強い足腰を持っていた。

 自分が、将来バレエで生きていくことを、彼女は疑っていなかった。

 しかし、それも小学校低学年までの話だった。

 成長期が始まると、背が伸び、そして骨が太くなってきたのだ。

 親も骨太であり、その可能性は十分にあったのだが、もちろん小さいころは、そんな心配などしていなかった。

 成長と共に、増える体重と、大きくなる容積。

 肥満ほどではなくとも、バレエにとってみれば、不利となる条件だ。

 それでも、しがみつくようにバレエを続けていたが、無理な食事制限と、過酷な練習で、身体はぼろぼろだった。

 みかねたバタフライの先生は、心を鬼にして、バタフライにはっきりと言い切った。

 自分の所為ではない、単なる遺伝によって、自分の夢が破れたことに、当時、彼女はどうしようもない憤りを感じたものだ。

 しばらく荒れた生活を続けたが、彼女は、その間に、ケンカというものの存在を知った。

 普通は、筋肉よりも脂肪がつき易く、骨ももろい女性は、格闘技に向いていない。しかし、バタフライはその両方を持っていた。

 さらに彼女の強さを決定づけたのは、幼いころからのバレエの厳しい練習だった。

 他の子が遊んでいる中、彼女はひたすらバレエを練習していた。ひたすらに、身体を鍛えていたのだ。

 かつ、バレエの動きは、動くのにほとんどためを必要としない、というよりも、ためが見えないような工夫をこらしているのだ。

 身体は、女性としての欠点がなく、ためを相手に見せない特殊な動きは、それを格闘技に応用したときに、驚くべき結果をはじき出した。

 綾香が、正統の強さと言ったのは、当然のこと。彼女は、直接身体を鍛えることで、強さを手に入れていたのだ。

 高くまで飛べる瞬発力と、驚異のバランス感覚を、ケンカに応用しているなどと聞けば、親は驚きのあまり、気絶するかもしれない。

 しかし、バタフライにしてみれば、消えた夢の代わりに手に入れた、新しい世界だった。

 路上のケンカ、レディースの助っ人、怪しい場所でのキャットファイト、戦える場所では、およそ戦った。彼女が、最終的にマスカにたどり着いたのは、必然であろう。

 しかし、綾香と戦うのは、彼女にとって、意味のあるものなのか、ないものなのか。微妙なところだった。

 戦いたい、とは思う。綾香は、絶対的な強さを持つ。そして、自分の強さを証明するためには、その絶対的なものを倒すのが、一番手っ取り早いのだ。

 しかし、それは副次的なものだろう、とバタフライは自分でも感じている。

 もう、バタフライも若くない。いや、年齢どうこう言えば、まだ大したことはないのだが、これから、改めて表の世界に出るには、多少歳を取りすぎた感がある。

 表の世界で、自分が通用するか、という単純な不安もあるが、何を今更、と感じることの方が大きい。

 しかし、表の世界にあこがれない訳ではないのだ。

 綾香に勝てば、何の気兼ねもなく、表に出るつもりだった。女性格闘家では、一番有名なエクストリームチャンプに勝てるのなら、どこでも勝てるだろう。

 もっと言えば、バタフライは嫉妬していた。表の世界で、スポットライトにずっと当たって勝って来た、そして勝つからこそずっとスポットライトを浴び続けられる、若い綾香に。

 その嫉妬が、こんなバカげた戦いへと駆り立てたのだと、自分でもわかっているのだ。そして、その戦いを止める理由など、バタフライにはなかった。

 幸い、観客は来栖川綾香が彼氏と言っている男一人のみ。

 自分の全てを出したところで、それで自分が後で不利になることはない。ここで綾香を倒して、その勢いでマスカを勝ち、マスカで勝てばかなりの賞金が出るのだ、そのまま表に転向すればいい。

 問題があるとすれば、目の前の表のスターは、そう簡単に倒せる相手ではない、ということぐらいか。

 ワンツー一つ取っても、鋭すぎる。そしてそれを避けたとしても、うかつに中に入ると、ラビットパンチが後頭部に飛んでくる。

 今までの綾香の公式戦を研究していなければ、多分懐に入って、そしてやられていただろう。

 だからと言って、後ろに下がると、コンビネーションにつないでくる。外連見のない、そして隙のない動きだ。

 しかし、無敵に思える来栖川綾香とて、不利な点がない訳ではない。

 表にずっといるということは、それだけ、相手に自分の技を知られるということだ。来るとわかっていることと、何が来るかわからないということの差は大きい。

 バタフライは、今のところ、まだ特殊な技は見せていない。普通なら、最初の前蹴りで終わっていただろうが、それが決まらなかった時点で、簡単に倒せる相手ではないと判断し、自分が使う特殊な技を、うかつには見せないつもりだ。

 決め技を使うときは、確実に相手を倒せるときでなくてはならない。

 それほどに、来栖川綾香は、強い。

 身体が、前に出るのを拒否するほどだ。自分が感じているよりも、身体の方が正直に彼女の怖さを捉えている証拠だ。

 しかし、出なければ、勝てない。対処でどうこうできるようなレベルではないのだ。

 勝つには、相手に対処させ、そして、その対処の上を行く、または、下を突く。

 バタフライは、前に出た。と同時に、前に飛ぶ。

 人間ではなく、妖精のごとく、空を飛ぶ。

 バレエの先生が、彼女に何度も言って聞かせた、ジャンプのイメージ、それを、今のバタフライは、忠実に再現していた。

 人間ではなく、蝶のように、宙を舞う。

 長い、長すぎる一歩。バタフライにとってみれば、それは単なる一歩だが、宙を飛べない人間にしてみれば、長すぎる一歩だった。

 まともに考えれば、この相手には、怖くて使えない手だ。どんなに速くとも、どんなに高くとも、宙に身体がある間は、方向転換などできない。身動きのできない一瞬というのは、このレベルの相手には怖すぎる。

 しかし、たった一度だけなら、バタフライの多くを知らない相手になら、ただ一度だけ、それで距離を縮められる。いかな来栖川綾香であろうとも、これに一回目から対処はできない。

 それは、賭けに近いというか、完璧な賭けであった。しかし、その賭けに、バタフライは、勝った。

 宙を一歩で移動し、そして、バタフライの足先が、地面を捉えた。

 足先さえつけば、それでバタフライはもう、地上の生き物だった。得意のためを必要としない動きで、バタフライは、動いた。

 

続く

 

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