作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(68)

 

「ーーーーーーーーっ」

 あまりの痛さに、私は脚を押さえて、しばらく立ち上がることさえできなかった。

 響いた音は、情けないぐらい弱いものだったけれど、私には、ゴキッ、とかグキッ、とか物凄く嫌な音に聞こえた。

「……ラン、大丈夫?」

 私は、脚を押さえてうずくまったまま、それでも首を縦に何度も振った。もちろん、どこからどう見ても、強がっているようにしか見えないし、事実強がっているどころか、強がりさえもできていないのだが。

 自分でも顔が真っ赤になるのを自覚できた。それは痛みの所為ばかりではない。ヨシエさんに、無様な姿を見せてしまった恥から来るものだ。

「まあ、仕方ないよ。というか、いきなり全力でやるバカがどこにいるのよ」

 ヨシエさんは苦笑しながら私をバカ呼ばわりしたが、私には言葉もなかった。恥ずかしくて、このまま消えてしまいたい気持ちだった。

 うまい角度で入らなかったのは、自分でも自覚していたが、それでもこの結果はあまりだった。確かに、私は素足で何か硬いものを蹴ったことはないけれど、それでも、ここまでとは思わなかった。

「ほら、脚見せて」

 ヨシエさんからさしのべられた手を、私は痛みにまかせて振り払おうとしたけれど、ヨシエさんは、まるで赤子の手をひねられるように、私を押し倒すと、私の蹴り脚に手をやった。

「抵抗しないで。怪我してたら大事だからね」

 そう言われれば、私も素直に引き下がるしかなかった。

 ヨシエさんの手で脛を柔らかくなでられて、私は、違う意味で赤くなった。

 しばらく、「ここは痛い?」などという質問を、ヨシエさんに言われるまま、答えた。何個か確認を終えると、ヨシエさんは大きく息を吐いた。

「……うん、骨に異常はなさそうね」

 それでも、私の脚から、ヨシエさんの手は離れなかった。

「言っておくけど、無茶をするために、この巻き藁をやらせるんじゃないよ。まずはゆっくりやって、身体を慣らしていかないと、すぐに怪我をする鍛え方なんだからね」

 むしろ、弊害の方が多く、高校生でこんな鍛え方をするのは間違っているとまでヨシエさんは言った。その割には、ヨシエさんは巻き藁に慣れているようなのだが。

 いくつかの注意事項を言ってから、やっとヨシエさんが私を解放したところに、ふいに声がかかった。

「お、坂下、さっそく新人を毒牙にかけてるのか?」

 私は、不覚にもその声にびくりと身体を震わせた。驚いたこともあるが、その声をかけてきた人間を、私は怖いと感じているのだ。

「御木本、死にたい?」

「遠慮するわ。まだ俺にはやり残したことが沢山あるからな」

「だったら、黙っておいた方が身のためだよ」

「へいへーい」

 ヨシエさん相手に、こんな軽口をたたける自体、驚愕に値する人間だとは思うのだけど。

 私は、この男、御木本という先輩を、どうも好きになれなかった。

 空手着こそ来ているものの、汗をかいている風もない。ヨシエさんの目がないことをいいことに、また練習をさぼっているようだった。

 しかし、さぼるならさぼるで、わざわざヨシエさんに声をかけることもないだろうに、と思うのだが、わざわざこの男はヨシエさんに声をかけている。しかも、普通なら殺されて当然の暴言を吐きながらだ。

