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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(66)

 

 ゴロゴロと喉を鳴らすような綾香の態度に、浩之はため息が出る思いだった。

 やっぱ綾香って、動物で表現すると猫科だよな。

 どこか気まぐれで、機嫌が良いときは必要以上にかまって欲しいくせに、気が向かないときは、さわられるのさえ嫌がる。

 猫、と表現できないところが、綾香の凶暴たる所以なのだが、そんなことを頭の端にでも思おうものなら、魔法なみの察しの良さで、拳でつっこんでくることは請け合いだった。

 浩之と綾香がいるのは、さきほど、バタフライと戦った場所からすぐの、運動公園だ。まあ、運動公園とはなばかりの、何もないグラウンドがあるだけだが、ベンチぐらいは置いてあり、そこに綾香と浩之は座っていた。

 正確には、綾香は浩之の膝を借りて、寝ころんでいた。通称膝枕だ。

 やる方とやられる方の位置が、今日は反対だった。まあ、それも仕方のない話だ。綾香は、バタフライから、一撃直撃を喰らってしまったのだ。ダメージは、どうしても残っている。

 というか、本当にダメージはあったのか? いや、あったとしても、残ってるのか?

 浩之がそう感じるのも致し方のない話。浩之に膝枕をされている綾香は、妙にうきうきしながら、寝ているのだ。安静という言葉とは、かなりかけ離れている。

 たまにうれしそうにほほをすりつける姿は、猫科そのものだ。多分、虎とか豹とかの霊が乗り移っているのだろう。

「うーん、ちょっといいかも。膝枕って、やってもらうのもいいわね」

 浩之としては、断固としてやらせてもらう方がいい。確かに、綾香が自分に頭を無防備にあずけているのにはぐっと来るものはあるが。

 どこからどう見ても、いちゃいちゃしているカップルにしか見えないのだが、今回は、本当の理由は多分間違っていない。些細な理由としては、横のベンチに寝かされたまま起きる気配のないバタフライがいるからだ。

 バタフライは、そのマスクを綾香によってはがされていた。まったくもって無慈悲な行為である。もっとも、夜更けにケンカを挑んでくる相手に、情けも何もあったものではない、と言われればそれまでだが。

 綾香は、そのマスクを戦利品としてさっさと帰ろうとしたのだが、浩之はそれを止めた。というより、浩之は一人で残ろうとした。

 出てきた顔が、予測以上に綺麗だったので、ここに一人で置いておくのは危険だ、と浩之は判断したのだ。こんなところに、人が来るとも思えないが、何かあったら、寝覚めが悪い。

 さっき綾香が一撃で倒した男相手にはそんなことは言わなかったのだから、浩之も大概であるが、しかし、言っている事には筋は通っている。

 結局、綾香も残ることになった。信じていない訳ではないが、浩之一人残すのも、あまりに危険だと思ったからだ。浩之は襲わないかも知れないが、起きた相手に浩之が、色んな意味で襲われる可能性は否定できない。

 そうなれば、浩之とて男。信じろという方が無理だ。

 まあ、暇な時間で浩之といちゃいちゃするのは、綾香としても望むところだった。最近、格闘技にかまけて、一緒にいる時間が少なくなっているような気もするので、ここで取り返しておくのも悪くない話だ。

 近くのベンチに移動させて、待つこと十分ぐらいだろうか。バタフライは、ううっ、とうめきながら、身体を起こした。

「お早いお目覚めね。後三時間は寝ておいてもいいわよ」

 起きたバタフライに痛烈な言葉を投げかけたが、悪気があってのことではない。浩之との蜜月の時間が、予想以上に短かったのがお気に召さないのだ。

「大丈夫か、あんた」

 浩之も、もちろん綾香と気持ちは同じであったが、バタフライの身を心配する気持ちも大きかったので、やさしげに声をかけた。バタフライの素顔が綺麗であったのが関係していない、とは言い切れないだろうが。

 数秒ほど、自分がいる状況を把握してから、バタフライは大きくため息をついた。

「せっかく、起きたら目の前に、かわいい坊やがいるのに、こぶつきだなんて……」

 びきっ、と綾香の表情がひきつる。

「まだこりてないようね。いいわよ、もう一発、今度は殺すつもりで……」

「わーわーわーっ!!」

 浩之は、慌てて綾香を止めた。片手で止められるものではないが、そういう問題ではない。放っておけば、本気で殴りかねない。それが綾香だ。

「冗談ですよ、冗談。まあ、かわいいのは嘘ではないけれどね」

 そう言って、バタフライは浩之に向かってウインクする。実際のところ、バタフライの素顔は、口調や態度よりも、よほど若く、実際二十を超えていないだろう。浩之が坊やと言われるような年齢でもないように見える。

 絶対、綾香をからかっているだけだろう。そもそも、今の状態で綾香をからかう度胸の方が、特記すべき性質のような気が浩之にはした。

 そこまで言って、バタフライは、自分のマスクが外されていることに気付いた。

「あら、酷い。女性が寝ている隙に、あわれもない姿を見てしまうなんて」

 と言っているわりには、まったく動じた風もなかった。

「何、文句でもある? というか文句言ってるみたいね」

「ないですよ。それぐらいの覚悟は、していますから。でも、私はいいですが、他の弱い人のマスクを取るのは止めて下さいね。本当に、自分の身を守るためにマスクをつけている人だっているんですから」

 今度の口調は、完全に責める口調だった。確かに、バタフライならば、よほどのことがない限り遅れを取ったりはしないだろうが、もっと下のレベルになれば、数人に襲われたら、勝ち目などないだろう。

「それにしても……負けてしまいましたか」

 あっけないですね、とバタフライは、どこか達観した口調で言った。

「私に一撃は入れられたんだから、自慢してもいいと思うわよ」

 綾香は、本気でそう思っていた。綾香にクリーンヒットを入れられる人間は、かなり少ないのだ。マスカでは、すでに二人目だが、公式試合では、今のところ、クリーンヒットという意味では一回もないのだから。

 だからこそ、打たれ弱い、と思っている人間もいるようだが、綾香の恐ろしさは、むしろ打たれた後だ。

「そうですか。では、それを今後の糧にします」

 今度は、何の皮肉もなく、バタフライは笑顔で答えた。ちょっと浩之も見惚れるような、綺麗な笑顔だった。

 浩之を半眼で睨んで牽制しつつ、そのどこかすっきりしたような笑顔を見て、綾香はふと思うところがあった。

「マスカレイド、やめるつもり?」

「ええ」

 バタフライの言葉は、しごく短いものであり、そして、何のためらいもなかった。

「別に、格闘技を止める訳ではないですよ。これから、何でもいいから、がんばって表の世界で戦ってみようと思います。ちょっと年齢的には遅いですけど、やれないことはないと思いますしね。負けて、踏ん切りがつきました」

「私とは当たらないように気をつけなさいよ」

 綾香は、至極自然に言っていた。表の世界で戦えば、いつか自分にたどり着くことを想定した、傲慢な言葉だった。しかし、それこそが、来栖川綾香の、真実なのだ。

「気をつけますよ。でも戦うことになったら、手加減して下さいね」

 綾香が答えるよりも先に、バタフライは浩之の方を向いて、手を握る。

「それと、またお会いしましょう。あ、これ私の携帯番号です」

 ゴカッ!

 ちょっと鼻の下が伸びていた浩之を久しぶりの一撃で黙らせてから、からかわれているのも、十分わかっていても、抑えきれない怒気をはらんだ声で、綾香はおごそかに言い切った。

「お断りよ、今度あったら、殺してやるから」

 

続く

 

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