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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(67)

 

「ちょっと、ラン。こっち来て」

「お、押忍」

 ヨシエさんに呼ばれて、私は荒れた息を整えながら、言われた通り、ヨシエさんの向かう方について行く。

 同じく息のあがった田辺さんが、「気をつけてね」と、冗談なのだか本気なのだかわからない言葉で私を送り出してくれる。それが完全に状態と言い切れないところが、この部が怖ろしいというか、ヨシエさんが怖ろしい部分だと思うのだが。

 その割りには、この部活はほのぼのとしている。

 強くなるためには、必死にならなけれはならない。私はそう思っていた。だから、鍛えることは、自分を虐めることだと思っていた。

 別段、苦しいのは好きではないけれど、我慢はできる。それで強くなれるというのなら、全然かまわないと私は思う。

 確かに、この部活は苦しいことの方が多い。学校に行かずに家やたまり場で鍛えていたころと比べても、その質は明らかに違うと思う。

 でも、不思議と辛くないのだ。さっきまで、田辺さんと組み手、と言っても寸止めだけれど、をやっていたのだって、優位に進めている私の方も息があがって、腕が上がらないぐらいまで疲れているのだ。

 スタミナは田辺さんの方があるようなので、この結果は不思議ではないけれど、吐き気を感じるほどに息があがっている。ただの放課後の部活で、だ。

 自分一人でやっているのなら、もっと手前で休憩したと思う。それどころか、休憩してさえ、それ以上は続けることもないだろう。

 今は、まだ私は動こうとしている。練習を望んでいるつもりはないのだが、ヨシエさんが私を呼ぶのに、ドキドキと胸を高鳴らせている。

 誤解のないように言っておくと、私はヨシエさんの強さにはあこがれているが、どこかの誰かみたいに、女の子がいいと言う訳ではない。

 これは、ヨシエさんが、私に何を教えてくれるのか、期待しているからだ。

 私も努力するつもりだが、ヨシエさんは、その方法を教えてくれる。今はまだ、その結果が見えていないけれど、少なくとも、ヨシエさんの強さの一片でも手に入るのなら、私は十分強くなれるはずなのだ。

 ヨシエさんは、私をつれて、道場の外に出る。

 道場の外には、洗濯機と物干しがあり、洗った道着がそこに干してある。新人の私は、当番になるので、ここで洗濯をしている。練習をすれば、嫌というほど汗をかくのだ。下着類こそ持って帰るが、道着はここで洗って部室に置いておく。

 そこから、さらに道場の横手に回ったところで、ヨシエさんは、それを指さして、にかりと笑った。

「ほら、これ」

 地面に、一枚の板が刺してある。いや、板というよりは、柱に近い。高さも、私の身長を超えるほどもある。その頑丈そうな柱全体に、縄がまかれている。

「……これは?」

 それを一見したところ、一体何に使うものなのか、さっぱり理解できなかった。

 ヨシエさんは、ふふん、と鼻をならした。

「凄いだろ、巻き藁だよ。これを置いてる高校なんて、そうそうないよ」

 そう得意げに言われても、と私は思った。だいたい、こんなものを置く高校なんて、あるはずがない。こんなものを置くのを許可する学校の先生は、私から見てもかなりいかれていると思うのだが。

 巻き藁というものを、私も知らない訳ではない。昔読んだ漫画に、これを叩く空手家というのを見たことがある。

 主に、打撃箇所の皮膚を硬くするために使用するのだと思うけれど、実物は、かなり圧巻だった。見て比べるだけでも、サンドバックが柔らかそうに見えるほどだ。

「正直、ランにはちょっと早いかなあ、とか思うんだけど」

 ドンッ、とヨシエさんは、軽く裏拳を巻き藁に入れる。それだけでも、普通は聞けない重い音がした。叩く方の力と、叩かれる方の硬さがあっての音だ。

「大丈夫です」

 早い、と言われて、私はとっさにそう答えていた。巻き藁を使って、何をするのか、それは私にも簡単に予測がつくし、それが怖いと思わないでもなかったけれど、なめられたままで済ますことなんてできない。

「……まあ、ちょっと見てなよ」

 私のそんな意地を見て取ったのか、ヨシエさんは、くるりと巻き藁に向き直って、腰を落とし、構えた。

「フッ!!」

 ドドドドンッ!

 右拳、左拳、右肘、左肘が一呼吸で巻き藁に入る。

 圧巻だった。スピードもさることながら、その一撃一撃の威力は、私の全力を超えている。それを、ヨシエさんは、巻き藁に躊躇なくたたき込んだ。

「まずは……手刀」

 ヅバッ!

 左腕は腰にため、右の手の平を上にし、腕と腰の回転の入った右の手刀が、巻き藁を叩く。硬い拳ではない手刀で叩いても、ヨシエさんの表情は一つも変わらなかった。

「抜き手」

 ズドッ!

「!!」

 私は息を呑んだ。手刀よりも指をきっちりと伸ばした状態で、ヨシエさんは、指の先で巻き藁を突いたのだ。それも、手加減なく、全力でだ。

 同じ打撃なのに、聞いたことのないような音だった。刺さりこそしなかったものの、ヨシエさんの抜き手は、確かに巻き藁を突いた。

「足先蹴り」

 ズズンッ!

 一見は、単なる前蹴り。しかし、ブーツを履いている訳でもないのに、巻き藁にヨシエさんのつま先が突き刺さっている。

「……まあ、試合で使えるのはせいぜい手刀まで。それに、どんなに硬くなるように鍛えたところで、寸止めだと、何の意味もないしね」

 それは、私には謙遜にしか聞こえなかった。

 寸止めの試合に、私は一片たりとも価値があるとは思っていない。口にすれば、ヨシエさんに怒られるかもしれないけれど、私の素直な気持ちだった。

 それで良しとするのなら、さっさと私は公式の試合に出ていたろうと思う。

 私が欲しているものは、そういうものではないのだ。私の求めていることは、お互いが痛みをともなう、そんな戦いなのだ。

「それで……これを見ても、やってみる気になる?」

 私は頷いた。確かに、ヨシエさんの巻き藁打ちには、物凄い迫力があったけれど、むしろ、その気持ちが増えただけに過ぎない。

「言っておくけど、痛いよ」

 それは、私をけしかける言葉としか思えなかった。望むところだった。痛いだけで、強くなれるのならば、私はいくらだって我慢できる。

 私は、もう一度頷くと、ヨシエさんに変わって、巻き藁に向かって構えた。

 問題ない。よく、人間は並のものよりも硬いと聞いたことがある。まして、ブーツごしとは言っても、私は何度も人間を蹴って来たのだ。

 私は、蹴り脚を振り上げ、巻き藁に叩き付けた。

 バスッ、と気の抜けた音が、かすかに響いた。

 

続く

 

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