 私の個人的な感想だが、多分、この男は、ヨシエさんのことが好きなのではないかと思う。だから、かまって欲しくて仕方ないのだ。まるで子供である。

「えーと、ランちゃんだったかな。よかったら、俺が坂下の魔の手から救ってやろうか?」

「バカ言ってないで、さっさと練習に戻れ」

 ヨシエさんに一蹴されても、やはりその男はへらへら笑っていた。やはり、いけすかないやつである。

「しっかし、こんなもん、本気で虐めだろ」

 ぺしぺしと巻き藁を叩きながら、御木本はヨシエさんに文句を言う。

 何か言い返してやりたいところだが、正直、私はこいつとは口をききたくなかった。なので、無視して立ち上がり、巻き藁を蹴ろうと、再度構えた。

「ラン、無茶は駄目だって」

 ヨシエさんの制止を聞かずに、私は蹴り脚を振り上げた。

 ボスッ、とさっきよりも、かなり小さな音を立てて、私の蹴り脚は巻き藁に当たったが、今度は私は痛がりもしなかった。

 当たり前である。私は、全力で蹴っていないのだから。いや、自分では全力で蹴るつもりだったのだが、身体がそれを拒否したのだ。

 痛みに、身体が引けたのだ。それは、私にとって、何よりの屈辱だった。痛みを怖がって、何がケンカ屋だ。

 カッ、となったのは、そんな私の恐怖を、見ていた二人にはばれたことへの恥だった。自分でも情けなるぐらい、今日の私は格好悪かった。

「ラン、止めな」

 再度蹴ろうとした私の肩を、ヨシエさんがひきつける。

「でも……」

「いいから。無茶しても仕方ないって言ってるのが、聞こえない?」

 ヨシエさんの声が厳しくなったので、私は反論の言葉を飲み込んだ。名誉を挽回したいのはやまやまだけれども、ヨシエさんの命令に逆らうことはできなかった。

「いや、近年希に見る意地っ張りだね、この子も」

 御木本がカラカラと笑ったが、私はそれを無視した。でなければ、なぐりかかっているところだ。

「ま、あんまり無茶するなよ。坂下と俺たちじゃ、身体の作りが違うんだからな」

 ヒュッ!

 そう言って、御木本が背を向けた瞬間に、それは風を切った。

「ってコラァッ! 俺が何かしたか!?」

 ゴロゴロと転がるようにして、御木本はヨシエさんの上段回し蹴りを避けていた。

 ……え?

 私は、驚きを隠せなかった。背を向けた状態で、ヨシエさんの、本気ではないとは言え、それでも怖ろしいばかりに鋭い回し蹴りを、ぶざまでも避けるなんて。

 御木本の叫びもどこ吹く風、ヨシエさんは、巻き藁を指さした。

「御木本、丁度いいや。あんた、ちょっとこれ殴ってみて」

「おいおい、俺はんな無茶な練習なんてしたことねえぞ」

「いいから」

 ヨシエさんの真意は私にもわからなかったが、ヨシエさんの声が鋭くなり、御木本に命令すると、御木本も観念したのか、へいへいと肩をすくめながら、巻き藁に近づく。

 私が慌てて避けると、「何、俺嫌われてるの?」と、わざとらしい傷ついた顔をしてから、巻き藁に向き直った。

「二発でいいよな?」

「ええ」

 御木本は、軽いステップで、構えを取る。左半身の、なかなかどころか、かなり様になる構えだった。

 考えてみれば、御木本の動きを、私は初めて見る。ヨシエさんと、池田先輩の次に強いと言われる人間なのだから、下手な動きはしないだろうと思っていたのだが。

 脱力した構えから、ためもなく、御木本は素早く動き出した。

 そいつの、踏み込みの動きだけで、私はぞくりと震えてしまった。

 ガキンッ!

 右の掌打が、上から覆い被さるように、巻き藁に入り、金属を打つような音を立てる。

 ガウンッ!

 一瞬の間を置いて、返す刀で、左の掌打が鈍器というより銃器という音で、一打目よりもかなり下に入る。

 簡単に想像すれば、相手の拳をかいくぐり、浴びせかけるように上から顎を打ち抜き、さらに返す刀で脇腹に一撃を入れて止めを刺す。そういう動きだったが。

 それよりも、それは、相手をかみ砕く獣のような動きだった。

 私がはっと気付いたときには、御木本は素早く巻き藁から距離を取っていた。一撃離脱で、相手を屠る。その動きは、本物だった。

「ま、俺は拳をたいして鍛えちゃいないんで、掌打でやらせてもらったぜ。しっかし、それでも痛えなあ。こんなもん平気で殴るヤツは、身体金属か何かでできてんじゃねえか?」

 ……怖い。やっぱり、この男は、どこか怖い。

 相変わらずの軽口でヨシエさんを挑発、ヨシエさんは、有無を言わせず殴りかかるのを横目に、そしてあっさりと御木本が殴り倒されるのを見ても、気分はまだ晴れることはなかった。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む