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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(71)

 

「おうおう姉ちゃん、何か用かよ?」

 ちんぴらだ。

 見るからにちんぴらである。どこに出してもおかしくないほどの脇役具合の男が、坂下とランを引き留めた。

 どうしてこんな生物がここにるのか理解できなかったが、とりあえず、坂下は相手にしないことにした。

「関係ないでしょ、どいて」

 これでも、坂下内では、かなり音便な言い方なのだ。いきなり蹴り飛ばしたりしないだけ、綾香よりも常識があるのかもしれないが、友好的とは言い難いセリフだ。

 横を通り抜けようとした坂下の前に、そのちんぴらは立ちふさがった。

「ここは立ち入り禁止だぜ、さっさと帰った帰った」

 あくまで、男は坂下達を通すつもりがないようだった。

 いつも葵が練習をしている神社への道で、何故かちんぴらが一人、行く手を阻むように後ろから現れたのだ。

 待ち伏せや見張りではないようだが、この先には神社しかない。そして、練習をしているだろう葵と浩之、たまに綾香ぐらいしかいないはずだ。

 まさか、あの二人が遅れを取ったりはしないだろうけど……

 柄のよくない人間が来るなと言うと、何か怪しいことか危険なことになっている可能性もあったが、正直、何人素人が集まっても、葵と浩之をどうこうできるとは思えないので、その心配はすぐに捨てたが、やはりここにこの男がいる理由がわからない。

 とにもかくにも、神社へ向かおうとする坂下の肩を、男はつかんだ。

 強い握力だ。そして、動きも素人というには洗練されている。

「言うこと聞かねえならちょっと痛い目……」

 シュッ!

 次の瞬間、坂下の裏拳が、男の頬をかすった。男が一瞬で気付いて避けなければ、鼻に直撃して、鼻血の一つも出ていただろう。

「このアマっ!」

 怒り心頭しながらも、男はすぐに坂下から距離を取っていた。距離は問題ではないが、少なくとも戦うような体勢ではなかったのを悟ったのだろう。

 へえ、なかなか。

 もちろん、坂下も裏拳は手加減しておいた。いくら話も聞かせずに自分の前に立ちはだかろうとも、いきなり血の海に沈めることまではするつもりはなかったのだ。

 それでも、不意をついた裏拳だ。スピードだって決して遅い訳ではない。それを避けるとなると、単なる素人のちんぴらというわけではないだろう。

 マスカのこともある。浩之がまた狙われたという可能性も否定できない。

 怪我も、だいぶ良くなっていると言っていたが、それでも、怪我人に無茶をさせることもないだろう。ここで私が倒しておくか。

 綾香あたりに言わせれば、単なる獲物の横取りでしかないのだが、坂下は半分ぐらいは善意で構えを取った。

「やってくれるじゃねえか、不意打ちたあ卑怯だぜ!」

「うるさい、ちんぴら」

「ち……こ、このアマ……怪我だけじゃ済まさねえぞ!」

 怒鳴っているわりには、動きはなし、か。

 男のガタイは決して悪くない。女性としては大きな坂下だが、男と比べると、やはり小さいのだ。しかし、力まかせの相手に負けるほど、坂下も落ちぶれていない。

 むしろ、力まかせになってくれた方が簡単なのだ。そう思って相手を挑発してみたのだが、かなり頭に来ているはずの男は、うかつに近寄っては来ない。

「汗臭えのは趣味じゃねえが、そういう女は決まって処女だからな、楽しめるってもんだぜ!」

 反対に、挑発とも恫喝とも取れる言葉で、坂下を動揺させようとしている。

 あんまり頭良さそうには見えないけど……びびってるって訳でもなさそうだし。

 口だけの人間は、ここまで相手を警戒した構えは取れない。左半身の、やや腕をあげぎみの構えは、相手をなるべく警戒しながらも、隙あらば攻撃しようとする意志がうかがえる。

 何か、ザコじゃないみたいね……

 まあ、それならそれで、坂下としては楽しめるというものだ。ちんぴらの生存権など、坂下はまったく認めていないが、強いとなれば、戦ってみたいと思うのは人情というものだ。

 と、今まで無言だったランが動こうとするのを、坂下は横目で気付いた。

「ラン……」

 一瞬、それで坂下の意識がそちらに動く。それを、男は見逃さなかった。

 かなり遠い間合いのはずなのに、そこから、坂下の顔面に何かが放たれた。

 坂下は、とっさにそれを避ける。受けてもいいが、何かわからないものを受けるのは得策ではないし、何より、反射で動いた身体では、受けて流し反撃までの動きは難しい。

 坂下の鍛えられた反射神経は、坂下の顔の横を通り過ぎたのが、何かボールみたいなものであったのを捉えていたが、それこそ、相手の思うつぼだった。

 遠慮も躊躇もないヤクザキックが、坂下の胸めがけて繰り出されていた。

 坂下は、とっさに両腕を胸の前でクロスさせて、それを正面から受ける。パワー技に真正面からの受けはあまり得策ではないが、しかし、そこは坂下だった。

 蹴った感触の違和感、まずは、それが最初だった。

 次の瞬間、男は、前進と体重を乗せたはずの前蹴りが、自分よりも小さなはずの少女をはねとばせなかったことに、背筋が凍った。

 坂下の腰を落とし、右足を後ろでふんばる体勢のガードは、相手の前蹴りを、完全に防ぎきり、しかも後退さえしなかった。

 その異常な相手の実力を見て取り、男が慌ててまた距離を取ろうとしたが、そんなことを許すほど坂下は悠長にはしていなかった。

 相手の足を、ガードした腕で、大きく上にはね飛ばす。

 バランスが完全に成っている坂下と、片足の男では、そもそも勝負にもならない。男は、あっさりとバランスを崩す。

 坂下には、見ておきな、とランに目配せする余裕さえあったが、男は必死に身体を立て直そうとして、しかし、その時間は与えられなかった。

 ゴッ

 まず、相手の右脇にボディーブローが一撃。

 ガッ!

 合わせるように、掌打によるアッパーが、顎を大きく跳ね上げ。

 ズバンッ!

 やりすぎの感があるミドルキックが、男の身体を大きく横に吹き飛ばした。

 頭から藪につっこむ男を見て、坂下は満足げに構えを解いた。誰がどう見ても、文句なしの決着で、坂下が文句を言おうと、間違いなくやりすぎだ。

「……好恵さん?」

 坂下が意気揚々としているところに、声がかかる。

 振り返ると、そこには、微妙な顔をした葵と、苦笑している浩之がいた。

 二人は、一体何があったのか、得意そうな坂下と、そして藪につっこんだまま動きもしない哀れな男、マスカランキング十五位らしい健介を見比べて瞬時に理解し。

 まあ、この場合は仕方ない、とどちらともなく、顔を見合わせた。

 

続く

 

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