作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(69)

 

 恐る恐る浩之は、肩を動かした。

 しばらくあまり動かしていなかった所為で、多少違和感を感じないでもなかったが、少なくとも、痛みはない。

「よしっ」

 浩之は、誰に言うでもなく、小さく声を出していた。

 鎖骨にヒビが入って、まだ二週間足らず。驚異の回復力と言っていいだろう。というか、本当に浩之は人類なのか、疑問に思ってしまう回復力だ。

 単純に、ヒビと言っても、程度が低かったこともあるのだが、回復が早いというのは、何にしても、努力ではカバー不可能な、代え難い才能と言える。

「案外時間かかったな。肩の筋肉、衰えてるんじゃねえのか?」

 その驚異の回復を目の前にしても、修治は当然のようにちんたらしやがって、と言い切る。さもありなん、こちらは、間違いなく人間外生命体であるのだし。

 ヒビが治ったのは、浩之としても嬉しい。ギリギリとは言え、エクストリームの本戦に出られるようになったのだ。本当なら、一日だって休んでいる暇はない。

 しかし、修治のにやけた顔を見ると、どうしても腰が引けてしまった。

 この道場が、どれだけ無茶な練習をするのか、浩之は身体で体験しているからだ。怪我は確かに浩之にとっても嬉しいことではないが、怪我をしている間は休めたのだ。治ってしまえば、後は修治や雄三が手加減をする理由などない。

 どんなに意地を張ったところで、ここの練習は苦しい、いや、そんな生ぬるいものではなく、地獄と言ってもまだ甘いのだ。

 始める前から折れそうになる心を、浩之は何とかつなぎ止める。

 初めての勝利、そして敗北、ヒビの入った痛みに、それでももぎ取った勝利の嬉しさ。色々な「戦い」を頭に浮かべ、気持ちを高ぶらせる。

 教えられるまでもない、浩之は、自分でモチベーションを上げる方法を知っていた。それでなくとも、苦しいことも過ぎてしまえばどこ吹く風と受け取る浩之は、努力をする面でも、優れた才能を誇っているのだ。

「さて……」

 修治の何気ない一言を聞いて、浩之の意識は、何を置いても逃げるべきだというものに変わった。これから拷問だ、と言われた方がましなぐらい、そのつらさは浩之の身にしみついている。

「で、どうするよ、ジジイ?」

「ジジイと言うなと……まあいい、それよりも、今は浩之の方だな」

 形式上師匠、実際のところは拷問人よりもさらに人でなしの雄三は、嬉しそうにあごをなでた。

「来栖川のお嬢ちゃんに勝たせてやるとは言ったものの、さて、何から始めたものかのう」

 困っているという訳ではない。たどり着くまでの、星の数ほどもある項目の、さてどれをやらせようかと考えているのだろう。

 浩之は、刑の決まる囚人の気持ちで雄三の言葉を待っていた。口など挟みようがない。どうせどんな言葉を入れたところで、浩之の死は決まったようなものだ。

 それでも逃げないところを見ると、浩之の勝利に、ひいては綾香に対するこだわりというものは、並大抵のものではないのだろう。

「そうだのう……まずは、武原流の極論を教えるかのう」

 極論?

 聞いたことのない言葉だった。まあ、絶対にろくなものではないというのは目に見えていたが、教えてくれるというのなら、浩之には拒む気はなかった。肉体的、精神的にも地獄のような苦しみが待っているとは思うが、少なくとも、知っている限りで、一番効率の良い方法を雄三がとってくれるのは信じられたからだ。

「……て、極論かよ。おいおい、俺には、こんなに早く教えてくれなかったぜ?」

 それは、珍しい言葉だった。基本的に、修治も雄三も、技術については出し惜しみをするようなことはない。

 出し惜しみをするだけ無駄なことを知っているからだ。言葉で言ってわからないようなことは言っても無駄であるし、それを使える地盤がないというのなら、使えないだけだ。教えておくことに、何ら不都合はない。

 あるとすれば、ただ一つ。教えた相手には、その技を対応される危険性が極端に跳ね上がるというだけだ。

 知られない強さを、武原流は多く持っている。しかし、それに頼ろうとしないのが、武原流の怖い部分だ。

 修治の責めるような口調も、雄三にとってみれば、そよ風のようなものだった。いや、積極的に気持ちいいのかもしれない。

「才能の差だろうのう」

 そりゃ師匠はいいだろうけど、俺は修治とやりあうつもりはこれっぽっちもないんだけどさ。

 浩之の心の声は無視されたが、とりあえず、修治は浩之をターゲットにはしなかった。

「ま、才能の面では認めるさ。俺がどうとかじゃなくて、浩之は凄えからな」

 修治からの賞賛の言葉を聞いても、浩之はおごったりしない。というよりも、綾香や雄三、修治のような怪物を見ていれば、おのずと自分の力量など測れる。

「では、浩之に聞こう。ちなみに、否定権はお主にはない」

 じゃあ聞くな、と浩之は声を大にして言いたかったが、何とかそれを鉄の意志で押さえ込んだ。

「武原流極論とは、勝つために極まった論、言ってしまえば、常勝のために用意された理論、武原流の極みだ」

 常勝のための理論。それを聞いて、浩之はばかげた理論だと思った。

 格闘は、計算式ではないのだ。答えが決まっている訳ではない。1+1が2になるなどということが、ある方が希なのだ。

 どんなに相性が悪く、そして実力に差があっても、勝つときはあるし、その反対の条件で負けるときもある。

 もちろん、強くなることで、勝つことは多くなるだろうが、必ず勝てるという訳ではないのだ。どうしようもない理由で、身体が動かないときだってあるし、何故かその攻撃だけ見落としてしまうこともある。

 その中で、常勝などと、恥ずかしげもなく言える神経。その方がよほどおかしかった。

「聞けば、もうお主は武原流からは逃れられん。武原流以外の人間に教えることもまかりならん。そのときは、わしが全力を持って、お主を殺す」

 雄三は、いつもの口調でそれを言うが、そこには、何の躊躇もない。それがさも当然であるように言葉を吐く。

 その非常識さはいつも通りだったが、その内容が、浩之の知っている武原流とは、かなり異なっていた。

 古いものに何ら付加価値を入れず、必要とあらば、何でも中に取り込んでいく。それが、武原流の強さだ。

 その武原流を持ってして、ばらせば殺すとまで言う、その極み。

「どうだ、それでも、お主は聞きたいか?」

 もちろん聞きたいに決まっている。人にばらさないだけで、怪物を二人も持つ流派の極みを教えてもらえるのだ。躊躇する必要などなかった。

 だから、浩之は反射的に頷いていた。ここで少しでも理性を残せるほど、浩之の頭は冷静ではない。

 殺すとか、最初から現代日本を遠くにおきざりにするような発言もあったが、武原流から逃れられないとかもかなり不安な言葉だったのだが、冷静さを欠いているのだから仕方ない。

 雄三は、嬉しそうに笑うと、かなり重大であるはずの内容を、いかにも簡単に、そして簡潔に言葉に出した。

「武原流の極論、それは一言で言うならば……『変』」

 いつもと変わらない練習風景の中で、雄三は、それを語り出した。

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む